オーバー・オーバー・ザ・レインボー (1)
文字数 1,403文字
憂き世の民に 覆ふかな
わが立つ
――おこがましい願いだけれど、
このつらい世界に生きる人たちみんなを、守ってあげたい。
皆さんの上に、ふわりとかけてあげたい、
わたしのそまつな墨染の衣、その内に秘めた、切なる祈りを。
わたしが聖なる山に入り立って、住み始めた(住み
小倉百人一首第九十五番、
ほっ、
と小さな息をついて、男は窓から空を見上げる。
その身も頭も、見るからに高価な錦の法衣と帽子(「ぼうし」ではなく「もうす」というらしい)で包まれている。
小説で「空を見上げる」と来るときには、たいてい小さなちぎれ雲が流れているものだ。その白雲を見つめつつ、きららかな僧形の男は思う。
(「おこがましい」というよりは——)
(中二病だった)
ちょっと赤面したりしている。
この男、
天台宗のトップ、〈
と、短く紹介しておいたほうがグレートな感じでいいかもしれない。
というのは。
この人、せっかく大僧正になったのに数か月でさっさと辞めちゃったんで〈前〉大僧正と呼ばれたらしい。座主を何度もつとめているのも、座主になるたびに辞めちゃっては呼び戻されたかららしい。
何やってる。
天台座主ってようするに比叡山延暦寺の頂点に君臨する人だ。そんなスーパーグレートなポジションなのに、なぜくりかえし
最近いろんな歴史書や歴史小説を読んでいてつくづく思う。みんな
人は誰しも権力に憧れる
権力の座につくためなら何でもする
ということを、ちょっと当然視しすぎてないか。
もしかしたら、たまーに、突然変異で、権力や名声や成功にはまっっっっったく興味のない人間がひょこっと出現するかもしれないじゃないか。そして皮肉なことに、そういう人にかぎって成功の女神にがっちり首根っこをつかまれて放してもらえなかったりする。
この慈円くんのように。
いま「くん」呼ばわりしちゃったがどうしよう。
慈円僧正、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では山寺宏一さんが演じておられて、かなりの老けメークなのだが——
じつは彼、頼朝より八歳も年下なんである。
うーん。まあ、ここはこの小説定番の年齢補正で、マイナス8は無理としてもやっぱり二十歳そこそこくらいの雰囲気でどうでしょうね。そしてやっぱり美形。だって美形か超美形しか出てこない世界観なんだもん。しかもお坊さんでしょ? やばい。(何が)
目が切れ長で、鼻筋が通っていて、静かな中に意志の強さを感じさせる、なんてどうでしょう。いいね! でもね、色白なのだ。男らしい顔だちなのに色白、もち肌。そういう人いますよね。作者の知りあいにはいますよ。
そんな彼が、窓から空を見上げて、
(ほっ)
とため息をついてるんですね。
あー、ちぎれ雲じゃ足りない。虹くらい出しちゃおっかな。
それより、どんな窓?
作者が窓のデザインを決めかねているあいだに、部屋に——部屋じゃない、エレベーターホールに誰か入ってきた。
気配を感じて慈円くん——
清らかにも、あいまいにも見える微笑。消えかけた虹のような。
三面ガラス張りの高層フロア。
地上百メートルはゆうに超えている。
ここは帝都。メガロポリスKYOTO / TOKYOの最深部だ。