008 伊田さんと別れて、その足で

文字数 565文字


 伊田さんと別れて、その足で貴衣さんを訪ねた。

 心のどこかで、留守ならいいなと思っていた。

 しかし、玄関の引き戸に手をかけると、すっと開いた。
 前までは、勝手に家の中に入っていっていたのだけれど、開いた隙間から声をかけた。
「こんにちは、浦山でーす」

 2階で物音が聞こえて、階段を降りてくる足音が耳に届いた。
 貴衣さんが一人だったので少しほっとした。
 赤ん坊の顔を観るのが、どうしてもつらいのだ。

「元気そうね」
「はい、それだけが取り得です」
「いま、眠っているから、声を押さえてね」
 貴衣さんが握手の人差指を上に向けた。
「……わかりました」
 ぼくは、写真の束を差し出した。
「置いていきますから、手の空いたときに見てください」
 いまにも、階上から赤ん坊の泣き声が聞こえてくるのではないかと、気になって落ち着かない。
「そうねえ、置いていかれても……」
 そう言いながら貴衣さんは、数枚の写真を手に取って眺めている。
 
 ぼくは二つの時限爆弾が今にも爆発するのではないかとハラハラしていた。
 目の前の貴衣さんと、2階の赤ん坊だ。

「……嫌ねえっ」
 貴衣さんの口から言葉が漏れた。
 岡本さんとユーコが寄り添っている写真を観ている。

 伊田さんの忠告を聞くべきだったかなとチラッと思った。
 しかし、それは優しさではなくて、誤魔化しのように思えるのだ。

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