第38話

文字数 1,049文字


 座長は暗幕の裏で、肩を落として座り込んでいた。
 ユーコもその横で所在なさげに立っている。
 いくら座長でも一人いた客に逃げられて、「ゼロ」は応えたに違いない。
 そばにいくと、目元の光はぷっつりと消えていた。

「今夜の出来は、かなり良かったですよ」
 ぼくは精一杯、明るい声を出した。
「駄目だ。まったく駄目だった」
 座長は、舞踏の動きが拙かったと落ち込んでいた。
 すっかり満足している自分を恥ずかしいと思った。

「駄目ってことは無いですよ。座長が一番まずいと思ったとこって、どこですか?」
 座長が立ち上がって、その箇所を再現する。確かに、いつもより早く人形の腕を捌いていた。
「あそこは、気持ちが先回りしすぎた」
 座長はまた座りこんだ。

 しかし、ぼくはその次の動きにメリハリが出来て、かえって新鮮に感じた。
そのことを話すと、座長は「そうかな」と首をひねった。
 そのまま、目玉が色んな方向をむいて動いている。
 きっと、頭の中で再現しているのだ。
「次は意識してずらせてみるか」
 座長はぼくの言葉で、少し元気になったようだ。

 神社の宮司さんが気の毒がって、きゅうりの醤油もみ、ナスの漬物、トマト等を差し入れしてくれた。
 後片付けをしていると、リーゼント崩れ男が戻って来た。

 ぼくは、「いま頃、何をしに来たんだ」という思いを、顔のあらゆる筋肉を使って表現した。
 男はぼくを避けて座長と直接話を始めた。
 不思議なことに男は、座長の前ではオドオドしないで楽しそうに話している。
 ぼくは、ふたりの様子を気にしながら荷物をリヤカーに運んだ。

 片付けがあらかた終わったところで、座長がリーゼント崩れ男をぼくとユーコに紹介した。
 名前は加山といって、知り合いの店に招待するから誘いに来たということだった。
 座長はこの手の誘いは断ったことが無い。
 ぼくは荷物が心配だと言って断った。
 明日の朝食は、出発してから途中でパンと飲み物を買う予定なので、リヤカーの荷作りを終わらせてから、座長とユーコが加山と一緒に行くことに決まった。
 いまいましいことに、加山がぼくを煙たいらしくて喜んでいる。

 三人の後ろ姿を見送ってから、ぼくはギターを取り出した。
 昨日弾いていなかっただけなのに、ずいぶんと久し振りの抱き心地だ。
 三奈の顔を思い浮かべながら、左指の爪を見つめていた。

 小走りで近付いて来る足音がしたので、思わずギターで顔を隠した。
「一緒に、来て欲しいの」
 小さな声が聴こえた。
 ギターを下げると、ユーコがぼくの目の前に立っていた。
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