2020年4月30日

文字数 3,257文字

2020年㋃30日
 新型コロナウイルス対策を口実に、政府や国際機関が報道の自由を抑圧している。和田浩明記者は、『毎日新聞』2020年4月27日更新「新型コロナで当局が規制・圧力 報道の自由侵害懸念 『国境なき記者団』が警告」においてそれを伝えている。国境なき記者団はパンデミックがジャーナリズムに及ぼす影響を調査するため「#Tracker_19」というプロジェクトを始めている。「Tracker」は「追跡者」、「19」は「COVID-19」と表現・報道の自由を支持する「世界人権宣言第19条」から名付けている。

 和田記者は同紙同月16日 9時58分更新「新型コロナ禍が報道の自由を切り崩すのか 各国で取材規制、国際団体が警告」ですでに同様の指摘をしている。こちらの記事は政府や国際機関の取材に対する規制・圧力の具体的な事例を次のように紹介している。

 新型コロナウイルス禍を報じるジャーナリストたちが当局による規制や圧力を受けているとして、国際的な記者支援団体が警告を発している。フランスに拠点を置く「国境なき記者団」は、関連事例を追跡するプロジェクトを始めた。正確な報道は感染拡大やパニック抑制に不可欠なだけに、パンデミック(世界的大流行)の中での報道の自由の侵害に懸念が強まっている。
 「香港政府は、香港電台(RTHK、地元の公共放送)が自由に、公的なハラスメントを受けないで報道できるようにすべきだ」。米国の国際記者支援団体「ジャーナリスト保護委員会(CPJ)」は3日の声明で、香港政府で放送事業を管轄する商務及経済発展局(CEDB)を批判した。
 CEDBは2日、香港電台の記者が3月末放送の番組で、世界保健機関(WHO)高官に台湾のWHO加盟の可能性を聞いたことについて、「(台湾を中国の一部とする)『一つの中国原則』に反する」と非難する報道官の声明を出していた。
 台湾はWHO加盟を求めているが、中国は「加盟は主権国家に限られる」として反対している。中国に配慮して新型コロナ関連報道に圧力をかけたとみられる香港当局の姿勢に、CPJは「報道の自由への脅威」と警鐘を鳴らした。
 この香港電台のインタビューを巡っては、WHO側の報道対応も疑問を呼んだ。同社の記者がWHOのブルース・エイルワード事務局長補に台湾加盟の可能性を聞いたのに対し、同氏はしばしの沈黙の後、「聞こえなかった」と回答。「繰り返しましょうか」と追うと「いや次の質問に行こう」とかわした。
 記者がさらに台湾について聞こうとすると、通信ソフトの接続が突然切れた。再接続後、記者が今度は台湾の感染封じ込め対策について聞くと「中国についてはすでに話した。国内の各地方はよくやっている」と述べ、インタビューを締めくくった。この一連のやりとりはツイッター上などで「WHOは中国に制御されている」といった反応を呼んだ。
 一方の中国も、新型コロナ対応への世界の注目が集まるさなかの3月18日、中国駐在の米主要3紙の一部記者から記者証の返還を求めると発表、事実上の国外退去処分にした。
 処分対象は、ニューヨーク・タイムズ、ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)、ワシントン・ポストで年内に記者証の期限が切れる米国人記者。

 表現・報道の自由は近代の政教分離の原則に基づいている。政治が公、信仰が私の領域に属し、両者は相互干渉してはならない。それは、価値観の選択を個人に委ねたことを意味する。それにより価値観は多様化する。中世の民衆は情報をもっぱら教会から得ている。民衆は移動や職業選択の自由が制限され、識字率も高くない。そんな民衆が情報を入手するとしたら、どんな村落にもある教会に依存するほかない。しかし、近代は価値観の多様性が認められている。価値観が多元的であることは社会に複数の人々がいることを指し示す。個々人がそれぞれの価値観に基づき効用を欲する。そのため、個人と社会の効用は必ずしも一致しない。個人が多様性だけを追求したのでは、社会がバラバラになってしまう。価値観の多様性に基づきながら、社会的共通基盤が必要になる。そこで複数が意見を交換する議論の場が生まれる。それは公と私の重なり合う公共的・公益的領域である。自分の意見を述べ、他の主張に耳を傾け、よりよい考えを模索する。こうした話し合いには情報が不可欠である。一元的価値観は教会による情報の独占が可能にしている。複数の情報源がなければ、価値観の多様性は確保できない。そのため、表現の自由が保障されていなければならない。その環境の下、市民は幅広い情報に接することが求められる。

 近代は、生命や財産の保護などの利益のために、社会が政府に統治を信任すると理論づけられている。しかし、情報の非対称性があるから、政府は社会ではなく、自分の利益を目的に権力を行使する危険性がある。政府が実際には市民の権利を抑圧していることもあり得る。それを監視する活動が必要だ。そのためにも表現の自由が欠かせない。
 多様性が前提だから、政府が一元的価値観を社会に強調することは近代や立憲主義に反している。また、報道機関が政府に屈したり、忖度したり、媚を売ったりすることも同様である。ある情報を一般に伝えるか否かは政府や報道機関の判断である。彼らは公表したり、しなかったりして世論に影響を与える。ただ、表現の自由は送り手のみならず、受け手の知る権利に応えたり、第三者を保護したりすることも含まれる。

 情報の非対称性は社会にとって政府のみならず、報道機関との間でも存在する。市民の知る権利や第三者の保護はメディアにも向けられる。第三者機関や法の執行者による抑止・裁定の他、複数のメディアがあることで、相互牽制が働き、その弊害が緩和される。メディア同士が相互に監視することも表現の自由の確保にも必要である。

 立憲主義は、通常、政府の姿勢・行動に対して用いられる。しかし、メディアが価値観の多様性への寄与を怠たると、政府自身の効用をアシストすることになる。メディアの活動も立憲主義に問われる。政府が反立憲主義的振る舞いを謳歌したら、それを増長させたメディアも共犯だ。

 現代の国際社会では、価値観の多様性によって進化した民主主義、すなわちリベラルデモクラシーが標準的プラットフォームである。主権者は国民である。それは主権者が複数ということを意味する。複数の意見が競争して政治が行われる。競争的選挙を通じて議員や行政庁を選出する。主権者が政治参加するためには、さらに多様な情報源が必要である。

 価値観の多様性を共通理解とすることで社会には相互信頼の絆が共有される。逆に、一元的価値観によって一つにしようとすると、社会は不信と対立によって分裂してしまう。表現の自由は近代や立憲主義、多元的民主主義の体系に位置づけられている。近代は価値観の多様性を前提にする。それを可能にするのが表現の自由である。立憲主義やリベラルデモクラシーもこれに基づいている。政府や国際機関が表現の自由を抑圧したり、メディアが幅広い情報流通に寄与しなかったりすることは、それらの意義の否定だ。

 夕食はタイ風青椒肉絲、タイ風キャベツサラダ、野菜サラダ、ワカメと豆腐の中華スープ、食後は緑茶、干し柿。屋内ウォーキングは10192歩。都内の新規陽性者数は46人、死者3人。

参照文献
和田浩明、「新型コロナ禍が報道の自由を切り崩すのか 各国で取材規制、国際団体が警告」、『毎日新聞』、2020年4月16日 9時58分更新
https://mainichi.jp/articles/20200405/k00/00m/030/008000c
和田浩明、「新型コロナで当局が規制・圧力 報道の自由侵害懸念 『国境なき記者団』が警告」、『毎日新聞』、2020年4月27日更新
https://mainichi.jp/articles/20200427/ddm/004/040/043000c


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