サムウェア (13)
文字数 1,656文字
アゲハの手綱をとったままパトリシアが横を見ると、白いほうき星は嬉しそうに並んで
と見るまに、追い抜いて先へ行ってしまう。
くるりとターンして戻ってくる。さっきからそれのくりかえしだ。
(よく落とさないよ!)
はらはらする。遊んでるひまがあったら、先に降りてってくれないかな?
肩越しにふりかえる。ミランダが中腰だ。
「ミラちゃん座って。危ない」
「うん、でも」
「何」
「御曹司が、さっきから」
「え」
「こっちに飛び移ろうとしてる」
「ええ?!」
逆だった。白狐がふざけていたのではなかった。乗り手の指示だったのだ、横付けしろと。
(本気?)
あわててチキ号の手綱を引く。
チョウはトンボと違ってふつうホバリングはしない。できない。だけどせめて最大限安定させないと。
(チキごめん。いい子)
白い光が頭上を覆い、
「御曹司」
ミランダの悲鳴に合わせるかのように、
斜め上から、
男が一人、降ってくる。
こういうときって、すべてがスローモーションに見える。
パトリシアの肩を跳び越えて
後部座席に
着地した。
かるい衝撃。
肩越しに目視して確認。よし。
正面に戻る。
「無事だったんだ」背後の席で言っている。「よかった」
男のほうの声だ。
「逢いたかった」
(え、何)
五秒ほどの無音。
五秒ってあんがい長いですよ。なんなら数えてみてください。
パトリシアがもう一度ふりかえろうとした瞬間、さっきとは別人のような怒声が放たれた。
「うそだろ?
おまえ、バカ姉のほうか!!」
「はあ?!」ミランダもどなり返す。「バカ姉って何それ、迎えに来てやったのに!」
「頼んでない。まぎらわしいことすんなよ」
「何まぎらわしいって」
「手振るとか」
「振ってないし」
「振りそうな感じだった」
「だから振ってないし!!」
「うっせ、声でか。降りろ」
「は?」
「乗車拒否」
「あんたがいま乗ってきたんでしょうが!!」
「あのう」
おそるおそるふりかえるパトリシアだ。
「お取りこみ中すみません」
「何」
みごとに二人がハモり、パトリシアは吹いた。
(もしかしてこれ、通常運転?)
「えーと、はじめまして」
「この人は、巴さん」ミランダが説明する。「木曽の」
「あっ」
あわてて居ずまいを正され、パトリシアのほうが面食らう。
「その節はどうも」
「いえ、こちらこそ、どうも」
何言ってんだという話だが、かつて彼女の属する木曽勢を壊滅に追いやったのは義経軍だから、ノーサイド後とはいえ初対面としてはかなり気まずい。
はずだったのに、いまので笑って、気まずさなんか吹っ飛んでしまった。
「フロどうした」
三人で下をのぞきこむ。
「あ、もうあんなとこ」
勢いあまって海に突っこんでいったらしい。水しぶきが上がっている。
そこから岸へ向かって泳ぎだした。
「きつねって泳げるんだ」
「速い速い。犬かき、じゃないきつねかき」
「よかったー。どうなるかと思った」
浜へ上がって、ぶるぶるっと濡れた体をふるっている。
「ほんとワンコ」
「あ、くしゃみした」
三人で笑う。
「わたしたちも降りますから」とパトリシア。「段取り教えてあげて」後半はミランダにだ。そして正面に戻る。
「さっきの浜辺で集合なの」背後でミランダが説明している。「みんな待ってる」
「みんな?」
「武蔵くんとか」
「あー」置いてきてたのを初めて思い出したらしい。
「ヴァレ兄とか」
「あいつもいんの?」
「何その嫌そうな顔。このチョウチョ彼が手配してくれたんだよ」
「げっ。まじか」
「何降りようとしてんの。ばかなの?」
「ひさしぶりに聞いたなーそれ」
パトリシアの背中が笑っている。
とぎれないように話しつづけながら、ミランダの心臓はまだばくばくしていた。
(や……やばかった。超寸止め)
(してないよね? さわってないよね?)
(さわったのあれ……唇じゃないよね?)
(どしたの御曹司。
あたしとアリア間違えるなんて)
(そうか、だから飛び移ろうとしてたんだ。
嬉しくて)
(あんな声出すんだ。あんな優しい。
切ない声)
(知らなかった)