2020年5月22日

文字数 5,216文字

2020年5月22日
 昨日ほどではないが、今日も眼に痛みがある。ただ、昨日は左眼だけだったけれども、今日は両眼だ。体調はすぐれないものの、眠気はない。

 パンデミックが続く中、国内に登場した「正義の人」(森毅)の報道が相次いでいる。それは関東大震災の際の「自警団」のヴァリエーションである。

 まさにそれを髣髴させる「自粛警察」が出現したとNHKは、2020年5月19日 18時02分更新「行き過ぎた「自粛警察」“感情のコントロール心がけて”」において、次のように伝えている。

外出の自粛や休業の要請に応じていない商店街や店舗などに対し、嫌がらせのような電話や貼り紙を貼るといった行為が相次いでいます。専門家はこうした行為は今後も繰り返されるおそれがあるとしたうえで、「非常事態だからこそ多様な価値があることを認識することが重要で、自分にとって耳障りのよくない情報にも触れるなどして、感情をコントロールすることを心がけてほしい」と話しています。
新型コロナウイルスへの感染が拡大していた先月、首都圏では人出が多いと報道があった東京 吉祥寺の商店街に抗議の電話や手紙が相次いだり、休業を続けていたにもかかわらず千葉県八千代市の駄菓子屋に店を閉めるよう脅迫するような貼り紙が貼られたりしたということです。
こうした「自粛警察」と呼ばれる行為について、集団と個人の心理に詳しい同志社大学の太田肇教授は、「経験したことがない非常事態で、閉ざされた家の中にずっといるとどうしても1つの考え方が暴走してしまう。やっている側は正義感に駆られて行動していてやりすぎているという意識を持ちにくい」として、多くの場合、気付かないうちに人権を侵害していると分析しています。
さらに、再び感染が広がったときにはこうした行為が繰り返されるおそれもあると指摘したうえで、「多様な価値があることを認識することが重要で、自分にとって耳障りのよくない情報にもあえて触れてほしい。そして、感情が高ぶったときにすぐに行動するのではなく、一呼吸置いて冷静になるなど、感情をコントロールすることを心がけてほしい」と話しています。

商店街では…
東京 吉祥寺の商店街では先月下旬、「多くの人が訪れている」という報道があり、抗議の電話や手紙が相次ぎました。
抗議の内容は「商店街のすべての店を閉めさせろ」、「ほかの店は閉めているのに利益をあげているのは最低だと思う」、「人出が多い商店街は武蔵野市の恥」というものでした。
中には、電話で「何考えてんだ馬鹿野郎!」とどなられるケースもあったということです。
吉祥寺サンロード商店街振興組合で事務局長を務める水野健造さんは「いきなり罵声を浴びせられて怖くなりました。外に出たときに暴力をふるわれないか不安になりました」と話していました。
商店街では、今月1日までには全体の3分の2の店舗で休業や時間短縮を行うなどして一時期、人出が減りました。
しかし、大型連休が明けた頃には再び人出が増えたということで、水野さんは「急激に人出が増えると再び抗議が来るかもしれないと不安です」と話していました。

個人経営の小規模店にも…
「自粛警察」と呼ばれる行為は個人が経営する小規模な店にも及んでいます。
中には営業を自粛しているのに脅迫的な内容の紙が貼り付けられたケースもありました。
千葉県八千代市の駄菓子屋は緊急事態宣言が出される前の3月下旬から自主的に休業を続けています。ところが、先月28日、店の入り口に「コドモアツメルナオミセシメロマスクノムダ」と書かれた1枚の紙が貼り付けられているのを見つけたということです。
カタカナの文字はすべて赤色で定規をあてて書いたような直線的な形をしていました。
店をほぼ1人で切り盛りしている村山保子さん(74)は、紙を貼ったのが誰なのか分からず、脅迫するような内容に恐怖を感じました。
以前は駄菓子のほか、焼きおにぎりや揚げパンなどの軽食も販売し、地域の子どもたちでにぎわっていましたが、この事態を受けて緊急事態宣言が解除された後も当面は休業を続けるということです。
村山さんは「最初に見たときは血の気が引きました。本当に怖かったですし、今後もさらに行為がエスカレートするのではと不安に感じています。子どもたちのために開けてあげたいですが、その思いもしばらくはかなえることができません」と話していました。

