オーバー・ザ・レインボー (3)
文字数 1,295文字
お助けしたかった。
そう叫びたくても、声がのどから出ない。
引き離してしまった。母と子を。
母しか、助けられなくて。
世界史的に見て、他に類がないそうだ。
文芸としても、また史実としても――
戦いに負けた側が、一族そろって、みずから死を選んだという例は。
『平家物語』に平家の陣中で、敵方の坂東武者たちの強さを伝え聞く場面がある。
「親は子の、子は親の
みな驚き、ぞっと
だが私は、本当にふるえあがったのは、
手に手を取って壇ノ浦の海に飛びこんでいく平家一門のすがたを目の当たりにした、源氏方のほうだったにちがいないと思う。
想定外、だったのではないだろうか。まさか
義経だってむろん「幼帝と三種の神器の奪還」という最優先ミッションを忘れていたはずがないのだ。このバカ小説ではさんざんいじり倒していて本当申し訳ない。
予測も理解もできなかっただけではないだろうか。
自分たちは、しゃにむに生きることに──
食うか食われるかの戦いに──
身近な者の屍を踏み越えて生きのびることに、あまりに慣れてしまっていて。
『平家物語』で坂東武者たちは、平家の女性たちの衣を矢で船に射止めて飛びこめないようにする。すでに飛びこんでいるのを助け上げる。必死に。
そうしてかろうじて三種のうち、鏡と勾玉は確保する。
幼帝と宝剣を失ったのは、痛恨、
だったはずだ。
幼帝の母君、中宮徳子(とくし/のりこ)は、入水したものの、波になびく長い黒髪を熊手にからめとられ、救われた。
生き残ってしまった。
「お母上は──」
誰の声だろう。潮風に乗る。
「たいせつなお仕事があって、あとにお残りになったのですよ。
われらが苦しまぬよう、幸せに暮らせるよう、お祈りしてくださっているのです」
「ほんとう?
朕は、ちゃんと、良い帝だった?
母上は怒っていない?」
「お怒りになるものですか」
「朕をきらいではない?」
「大好きですよ。
われらもです。
主上は、最高の帝です。いまも。
われらの帝は、主上御一人です」
「もう天のうはやめたんだよ」
「そうでしたね」
「げんじのおにいちゃんがあそんでくれなかったから、ちょっといじわるしたの」
「母上は、いつおいでくださるの?
そのおしごと、だれかかわってくれないの?」
「そうですね。
代わりに祈ってくれる人たちが見つかれば」
「そしたら、来てくれる?」
「能登。抱っこ」
「はい」
「かたぐるま」
「はい」
「どうして泣くの? みんなも」
東京で地下鉄に乗る。車内アナウンスが告げる。
「
きれいな響きの駅名だ。安産と水難よけの神さま。
母子神だと、最近知った。
安徳帝と建礼門院(徳子)だと。
久留米の本宮から江戸時代に
こんなに身近にいたのだ。
第八十一代天皇、
長じていれば、
ぬきんでた聡明さと情け深さを兼ね備えた、稀代の名君になり得たかもしれない。
バタフライ効果というなら、この幼帝こそ可憐な蝶だ。
彼が生きのびていれば、
歴史は、変わっていたかもしれない。