2020年4月22日

文字数 1,853文字

2020年4月22日
 最も単純な経済社会は『ロビンソン・クルーソー』の世界である。こうした自給自足は経済について考える際の出発点と位置づけられる。この小説の作者ダニエル・デフォーが『ペストの記憶( A Journal of the Plague Year)』(1722)を著わしている。これは、ロンドンの人口の2割が死亡したとされる1665年のペスト大流行(Great Plague of London)の経験を後世の教訓にするため、膨大な資料に基づく小説である。事実を大本にしつつ、想像を加えたノンフィクションとフィクションの混合で、城山三郎や山崎豊子といった今日の経済小説の先駆と見なせる。

 経済には相互性があり、ある出来事が起きると、それにより影響が広範囲に及び、ジレンマが生じる。経済小説はこうした相互性と葛藤性を取り扱う。感染症をこういった経済小説の観点から捉えているので、今回のパンデミックをめぐる状況に重なる部分が多く、まるで今を描いているようにさえ思える。この経済小説で、感染制御と経済活動や行政による社会暴利と個人の利益などのジレンマに人々は揺れ動く。ジレンマには一つの明確な解答はない。このようなジレンマの状況で人はやりくりしていくほかない。これしかないとばかりにアクセルを踏みこんで突っ走るのではなく、速度制限やハンドル操作を慎重にしていく方が賢明である。この小説の伝える教訓はジレンマに直面した時のこういった態度の重要性である。疫病を扱った文学作品では最高傑作の一つだ。

 デフォーが今日でいうノンフィクションでなしに、経済小説の形式を採用したのはジレンマを追体験し、そこから教訓を得て欲しいと考えたからだろう。読者は登場人物に感情移入し、ジレンマを生きられたものとして体験する。そうした考え、その時の教訓とする。
 抽象性は文脈に依存しにくいため、汎用性が高い。経験を将来への教訓とするなら、抽象化の方が適している。しかし、多くの人々は抽象的要約より具体的実例を理解しやすい。論文を読んで思考するよりも物語の登場人物に感情移入する方を選ぶ。パンデミックに際して、感染症の流行を扱った小説に関心が高まって売れたり、メディアで取り上げられたりする。けれども、そうした作品が今のパンデミック化の状況と通じているとは限らない。具体的な物語にとらわれず、抽象的な構造を見るなら、むしろ、感染症とは無関係な作品の方に相通じるものがある。一例が映画『ジョーズ』である。この作品がそれを思わせるのは経済など社会における相互性と葛藤性を捉えているからだ。しかし、多くの人々はそう考えず、感染症流行の作品に飛びついてしまう。

 ノンフィクション作家は、具体的な内容を伝える資料がない限り、会話の細部に立ち入らない。一方、経済小説家は、おおよそがわかっていれば、内容を再現するどころか、表情まで描写する。読者はその具体性に感情移入し、作品世界に引きこまれる。ただ、ストーリーや登場人物に関心が集中し、知識の習得には及ばないことも少なくない。知識は抽象化して体系に位置付けられて汎用性を持ち、今後に生かされる。情に訴えるため、経済小説は後世への教訓よりも同時代への告発の方に向いている。デフォーの小説も、本来、そうした読み方に適している。今日の読者が特に共感するのは、ジレンマ状況に置かれているため、それを共通基盤としているからだ。

 ところで、現代の文学批評は歴史的アプローチと解釈的アプローチに二分できる。前者は社会史の援用である。ミシェル・フーコー流の読解とも言い換えられよう。後者は広範囲の学問領域で認知されている理論を選び、それに基づくテキスト解釈である。マルクス主義やフェミニズム、ポスト植民地主義などが代表的な理論で、主張の妥当性はそれが保証する。新型コロナウイルス禍の影響は極めて多様な影響を社会に及ぼしている。こうした状況においては多種多様な知識を動員して作品を考察する「俯瞰批評(Comprehensive Criticism: Bird's-eye view Criticism)」が求められる。それは批評の多変量解析とも呼べるだろう。

 夕食は、小松菜と豆腐の豚キムチ、ジャーマンポテト、キンピラゴボウ、野菜サラダ、とろろ昆布汁、食後は緑茶、リンゴ。ウォーキングは10147歩。都内の新規陽性者は132人。

参照文献
ダニエル・デフォー、『ペストの記憶』、武田将明訳、研究社研究社、2017年

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