2020年5月8日

文字数 3,123文字

2020年5月8日
 緊急事態宣言実施以来、全国各地から感染者バッシングのニュースをしばしば耳にする。被害者であるはずの感染者が非難されるという歪んだことが起きているというわけだ。

 田中正一・吉沢龍彦記者は、『朝日新聞』2020年5月8日 9時40分更新「『さらし上げ見せしめに』感染女性中傷に山梨県が対策へ」において、そうした出来事をめぐって次のように伝えている。

 帰省先の山梨県内で新型コロナウイルス感染が確認された後、東京都内の自宅に帰った女性への非難や中傷がインターネット上で広がり、名前や勤務先を特定しようとする真偽不明の情報も飛び交っている。県は重大な人権侵害ととらえ、保護対策に着手した。
 県によると、5日の会議で長崎幸太郎知事が、感染者の権利保護を強化する必要性を指摘し、対応を指示した。県はネット上にプライバシーを脅かす情報が流れていないかなどを調べる態勢づくりに着手。犯罪性があれば警察に情報提供することや、弁護士などと協力して人権救済を支援することを検討している。
 県の担当者は「感染者がことさら非難されると、早期発見と治療、感染拡大防止に必要な情報も表に出てこなくなるおそれがある」と危惧する。
 県内55人目の感染者となった女性は、4月29日に実家に帰省。5月1日にPCR検査を受け、2日に陽性と判明した後、高速バスで東京に戻った。当初は結果判明前に帰宅したと県に説明していたが、実際は判明後だった。県は2日に女性の感染確認を発表。翌3日に帰宅日を訂正した。
 新聞やテレビで報道されると、SNSには女性を特定したかのような情報や、「すべてをさらし上げて見せしめにした方がいい」といった言葉が書き込まれた。勤務先と名指しされたある企業は「事実無根の情報が流されている」とホームページに掲載した。
 県が4日の記者会見で、「感染したこと自体は本人の責任ではない。そのことは配慮してほしい」と呼びかけると、県庁には「配慮してほしいとはなにごとか」と批判する電話も数多くかかってきたという。

 なぜ被害者が非難されるのかをめぐる最も有力な学説の一つが「公正世界仮説(Just-world Hypothesis)」である。これは「公正世界誤謬(Just-world Fallacy)」とも呼ばれ、この世界は行いに対して公正な結果をもたらすとして認知バイアスが働くという仮説だ 。カナダのウォータールー大学のメルヴィン・ラーナー(Melvin Lerner[edit])教授が1980年に提唱している。なお、これはあくまで実験を根拠にした心理学の科学的知見であり、経験や直間に基づく形而上学的意見ではない。

 一般的に、人は行いにはそれにふさわしい結果が伴うという公正さの信念を持っている。善行には幸福、悪行には不幸がもたらされると暗黙の裡に信じているわけだ。実際、宗教や生活道徳はこの世界が公正にできていると説いている。それは「因果応報」や「信ずる者は救われん」などからもわかる。

 こうした信念は道徳的に生きることの動機づけになる。世界は公正である。善いことをすれば、幸福になれる。その一方で、悪いことをすれば、不幸な目に遭う。それなら、悪を避けて、善く生きようとするだろう。

 反面、この信念の下では、忌まわしい事件・出来事に遭遇した時、それは被害者の行いに問題があったからだと認識しかねない。落ち度がないのに不幸な目に遭うとしたら、世界が公正だという前提が崩れてしまうからだ。「津波は天罰」の石原慎太郎元東京都知事による災害天啓説の発言はこの典型である。

 自然災害ですらそうなのだから、犯罪のような人為的行為で被害者非難が生じても不思議ではない。世界は公正なので、善いことをしている人が事件に巻きこまれるはずがない。それは原因がその人にあるからだと考えるほかない。このようにして、被害者に責任があると人は責め立てる。

 ラーナーは、この説をスタンレー・ミルグラムの服従実験、いわゆるアイヒマン実験の系譜に位置づけている。1966年、ラーナーらは、虐待への第三者の反応を調べるためにミルグラムと同様の電気ショックを用いた実験を行いる。カンザス大学での最初の実験では、72人の女性被験者が諸条件下でサクラの参加者が電気ショックを受ける様子を見せられている。自ら手を下さず、あくまで第三者である。当初、苦しむ姿を目の当たりにした被験者は動揺しましたが、それを続けて見ているうちに、その被害者を蔑むようになっていく。苦痛が大きくなるほどにバカにした態度を示すようにさえなる。ところが、後で被害者が金をもらったサクラダと明かされても、被験者は彼らを軽蔑することなどない。これ以降もラーナーらは実験を続け、同様の結果が現われている。

 ミルグラムの実験との違いは当事者であるか、第三者であるかだ。第三者が不幸な目に遭った被害者に対してどのような応答を示すのかが調査のポイントである。しかも、被害者を嘲っていたのに、彼らはそれがサクラだと知ると、軽蔑をしない。この第三者による犠牲者非難の結果を分析したのが公正世界仮説である。

 ミルグラムがホロコーストの実行に置ける状況の力を明らかにしたとすれば、ラーナーはユダヤ人に責任があるとして差別を許してしまう非ユダヤ人の認知行動の理由を説明したと言える。世界は公正である以上、それに手を下していない第三者であっても、ユダヤ人が差別されるのは彼らに原因があるからだというバイアスがそこにあることになる。

 世界が公正であると信じている人ほど、この仮説に従うなら、被害者を非難しかねない。これは道徳性のパラドックスとも言える。この仮説は慣習的規範意識が強いなどの保守的な地域・組織・個人では犠牲者非難をしがちではないのかという問いにも確かに合致する。公正世界を前提とする道徳がある限り、不幸な事件・出来事の責任を被害者に見出す言説が生じる可能性があることを自覚していなければならない。被害者を非難しようとする時、世界が公正であるとしても、自身の認識が果たして公正であるかを自問することが必要なである。


 --道徳上の奴隷一揆が始まるのは、《反感》そのものが創造的になり、価値を生み出すようになった時である。ここに《反感》というのは、本来の《反動》、すなわち行動上のそれが禁じられているので、単に想像上の復讐によってのみその埋め合わせをつけるような徒輩の《反感》である。すべての貴族道徳は勝ち誇った自己肯定から生ずるが、奴隷道徳は「外のもの」、「他のもの」、「自己でないもの」を頭から否定する。そしてこの否定こそ奴隷道徳の創造的行為なのだ。評価眼のこの逆倒--自己自身へ帰る代わりに外へ向かうこの必然的な方向--これこそまさしく《反感》の本性である。
(ニーチェ『道徳の系譜』)

 夕食には、ソース焼きそば、豆腐と豚キムチの焼きそば、ちくわとキュウリの梅和え、野菜サラダ、食後には緑茶と干し柿。屋内ウォーキングは10184歩。都内の新規陽性者数は39人、5月1日~7日までの検査の陽性率は7.5%。

参照文献
森津太子、『社会心理学特論』、放送大学教育振興会、2013年
フリードリヒ・ニーチェ、『ニーチェ全集』11、信太正三訳、ちくま学芸文庫、1993年
田中正一・吉沢龍彦、「『さらし上げ見せしめに』感染女性中傷に山梨県が対策へ」、『朝日新聞』、2020年5月8日 9時40分更新
https://digital.asahi.com/articles/ASN576V6GN57UZOB00Y.html?ref=tw_asahi
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み