オーバー・オーバー・ザ・レインボー (6)
文字数 1,254文字
ウィンストン卿がまた言い出した。
兄弟はすでにレストランを出て、エレベーターホールにいる。
どうやら彼、まだ話し足りないらしい。
場所を変えますか?
と言ってあげたい気もするし。
それも面倒だという気もするエイドリアンだ。
「読んでますよ」と兄。
「何をですか」と弟。
「あなたの小説」くすりと笑っている。
「いまは投稿サイトなどというものがあるんだね」面白そうに言う。セレブすぎて下々の事情はよくご存知ないらしい。「便利な世の中になったものだ。何でしたか、あの──」
「キクヨム(聞く詠む)ですか」
「あそこに出ている『
「本人に許可は取っています」エイドリアンは笑った。「さすがはお兄さまだ。なぜわたしだとお気づきになりました?」
「どう見てもあなたの文章だもの」
「ははは。お見通しでしたか」
「『平家物語』。良いタイトルですね。
『治承・寿永クロニクル』などではなく。
すっきりしていて、伝わる」
「ありがとうございます」
「よくわかる。これは、平家の物語なのだと──」
「
「ええ」
「清盛という稀代の悪人が、仏罰を受け、子孫もろとも滅ぼされる物語なのだと」
「ご期待に添えておりますでしょうか」
「期待以上です」
「それならよかった」
エレベーターホールの会話は、いまやごく低いささやき声だ。
こんな極秘の話こそ個室ですればいいはずなのだが、
別れぎわになってから、つい本音が出る、というのもまたよくある話だ。
「わたしが書いているということは、どうか内密に」弟はささやいて、にっこり笑う。
「そう?」かるく眉を上げてささやき返す兄。「延暦寺お墨付きの公式ストーリー、と発表したほうが、アクセス数も伸びるのでは?」
「いえいえ。あくまでも、名もなき民衆の皆さまが語り伝えたという形が重要ですから。
わたしの関与はそのうち知られるでしょうが、たんなる監修ということで」
「内容には」
「タッチしていないと」
「なるほど」
「これは、
源平
の物語だと。赤と白が争い、赤が敗れ、滅びゆく物語だと」
「頼朝くんが反旗をひるがえしたのは──」
「あくまで、清盛公に対してであって」
「
朝廷にではないと
」「朝廷はあくまで、巻きこまれた犠牲者。
延暦寺もです。
鹿ヶ谷で院の近臣たちが、わたしどもを襲撃しようという計画を練っていたなど、めっそうもない。
あれはあくまで」
「清盛公の暗殺計画」
「そう。清盛公は」
「延暦寺との全面戦争などという、後白河院サイドの暴走を未然に防いでくれた──のではなく」
「ご自分がねらわれたから怒っただけ」
「みごとな、プロットです」
ウィンストン卿の声がうなるようにかすれる。
「わが弟ながら天才ではないのか」
「いえいえ」
「天才は頼朝くんですよ」
「そうか」
「あの子のアイデアでしたでしょう、もともと」淡い笑みを浮かべ、たんたんと話すエイドリアンだ。「この筋書きを最初に考えてくれたのは、頼朝くんです」