第49話

文字数 1,143文字


 座長が休んでいる離れの部屋に逃げ込んだ。
 リズミカルな寝息を立てて眠っている座長の枕元に正座した。
 地肌は陽焼けを避けているので白いほうだけど、白塗りをした後のようだった。

 やっと深い息をすることが出来た。
 そのまま座長の隣に寝転んだ。
 天井に点々とあるシミのようなものが目について薄気味が悪い。
 うつ伏せになると息が苦しい。

 まるで何億もの祖先に背中を押さえつけられているようだ。
 寝返りを繰り返して、ようやく両膝を抱え込んだ形に落ち着いた。
 なんだか胎児の格好みたいだ。

「どうかしたか? 顔色が悪いぞ」
 蒼白の座長に言われた。
 ぼくが起こしてしまったようだ。
「何億もの霊に押し潰されそうで、胸が苦しいです」
 宮司の奥さんから聞いた話をした。
 途方もない祖先の数や「いまここに居るということは、無限の過去から無限の未来までを抱く者として存在している」なんてことを聞かされて動揺していることを。

 ぼくの話を聴き終わった座長は「思考を手放せ」とだけ言って目を閉じた。
 ますます混乱した頭を抱えて、ぼくはその場に固まってしまった。

 そのまま、出発の時間まで眠ってしまった。
 ぼくを起こした座長が苦笑いを浮かべている。
 伊田さんも言っていたけど、悩みがあってもぐっすり眠ることが出来るのがぼくの取り柄みたいだ。

 土間で宮司さんと奥さんに別れの挨拶をした。
「私の名刺を渡しておきます」
 宮司さんがぼくに手渡した。名刺の裏に、「私が応援しています。よろしくお願いします」と筆書きしてあった。十枚ほどある。
「困ったことがあれば、使って下さい」
「ありがとうございます」ぼくは深々と頭を下げた。
「感謝の気持ちを私にではなくて、どなたかに渡して下さい」
 顔を上げると、宮司さんの笑顔があった。
「神主にも」と言いかけたので、「青春があった」とぼくが取った。
 奥さんがユーコに「夏だから、なるべく早く食べなさいね」とおにぎりを渡してくれた。

 雨合羽を着た座長にぼくのキャップを貸して、その上からスーパーのレジ袋を被せた。
 ぼくたちは、リヤカーの荷物の上に感謝と、まだ体調の良くない座長を積み足して出発した。

 リヤカーを曳くのは初めてだ。
 最初の動き出しがきつそうだ。
 ユーコに後ろから押してもらって、前傾姿勢でお腹に当てたフレームに全体重をかけた。思っていたより軽快に滑り出す。一度スピードがつくと、後はそんなに力も要らなかった。
 雨の中、旧道の甲州街道を下諏訪へ向かう。

 道路に出ると、後ろからクラクションが追い立てる。
 邪魔をして悪いなと、気が引けたのは最初だけだった。
 邪魔なら飛び越して行けばいい。
 車道を人が歩くスピードよりも優雅な速度で進む。
 雨合羽に当たる雨の音を聴きながらリヤカーを曳く。

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