第13話

文字数 1,103文字


 演劇界に衝撃を与えるはずだった旗揚げ公演で、どんどは分裂の危機を迎えた。
 その夜、伊田さんがぼくと後藤を入れて六人の座員を池袋の飲み屋に集めた。  伊田さんは、「昔の状況劇場と状況は同じだ」とダジャレとしか思えないことを真顔で言ってから説明した。
 唐十郎と笹原茂朱の「状況劇場」も「一つの劇団に二つのオリジナリティは存在しない」と分裂した。そして、唐十郎は李礼仙と共に状況劇場(第二次)を継続し、笹原茂朱は「夜行館」を立ち上げた。
 だから、「お前たちはどっちに付くか、今ここで答えろ」と伊田さんは立ち上がって腕を組んだ。仁王立ちだと、心の中でツッコミを入れたのはぼくだけじゃ無かったはずだ。
 ぼくと後藤が座長、三人はタジさんを選んだ。

「明日の公演が中止になっても、俺は仕方ないと思っている。座長とタジさんを責めるな。そして、お前たちはよくやったぞ」
 ぼくたちは別れの盃を交わした。アルコールがダメなぼくはオレンジジュースで。

 二日目は朝から雨だった。
 コーヒーを飲んでいるのを見かけた。いつものことだけど、今回は貴衣さんも許せないようだ。
 けっこうきつい蹴りだったけど、伊田さんは痛がりもしないで起き上がった。
「これだけしか、なかったです」
 ぼくは部屋からかき集めた千円札と硬貨を座卓の上に置いた。
 千円の前売り券は、八十枚ほど未回収がある。
 人数分を用意する必要があった。昨日の売上で返金は出来るけど、千円札が足りない。一万円や五千円は安い買い物をすれば崩せるけど、そのために不必要な買い物をする余裕は無い。今夜が中止だと大赤字だ。
「思いついたけど、質屋って換金してくれないかな」
 貴衣さんが、茶封筒に百円玉を十個放り込みながら言った。
「両替に伴い不必要な労力や電気代などを消費させるので、業務妨害罪が適用します」
 伊田さんがすかさず答えた。弁護士志望だということを思い出した。
「顔見知りで後から精算出来る人には、引換券を発行するというのはどうですか」
 前売り券の大半はぼくが売り捌いたので、事情を話せば相手も了承してくれるはずだ。
「引換券の偽造が出回ったらどうする」
 伊田さんがニヤッと笑った。少し元気になった様だ。
 今夜来てくれた人の前売り券の裏に「どんど」の朱印を押して、後日返金ということで話がまとまった。

「遅くなりました」
 後藤くんが階段の途中から、甲高い声を出して駆け上がってきた。
「涙雨だな」
 また伊田さんが言った。
 息を切らせながら後藤くんは、窓の外に目をやった。
「そうですね」
 今にも涙が落ちそうな顔になった。
 ぼくたちが池袋の劇場に着くと、タジさんたちが舞台の上を動き回っていた。

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