2020年4月3日

文字数 1,122文字

2020年4月3日
 朝、咳は出るが、昨日より軽い。胸の痛みもない。ただ、右の脇腹が痛む。

 社会が危機的状況に直面すると、国内外を問わず、思想家は予言者や長老のように振る舞いたがる。新型コロナウイルス禍においても同様だろう。その論の構成には共通点がある。従来からの自分の関心に基づいて禍を歴史的に位置付け、生じる諸問題に言及、これを機に、それを踏まえた新たな世界や社会、国家の在り方を提言する。彼らは今と言うより、将来の展望に重心を置いている。しかし、それは今回の禍でなくともいえることだ。

 今回のパンデミックが目をつぶってきた既成の諸問題を増幅して顕在化したことは確かである。自然災害や経済的ショック同様、貧富の格差や差別、移民、雇用形態など既存の諸問題を増幅した被害をもたらす。思想家たちはそこからパンデミックをそれらのメタファーやアナロジーで語ろうとする。災禍よって社会が変わるという願望は従来の社会に対するいら立ちから発せられている。しかし、それは五輪や万博によってイベントを起爆剤にして日本が変わるという発想とさほど違いはない。思想家は批判してきたグローバル化や資本主義、国民国家、戦後体制など自らの対象と結びつけ、それを片づけ、自身の夢を実現したいという誘惑にかられている。リーマン・ショックや3・11の時に示されたように、あたかも禍待望論と見えるものさえあるに違いない。そうした楽観論は、新秩序が到来するどころか、旧秩序の急速な巻き返しに遭って、裏切られるものだ。フクシマを経験しながら、日本政府は脱原発に慎重な政策を取り、その復興にかこつけて東京五輪の誘致を後押ししたほどだ。必要なことは、禍の経験の共有に基づき、そこから学んだことに取り組み、何を変え、何を変えないかの社会的コンセンサスの形成だ。予言や教えではない。

 リスクの程度の差こそあれ、世界中の人々に新型コロナウイルスに感染する可能性がある。誰もが感染のリスクにさらされ、その経験を共有している。そのために世界は動きをできる限り止めなければならなくなってしまう。これは21世紀において初めての経験である。共有した経験をどのように生かしていくかが重要である。願望に囚われて、十分に向き合わなかったために、諸課題が解決されず温存されてしまったことを思い出すべきだ。ペスト禍の経験の共有から同時代を扱った『デカメロン』の文体が生まれている。新型コロナ禍の経験の共有がこれからの世界や社会の基盤となるだろう。

 夕食はもつ鍋、食後はコーヒー、干し柿。屋内ウォーキングは10045歩。都内の新規陽性者数は89人。程度の低い首脳の問題を国民国家や国際機関の限界とすり替えてはならない。
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