慈円くんと頼朝くんのラブラブLINE?
文字数 1,594文字
ではないと思う。
でも、いい話なので、ぜひこのページ、最後までおつきあいください。
源頼朝が和歌を詠める人だった、ということじたい、つい最近になって知った。
数十首が残されている。
どこにかというと、慈円の歌集である『拾玉集』の中に収められている。
慈円との贈答歌だからだ。
二人合わせて七十四首。そのうち、かなりの数が、どう見ても恋歌。
最初のうちはホトトギスがどうしたのと優雅な歌を贈りあっているのだが、あるとき頼朝が手紙の本文に
「こんな手紙をやりとりしていたら、わたしの奥さんにあなたが疑われてしまいますね(笑)」
と書いてきて、慈円が
「あなたのためなら『愛人じゃないの?』などと疑われても、わたくし後悔はいたしませんことよ。僧の身ですけれども(笑)」
(君ゆゑは あやしきつまの名立つとも うらみはあらじ 墨染の袖)
と返歌してから、きゅうに盛り上がりだす。
いま「(笑)」と書いたのは私の補足だ。私はこれ、冗談だと思うのです。
もとの歌を省略して、内容だけ現代語に訳すとこんな感じ。
頼朝「偽りの言葉ばかりの世の中だから、きみがぼくを想うというのも本当かなと思う」
慈円「世の中が偽りばかりだからと言って、わたしもそうだとお思いになるなんてひどい。信じあう二人には関係ないと思っていたのに」
頼朝「ああ、そんな意地悪を言うなんて、もうぼくのことが嫌いになったの?」
慈円「あなたひとすじで他の人なんて目に入らないのに、疑うのはあなた自身にやましい心があるからじゃなくて?」
頼朝「ぼくは見てのとおり、表も裏もない
イチャイチャにもほどがある。笑
でもその後、ふつうに「友」と呼びあう歌に戻っていく。だからやっぱり冗談なのだと思う。
以前、在原業平の歌を読んでいたら、業平くんが舅(奥さんのお父さん)の紀有常さんと、まったく同じ感じでイチャイチャ恋歌を贈りあっていた。これは完全にジョークだ。
そういう遊びを、平安貴族たちはしてたんでしょうね。
季節の歌はひとつ詠めばそれで完結だけど、恋歌は、相手とずっとラリーが続くから面白い。恋愛小説のコラボみたいなものじゃないだろうか。おたがいに台詞を書きあいっこ。
気の合う相手となら、楽しいに決まってる!
ツンデレる女に対して男がけんめいに言い訳する、という黄金パターンを決めて、歌人として経験値がずっと上の慈円くんが女役を引き受けてあげてるように見える。
きっと一通来るたびにわくわく開いて、「そう来たか!」と大ウケして、「じゃこれでどうだ!」と返して。
頼朝は鎌倉で、こんな遊びにつきあってくれる相手は、誰もいなかっただろうな、と思う。
問題は慈円のほうだ。
彼には、歌を詠みあう相手なんていくらでもいたはずだ。
それでも、この七十四首を、頼朝の歌を削除せずまるごと自分の家集に収めているということは――
やっぱり、楽しかったんだろうな、と思う。
征夷大将軍だの天台座主だの、おたがいそういうのをぜんぶ取っ払っちゃって、ひととき二人が夢中で遊べたのだったら、いいなと思う。
なんだか、嵐の黒雲のなかに小さく開いた、青空みたいだ。
慈円は手紙の地の文で、頼朝が京に住んでくれたら「世のため(みんなのため)」にも良いのでは、と提案している。
そんなの無理だと、本人もわかっていただろうに。
それに応えてかどうかわからないが、のちに頼朝は兼実に(慈円じゃなくて)
「今年こそかならずもう一度上洛して、いろいろなことをお話ししようと思っています」
と手紙を送っている。
その約束は実現しない。
頼朝はその直後に、帰らぬ人となるからだ。
※参考:
安斎貢「頼朝と慈円の和歌の贈答について」(論文)
『日本文學研究』46(大東文化大学紀要、2007年2月)、33-44ページ.