オーバー・ザ・レインボー (7)
文字数 1,162文字
「そんなことありませんわ」
「だって」男の声に涙がにじむ。「草を摘んでこさせる下女もいないなんて」
「え?」
「知らなかった。申し訳ない。
すぐに誰か来させよう。雑用はその者らに——」
「やめてやめて、お義父さま。雑用だなんて。違うの」
「え」
「わたしが自分でやっているの」にこにこしている。「楽しいのですもの。わたしの楽しみをおとりあげにならないで」
「楽しみ?」
「ええ。
わたし、子どものころから、身のまわりのことぜーんぶ、誰かがしてくれていたから──」
「いま、何もかも自分でできて、とっても嬉しいの。
お掃除もお洗濯も、大好き。
こんな小さなお家で、お着物もこれだけだから、すぐ終わっちゃうけど。これじゃ働くうちに入らないわね。あはは」
花のように笑って、見まわす。
つられてめぐらした法皇の視線が、壁の一点でとまる。
「ああ、これ?」
女院は立って、そのクレヨンの絵を下ろしてきた。
そまつなボール紙にていねいに貼られている。幼児らしい、元気いっぱいな色づかい。紙からはみ出してしまいそうだ。
「主上が描いてくださったの。見て見て、これわたし」
人間なのか串をさした芋なのかよくわからない造形のとなりに、力強く〈まみい〉と書いてある。
「これはお義父さま」示す指の、桜貝のような爪の先に、別の芋。
「おお……」
〈じいじ〉と書かれてある。
「でね、こっちがうちの父上ですって」
〈ろくはらじいじ〉と書かれてある。 ※六波羅は清盛の館。清盛自身を指すことも多い
安徳帝の描いた〈じいじ〉と〈ろくはらじいじ〉は、
つないだ手を高く上げてバンザイし、ともに大きな口をあけて笑っていた。
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涙をこらえられない後白河院に、そっと建礼門院がハンカチをさし出す。
「忘れようと、しても」自分も目尻をぬぐいながら微笑む女院だ。「忘れられるものではないから。主上のことは。
どんなにお経をとなえても、心を透明には、できないから……
もう、いい、と思って。仏さまも、ゆるしてくださると思うの。
この悲しみも、愛しさも、煩悩だというのなら、
きっとこの煩悩ごと、仏さまはゆるしてくださるだろうと思って」
「あの子のことを忘れられないおかげで、こうして、朝晩のお祈りも忘れずにすんでいるのだから。
これも、あの子のくれた贈り物だと思って」
半丈の庵室に、柔らかな声がひろがる。
先帝のきよらかな霊と、一門の亡魂が、どうぞ正しい悟りをひらいて、すみやかに成仏なさいますように。
ふと、水をしたたらすような鳥の声が響いて、
「あ」
二人同時に声が出た。
「ほととぎす」
「こんな近くに──」
すぐ庭先の梢をわたっていくらしい。
「ね、お義父さま、素晴らしいでしょ? このお家」