サムウェア (7)
文字数 1,775文字
まず、流刑地で、新院は写経を思い立つ。
「
長い。
言うだけアホだ。長い。とんでもない量だ。
三年かけて写し終え(三年ですぞ三年!)、弟の後白河帝のもとへ送る。
「どうかゆるしてください。これを、都の片隅にでも納めてください」
真心こめた手紙を添えて。
だが、受け取った朝廷の人々は、びびった。
(うそだろ)
(何か裏の意味があるんじゃないのか)
(呪い?)
(これ受け取っちゃうと呪いがかかるとか?)
(見てから一週間以内に他の人に転送しないと死ぬとか??)
それは貞子。
人間、自分に後ろめたいところがあると、相手の誠意を信じられない。
お経は全巻、突き返されてきた。
ここまでは史実。
問題はその後だ。レジェンドによっていくつかバリエーションがある。
新院は泣き崩れる。または、返されてきたお経を庭土に叩きつける。
「もともとわたしに罪はないのに」
「しかもこんなに謝っているのに」
激情にまかせて、おのれの舌の先を食い切る。あふれる血潮で、突き返されてきた経文の最後のページに書きつける。
「我、願はくは、日本国の大悪魔とならむ」
その経を千尋の海に沈める……
瀬戸内海はそんなに深くないと思うんだが。
バージョンによっては、お経ぜんぶを血で書いたということになってたりする。
そんなに血出したら写経しながらすでに死ぬと思うんだが。
で、その仕上げに口から血だらだら流しつつ髪と爪のびほうだいのもじゃもじゃペーターになって死ぬ。
舌食い切ってからもじゃもじゃまでタイムラグがありすぎると思うんだが。
「哀しかっただけなのに」微笑んでいる、かの君だ。
「哀しいからと言って、恨みと憎しみにまみれるとはかぎらないのに。
そう言っても信じてもらえない。そのことも、哀しかった」
「わたしは、帝だったのだよ。
みんなの幸せを祈るのがわたしのつとめで、滅びを願うなど、あり得ない。
子どもの頃からそう教えられて育った。それが帝王学というもの……
あ、痛た」
「すみません
三人官女たち、容赦ない。もうー、せっかくいいところなのに!
「ボタンくらいはずせるよ、自分で」ちょっと不満げなかの君だ。
「うそおっしゃい。カフス苦手じゃないですか」
「そこ押さえててくれればできる」
「かえって手間なんです」
けっきょく立ったまま、お姉さんたちのされるがままになっている。これだからやんごとない人は。
「はずかしいな」
「いまさら何おっしゃってるんですか。判官どのの前だからって良い格好しようとしないで」
「はは、見抜かれたか」
つややかな白シャツの袖口から、襟もとから、女たちの手でぷつりぷつりと貝ボタンがはずされていく。
はらりと布が落ちて、肌があらわになった。
(!!)
「これがわたしだよ。クロードくん。
見てくれたまえ。どうか目をそむけないで。
怖い?」
いや、見てます。見てますけど。ガン見させていただいてますけど。
背中いちめん──
青い和彫りって?!
(せ、青海波? 鱗??)
藍、群青、紺碧。きらめくディープブルーのグラデーションだ。
下は白い袴で、すらりと立っている。
心なしか背も高く──
「これね」無邪気に言われた。「彫ったのではなくて。
流刑のあいだ、ひまだったのでね。なにしろ八年間ステイホームだもの。
写経し終わってもまだ時間あまってたから、いろいろ本読んで勉強してたら自然こうなった」
いやふつうならない、ならないっしょ!! なにそれ、どんな本よ? マジやばくね?
「まあいろいろ。ハウツー本?
火や水や風の使いかた」
もろヤバいやつじゃねーか!!
けっきょく一周回って大魔王になってんじゃん!!
「舌は噛み切ってないよ。あはは」
あははじゃねーし!!!
「まあ、もともとわたしは
ヒューマノイド型の封印が解かれて、先祖がえりしただけとも言える」
ほどかれた髪が天に向かって立ち昇る。風もないのに──いやむしろ、輝く髪の流れが風を巻き起こす。
「おいで」
「へっ?」
いやもおうもない。
次の瞬間、クロードの体は、かるがると空中に吹き上げられていた。