第48話

文字数 1,020文字


「あなたのご両親を一代と考えると二代前で四人、三代前で八人の人たちがあなたの誕生に関わっていることになるのね。五代前だと何人になる?」
「二の五乗だから三十二」
「あらあら、算数が得意なのね。十代続くと何人?」
 暗算で「千二十四人」と答えた。
「二十代では?」
 と訊かれて、もう限界だった。奥さんは棚の上から卓上電卓を取って、素早く計算をした。
「一〇四万八五七六」
 ぼくにデジタル表示の数字を見せた。もう桁数なんて判らなかった。

「二七代で、一億三四二一万七七二八人。もう日本の人口を越えているでしょう」
 ぼくは頷くしかなかった。このにこにこ顔の奥さんは、いったい何者なんだ。
「三十代だと十億七千三七四万一八二四人。何万年も前からの祖先を数字に置き換えると、もの  すごい人数になるでしょう。あなたが、いまここに居るということは」
 言葉を止めてぼくの目を覗き込んだ。
「無限の過去から、無限の未来までを抱く者として存在しているのよ」
 ぼくは思わず「ワォッ!」と呻いた。何億人もの祖先の事なんて頭の片隅にも無かった。

「人間の命は地球より重いって、そういう意味だと私は思うのよ。もっとも人間だけではなくて、全ての生き物も同じよね」
「ナメクジもですか?」
 ぼくはなんとか反撃を試みた。
 さっきの巨大ナメクジを捕まえてきて、奥さんの袖口に投げ込んでみたい。
 ユーコが身震いして、自分で両肩を抱いた。
「あらあら、ナメクジ……」
「ゴキブリや蚊はどうですか? 奥さんは殺さないですか?」
「私たちは人として生まれてきたわけだから、天寿を全うする務めがあるのよ。そのために感謝の気持ちを持って殺生するしかないこともあります」
「ずいぶんと身勝手な理屈ですよね。感謝して殺生すれば全て許されるんですか?」
「許されないことがあるから、あの方の様に毎日お参りに来られる人もいるのです」
 奥さんの言い方は幼稚園の保母さんみたいに優しいけど、「お前は何も判っていない」とばっさり斬られたのだ。
 賽銭箱にしがみついていたおばさんの後ろ姿が脳裡に浮かぶ。

 ぼくは助けを求めてユーコを見た。
「あたし算数は苦手だから、途中から聴いてなかった」
 ユーコは素っ気なく言った。
 そして「ゴキブリは怖いから殺さない。あたしが逃げる」と肩をすくめた。
 
 何も考えられなくなった。
 ぼくは、あぷあぷと口を動かして酸素を脳に送り込もうとした。
 しかし、ここは酸素が不足している。浅い呼吸しか出来ない。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み