第14話
文字数 1,412文字
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座長と顔を合わせてもタジさんは、何事も無かったように黙々と仕込みを続けている。
タジさんが、舞台に穴をあけることだけはやらないと座長は判っていたんだ。
昨夜に別れの盃を交わしたぼくたちだったけど、気まずさを感じることもなく今夜の準備を進めた。
ぼくはこれからも一緒にやれるかなと期待を抱いた。
しかし、いつもの様に冗談を飛ばし合うことはなかった。劇場の広い空間で、耳に入ってくるのは作務衣の擦れる音と人の息遣いだけだった。この緊張感が淡い希望を打ち消した。
舞台は異常な緊張感の中で幕を閉じた。
ぼくは舞台をばらし終えてから、小道具を狭い階段を降りて運び、出口で一休みした。
ここから向かい側に止めてあるトラックまで運ぶのだ。雨が落ちてくる空を見上げた時、目の前に鮮やかなオレンジ色が広がった。驚いて横を向くと、三奈の笑顔があった。
「観に来てくれていたんだ」
「はい」
頷いてから、「どこまで運ぶんですか?」と訊いてきた。
「すぐそこだよ」
ぼくがトラックを指すと、「送ります」
三奈が傘を差し出した。
トラックまで行く途中、少し上気した顔で感想を言った。
「何がなんだかわけが判らなかったけど、すごく必死にやっているって思いました。緊張感がひしひしと伝わって感動しました」
ぼくたちの必死さだけでも受け止めてもらえたことが嬉しかった。
「ひとりで来たの?」
ぼくは、思い切って訊いてみた。
「友達と来ました」
三奈は劇場の入口近くに立っている赤い傘を指した。同じ短大に通っている親友だといった。
「カレと来ると思っていたよ」
「付き会っている人はいません」
「そうなんだ」
ぼくの胸が高鳴った。次の言葉を探したけど、何も出てこなかった。
「傘を買ったんだ」やっと話題を見つけた。
「今日初めて使ったの」
三奈は恥ずかしそうに微笑んだ。
「そうなんだ」
会話が途絶えて、黙ったままで劇場の入口に戻った。
このまま別れるともう会えない。
それは判っていたけど言葉を見つけることが出来なかった。
心臓の音が急激に大きくなった。隣にいる三奈にまで届くんじゃないかと心配になった。
「楽しかったです」
三奈がしばらくぼくを見てから手を小さく振った。
オレンジと赤い色の傘が揺れながら、ビルの角を曲がって消えるまで見ていた。
それから、ぼくは階段を登り始めた。なんだか足に力が入らなくて、よろけて階段の途中に座り込んだ。
「ジャマだ。そこをどけ!」
頭上から、伊田さんの怒鳴り声が落ちてきた。
荷物を抱えた伊田さんが、「早くどけ!」ともう一度怒鳴った。
ぼくは立ち上がると、雨の中を飛び出した。駅へ続く道を夢中で走った。何故もっと早く決められないんだ。赤信号で止まっている時も、その場に飛び上がってオレンジの傘を探した。もう少し早く決めることが出来たら……。
信号を渡ると、駅前のベンチの上に飛び乗って周りを見回した。
見つけた!
色とりどりの傘に紛れているのに、そのオレンジ色だけがはっきりと見えた。ゆっくりとこっちに向かって進んで来る。いつの間にか追い越してしまったようだ。
ぼくの心臓の鼓動が、自動車のクラクションよりも大きく耳の中でひびく。
唾を飲み込む音がはっきりと聴こえると、喉の奥がつまって痛みが走った。髪からしたたり落ちる雨が視界をさえぎる。ぼくは両手を顔に押し付けて雨を拭いはらった。
近づいて来るオレンジ色の傘しか、目に入らなくなった。
座長と顔を合わせてもタジさんは、何事も無かったように黙々と仕込みを続けている。
タジさんが、舞台に穴をあけることだけはやらないと座長は判っていたんだ。
昨夜に別れの盃を交わしたぼくたちだったけど、気まずさを感じることもなく今夜の準備を進めた。
ぼくはこれからも一緒にやれるかなと期待を抱いた。
しかし、いつもの様に冗談を飛ばし合うことはなかった。劇場の広い空間で、耳に入ってくるのは作務衣の擦れる音と人の息遣いだけだった。この緊張感が淡い希望を打ち消した。
舞台は異常な緊張感の中で幕を閉じた。
ぼくは舞台をばらし終えてから、小道具を狭い階段を降りて運び、出口で一休みした。
ここから向かい側に止めてあるトラックまで運ぶのだ。雨が落ちてくる空を見上げた時、目の前に鮮やかなオレンジ色が広がった。驚いて横を向くと、三奈の笑顔があった。
「観に来てくれていたんだ」
「はい」
頷いてから、「どこまで運ぶんですか?」と訊いてきた。
「すぐそこだよ」
ぼくがトラックを指すと、「送ります」
三奈が傘を差し出した。
トラックまで行く途中、少し上気した顔で感想を言った。
「何がなんだかわけが判らなかったけど、すごく必死にやっているって思いました。緊張感がひしひしと伝わって感動しました」
ぼくたちの必死さだけでも受け止めてもらえたことが嬉しかった。
「ひとりで来たの?」
ぼくは、思い切って訊いてみた。
「友達と来ました」
三奈は劇場の入口近くに立っている赤い傘を指した。同じ短大に通っている親友だといった。
「カレと来ると思っていたよ」
「付き会っている人はいません」
「そうなんだ」
ぼくの胸が高鳴った。次の言葉を探したけど、何も出てこなかった。
「傘を買ったんだ」やっと話題を見つけた。
「今日初めて使ったの」
三奈は恥ずかしそうに微笑んだ。
「そうなんだ」
会話が途絶えて、黙ったままで劇場の入口に戻った。
このまま別れるともう会えない。
それは判っていたけど言葉を見つけることが出来なかった。
心臓の音が急激に大きくなった。隣にいる三奈にまで届くんじゃないかと心配になった。
「楽しかったです」
三奈がしばらくぼくを見てから手を小さく振った。
オレンジと赤い色の傘が揺れながら、ビルの角を曲がって消えるまで見ていた。
それから、ぼくは階段を登り始めた。なんだか足に力が入らなくて、よろけて階段の途中に座り込んだ。
「ジャマだ。そこをどけ!」
頭上から、伊田さんの怒鳴り声が落ちてきた。
荷物を抱えた伊田さんが、「早くどけ!」ともう一度怒鳴った。
ぼくは立ち上がると、雨の中を飛び出した。駅へ続く道を夢中で走った。何故もっと早く決められないんだ。赤信号で止まっている時も、その場に飛び上がってオレンジの傘を探した。もう少し早く決めることが出来たら……。
信号を渡ると、駅前のベンチの上に飛び乗って周りを見回した。
見つけた!
色とりどりの傘に紛れているのに、そのオレンジ色だけがはっきりと見えた。ゆっくりとこっちに向かって進んで来る。いつの間にか追い越してしまったようだ。
ぼくの心臓の鼓動が、自動車のクラクションよりも大きく耳の中でひびく。
唾を飲み込む音がはっきりと聴こえると、喉の奥がつまって痛みが走った。髪からしたたり落ちる雨が視界をさえぎる。ぼくは両手を顔に押し付けて雨を拭いはらった。
近づいて来るオレンジ色の傘しか、目に入らなくなった。