 達増拓也(@tassotakuya)岩手県知事は、「自粛警察」の生まれる背景について、次のような興味深いツイートを投稿している。

諸外国のコロナ対策が、基本的に、全面的な休業・自宅待機か、その解除か、という全か無の戦略なのに対し、日本が「感染防止と社会経済活動の両立」という両立戦略なのは、日本の「現場力」の高さに期待があるからです。現場で個人が他の人の動きを見て考えを推し量りながら、微妙な調整を行う連携力。
15:21 - 2020年5月21日

この「現場力」の影の面として、他者の動きに過敏になり、自粛警察や他県ナンバー狩りのような問題があります。現場に責任を押し付け、だれも責任を負わない無責任体質の弊も指摘されます。人権を尊重すること、責任ある立場の者は現場の状況を把握して任せっぱなしにしないこと、が求められます。
15:28 - 2020年5月21日

 「自粛警察」は日本の強みと裏腹だというわけだ。非常に鋭い洞察で、メディア上で見かける学者や作家の意見よりはるかに説得力がある。

 ただ、現場のすべてが暴走するわけではない。検察庁法改正に対する抗議運動のような大規模ではないのだから、ストリート・レベル、すなわち現場の第一線ではなかろう。その意味で「自粛警察」は丸山眞男の言う「社会の下士官」である。

