2020年4月8日

文字数 4,149文字

2020年4月8日
 巣ごもり2週間目の今日、咳が出なくなる。

 『ニューヨークビズ!』2020年4月8日更新「最前線で働く人たちへ拍手をおくる『CLAP FOR NYC』がムーブメントに」によると、 ニューヨーク市民の間でエッセンシャルワーカーに向け、拍手や歓声をおくる「CLAP FOR NYC」がムーブメントになっている。これはインターナショナルPRエージェンシーのKarla OttoがSNS家で在宅中の市民に呼び掛けて始まっている。元々はイタリアやフランス、スペインが発端で、「#clapbecausewecare」と共にニューヨークで拡散する。記事によると、その様子は次のようなものである。

3月27日金曜日の午後7時、2分間にわたって、バルコニーや屋上、歩道に出たり窓から身を乗り出した何千人もの市民から、現在も救命活動にあたっている医師、看護師をはじめとする医療従事者、警察官、食料品店の労働者、地下鉄メトロ労働者、トラックの運転手といった、人々や街の安全のために今もなお最前線で仕事に従事する人々に向けて、感謝の意を込めた拍手や歓声、カウベルの音、鍋をたたく音が鳴り響きました。

 この運動は、市内各地で、27日以降も毎週金曜午後7時に自発的に続けられている。
 感染爆発を描く小説や映画、マンガは、概して、感染力が強く、致死率が高い疾病を扱う。それは社会的影響にあまり言及せず、医学的流行に絞って展開できるからだ。しかし、実際にパンでミックを経験すると、その波及が極めて広範囲に及ぶことがわかる。日々伝えられるニュースは感染爆発の影響を受けない領域がないことを物語る。表現者たちの想像力を超えている。

 感染爆発を取り扱った作品への感情移入は限定的にならざるを得ない。もちろん、それは見るべきものなどないということではない。部分的には時代を超えて訴えかけ、圧倒されるものも少なくない。そうした作品の一つとして1947年のアルベール・カミュによる『ペスト』を挙げることができる。現在懸命に治療に取り組む医療スタッフや予防措置に慎重な行政、別離や孤独と向き合いつつ先の見えない不安に置かれる市民などが描かあれている。これは、樋口可奈子の『日経Xトレンド』2020年3月17日更新「新型コロナウイルス感染拡大で小説『ペスト』が予想外のヒット」によると、武漢で新型肺炎が流行しているというニュースが伝わった20年1月下旬から国内での販売部数が増えている。

 カミュは「不条理」の思想によって一世を風靡した作家である。しかし、この「不条理」はもはや今日において論ずるに値しない。これは理性中心主義批判の文脈にあって初めて意義があるだけで、人間の予想通りに物事は進まないのは当たり前だ。彼の作品に登場する「不条理」はアイロニーで、読者の予想の逆を書いているにすぎない。『ペスト』も、改めて検討する際に、「不条理」から読む必要はない。

 感染爆発は影響が広範囲に及ぶので、全体的に扱うには叙事詩的視点が不可欠である。しかし、それは困難なので、抒情詩的視点に基づいて局所的に作品を描かざるを得ない。この叙事詩と叙事詩の区別はアリストテレスの『詩学』の概念である。前者は世界の外部の視点を置き、客観的に語る。他方、後者は世界の内部の視点から主観的に語る。それには演劇も含まれる。『ペスト』がしばしば演劇的と評されるのは抒視点が情詩的だからだ。

 『ペスト』は40年代のアルジェリア西部のオラン市を舞台にしている。感染力が強く、致死率が高いペストの発生が確認されたことで当局は都市封鎖を実施する。重要な登場人物は街を脱出してパリの恋人の元に帰ろうとする記者ランベール、正常性バイアスに囚われた行政に予防措置の強化を要求し、現場で治療に取り組む意思の医師リウーである。ただ、この記者はその自覚に欠け、自分の置かれた状況で記事を書くというできることを十分にしていない人物である。一方、医師の方は「市民が死滅させられる危険がないかのごとくふるまうべきではない」と行政に専門家として直言、自身の職業に対する自覚がある。

 『ペスト』において最も中核として捉えられる部分がランベールとリウー、保健隊を率いるタルーとの会話のシーンである。ランベールは、スペイン内戦を経験したため、感情に裏打ちされないイデオロギーに基づくヒロイズムに反発を覚える。そんな彼はリウ―の献身的な姿勢にもうさん臭さを覚えている。近代は政治から道徳を切り離す。政治の目は平和の実現へと変更されたが、その後も戦争は理念の実現によって正当化される。時には、これは戦争ではないとして武力行使が続けられることもある。