 要するに第1の範疇の中間層の演ずる役割は、丁度軍隊における下士官の演ずる役割と似ていると思います。下士官は実質的には兵に属しながら、意識としては将校的意識を持っております。この意識を利用して兵を統率したところが日本の軍隊の巧妙な点です。兵と起居を共にし兵を実際に把握しているのは彼らであって、将校は「内務」からは浮いてしまっています。だから中隊長は兵を掌握するには、どうしてもこの下士官を掌握しなければならないのであります。これと同様な現象なのでありまして、この第一の範疇の中間層を掌握するのでなければ大衆を掌握し得ない。こういった地方の「小宇宙」の主人公を誰が、いかなる政治力が捕らえるかによって日本の政治の方向は決まります。それは過去でも現在でも同じことです。しかも注意すべきは第一範疇の中間層の知識、文化水準と、第2範疇の本来のインテリとの水準との著しい隔絶であります。私は外国のことはよく知り前sんが、こんなに大きな隔絶があることは日本の大きな特色ではないかと思います。イギリスでも、アメリカでも、ドイツでさえも、もっと連続しているのではないかと思われるのでありますが、-この料層の教養の違いが甚だしい事、他方第1の範疇の中間層は教養においては彼らのは以下の勤労大衆との間に著しい連続性を持っている事、大衆の言葉と、感情と、倫理とを自らの肉体を持って知っている事、これがいわゆるインテリに比して彼らが心理的によりよく大衆をキャッチ出来るゆえんです。しかも尚彼らを私が擬似インテリとか、亜インテリとか呼ぶのは、彼等自身ではいっぱしインテリの積りでいる事、断片的ではあるが、耳学問などによって地方の物知りであり、特に、政治社会経済百般のことについて一応オピニオンを持っている事が単なる大衆から彼らを区別しているからです。床屋とか湯屋とかあるいは列車の社中で、我々は必ず、周囲の人々にインフレについて、あるいは米ソ問題について一席高説を聞かせている人に出会うでしょう。あれがつまり擬似インテリで、職業を聴いてみるとたいてい前述した中間層に属しています。
 これに対して日本において、第2の範疇の中間層が一般の社会層から知識的=文化的に孤立した存在であるという事は、総合雑誌というものの存在、純文学という妙な名前があること、岩波文化といったもの、-これらがいずれもインテリの閉鎖性を地盤にして発生している事にも象徴されておると思います。例えば「タイム」や「ニュースウィーク」は非常にポピュラーなテーマとより高級な政治経済の評論の如きものが両方同じ雑誌に載っているのでありますが、ああいった雑誌が何故日本に出来ないのか。岩波文化があっても、社会における「下士官層」はやはり講談社文化に属しているということ、そこに問題があります。そこでこういう層を積極的な担い手とした日本のファッショ・イデオロギーはドイツやイタリーに比してもいっそう低級かつ荒唐無稽な内容を持つようになったのは当然の事であります。ドイツなどでは兎も角一流の学者教授がナチの基礎付けをやったわけですが、日本ではどうでしょう。無論ファッショのお先鋒を担いだ学者も少なくありませんが、まず普通は表面は兎も角、腹の中では馬鹿馬鹿しいという感じのほうが強かったようであります。日本のファシズム的統制の末端が極めてファナティクな物あるいは滑稽な物になったのは、おおむねこういう層を媒体としたからであります。例えば竹槍主義の現実的な担い手となったのはかかる地方的指導者であります。軍の上層部が竹槍を持って高度の武器と対抗できるという事を、いかに軍人が無知であっても真面目に信じていた訳ではない。そのくらい百も承知している。そういう竹槍イデオロギーの強調によって物力の足らない点を精神力でカヴァーしようというのですが、首脳部は無論そういう高等政策のつもりで、タクチックとしていっている。ところが、そうしたイデオロギーが下に浸透して「小宇宙」の親方を通過するときには本物になってくる。真正面から竹槍主義で始動する。防空演習において以下に馬鹿馬鹿しい指導が行われたかは我々の記憶に尚新たですが、それはある程度まで、こうした中間層から出た班長や組長が馬鹿馬鹿しくしてしまった面が少なくない。日本の戦争指導における多くのナンセンスはこういうところから発生していると思われます(関東大震災のときの自警団というのがやはり同じような意味を持っています。)急進ファッショの暴動の関係者、乃至右翼dな対の幹部にいかにも小学校教員、僧侶、神官、小工場の親方、小地主といった層の出身者が多いかという事はここにいちいちいて帰しませんが、兎も角このことが先に申しましたファッショ的イデオロギーにおいて労働者よりも中小商工業者や農民が重視される事に関連してくる訳であります。農村における指導層のみならず都会のスモール・マスターズでも大体農村出身者で、農村に何らかのつながりを持っているものが多い。だから農本主義は彼らの共通利害といっていい。また中央集権に対する「地方自治」の要求というのは、彼らがヘゲモニーを握っている地方的小宇宙に対する中央権力(官僚)の干渉排除の要求に他ならないのであります。官僚主義yは巨大財閥に対する反感は、こういう中間層において最も熾烈であります。それと共に先ほど申しました日本の国際的地位、つまり日本は国際的には先進資本主義国家の圧力を絶えず頭上に漢字ながら東洋の社会では一角の先進国として振舞っていたこと、一方でいじめられる立場にありながら、他方ではいじめる地位にあったという事、こういう日本の地位は、国内におけるこの層の社会的地位に酷似しております。そういうところから彼らは日本の大陸発展に内面的な共感を感じる訳です。先進資本主義の圧迫は、まさに国内における巨大資本の圧力と同じように感じられる。東亜の諸民族の日本帝国主義に対する犯行は、彼らの店や仕事場やそのほか彼らの支配する集団における乾分や目下の反抗と同じような心理的作用を彼らのうちに起こさせます。こうして彼らは日華事変や太平洋戦争の最も熱烈な支持者になったのであります。
(丸山眞男『「日本ファシズムの思想と運動」)

 「正義の人」は「社会の下士官」である。日本の社会では士官でも兵でもなく、下士官が暴走する。日本におけるパターナリズムもそうした特徴があるのだろう。

 夕食には、牛肉と野菜の炒め物、ワカメのナムル、野菜サラダ、キムチと海苔のスープ、食後には玄米茶。屋内ウォーキングは10232歩。都内の新規陽性者数は3人。

参照文献
丸山眞男、『現代政治の思想と行動』、未来社、1964年
「行き過ぎた「自粛警察」“感情のコントロール心がけて”」、『NHK』、2020年5月19日 18時02分更新
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200519/k10012436311000.html

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