 この小説を読む限り、カミュには、1913年生まれであるのに、スペインかぜの記憶が忘れられている。総力戦体制の戦時下で発生したため、各国政府はその情報を隠蔽、それが感染爆発を招いていた主因の一つとされている。情報公開と国際協力が必須の感染症対応は戦争遂行と逆である。戦争と感染症に同様のヒロイズムを見る人物が登場するこの小説には、スペインかぜの経験が希薄だ。都市封鎖はスペインかぜにおいて各地で実践され、効果を上げた対策の一つである。にもかかわらず、その記憶が小説には認められない。パンデミックの経験がランベールに継承されていないことが興味深い。各政府が様々な対策を取ったものの、このインフルエンザが終息した主因は集団免疫の獲得による。そのため、社会で共有されるというよりも、感染予防が個人に帰せられてしまったと考えられる。

 スペインかぜは全世界で4000万人以上の犠牲者を出したパンデミックだったが、それを共通基盤とする国際的連帯は生じていない。第一次世界大戦を教訓に国際連盟が設立される。連盟はその規約第23条で疾病の予防及び撲滅を機能としている。1863年設立の赤十字が活動を広げるなど公衆衛生をめぐる国際的連携の動向は20世紀初頭から高まりつつあり、大規模な感染症の流行に対処する国際連盟保健機関(LNHO)が1923年に創設され、実績も挙げたがが、国際衛生事業の形成期にとどまる。それを踏まえて、WHOが誕生するのは第二次世界大戦後の1948年である。これは、人間の健康を基本的人権の一つとして認知され、その達成を目的としている。こうした経緯からもスペインかぜが教訓として世界的に共有されていたとは言い難い。

 なお、WHOの最大の課題は、情報の多元的送受信・共有、内部告発者の保護、医療資源の備蓄・合理的配分、権限の強化、別組織の設立などではなく、財源の安定性である。加盟国の拠出金はその2割にとどまる。また、寄付金は提供者が用途を指定できるため必ずしも合理的配分につながらない。アスクレピオスの杖について考えるべきはこの点だ。ちなみに、2018~19年度において最も資金を提供しているのはアメリカ合衆国である。分担金2億3700万ドル、寄付金6億5600万ドルで計8億9300万ドル、比率は15.9%である。ドナルド・トランプ米大統領はコロナ対応をめぐりこのことでWHOを罵っている。しかし、第2位はビル&メリンダ・ゲイツ財団で、寄付金5億3110万ドル、割合は9.4%を占めているが、マイクロソフト社の創業者からそのような批判を聞くことはない。

 『ペスト』において最も知られているのは次の対話である。

「今回の災厄では、ヒロイズムは問題じゃないんです。問題は、誠実さということです。こんな考えは笑われるかもしれないが、ペストと戦う唯一の方法は、誠実さです」
「誠実さって、どういうことです?」とランベールは急に真剣な顔になって尋ねた。
「一般的にはどういうことか知りません。しかし、私の場合は、自分の仕事を果たすことだと思っています」

この件は新興感染症のアウトブレイクを描いた映画『コンディション』にも意味を一般化して引用されている。これは今回のパンデミックにおける現場で治療に取り組む医療関係者の姿そのものであろう。現代人はランベールと違い、彼らを胡散臭いヒロイズムと疑いを持って見ることはない。多くは感謝の念を抱き、それを伝えようと行動で示している。だが、中には、医療従事者を感染源と言わんばかりに差別するセルフィッシュな者もいる。

 目の前で感染症に苦しんでいる患者に治療を臨むことはヒポクラテスの誓いでも知られる医療倫理の根幹である。感染の危険があるけれども、医者として最善を尽くすことは自己劇的ヒロイズムではない。

 ランベールはこのリウーの言葉に感銘を受ける。医師が仕事に戻った後、記者はタルーから彼の妻が遠くの療養所にいるため、離れ離れになっていると聞かされる。2人は似た境遇にあったというわけだ。翌朝、ランベールはリウーに「僕もあなたたちと一緒に働かせてもらえますか、町を出る方法が見つかるまで?」と電話をかける。

 カミュの『ペスト』は名作として誉れが高い。しかし、歴史的・社会的背景に応じて受容が異なる。パンデミックの経験の中で詠む時、そこに現場で懸命に働いている医療従事者の姿を思わずにいられない。そういう感情移入の作品である。

 夕食にはハンバーグカレー、ポタージュ、野菜サラダ、食後はコーヒー。レトルトカレーをもらうと、それにハンバーグを添えて食べることにしている。三つ葉とワカメの梅おかか和えを作ったが、まったく合わないので、明日の朝食に回す。屋内ウォーキングは10471歩。都内の新規陽性者数は144人。

参照文献
アルベール・カミュ、『ペスト』、宮崎嶺雄訳、新潮文庫、1969年
樋口可奈子、「新型コロナウイルス感染拡大で小説『ペスト』が予想外のヒット」、『日経Xトレンド』、2020年3月17日更新
https://xtrend.nikkei.com/atcl/contents/watch/00013/00912/
「最前線で働く人たちへ拍手をおくる『CLAP FOR NYC』がムーブメントに」、『ニューヨークビズ!』、2020年4月8日
https://nybiz.nyc/now/clap-for-nyc/

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み