第63話 閑話休題4●「V9巨人軍首脳陣について」
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さてプロットが1968年から1969年になって全盛期の巨人なりに、どういう時代だったか?それなりに説明しておく。監督は説明不要の川上哲治氏である。「巨人の星」「侍!ジャイアンツ」とアニメ化された二大野球マンガはもちろん「ちかいの魔球」「黒い秘密兵器」「少年ジャイアンツ」「父の魂」「アストロ球団」「男どアホウ甲子園」など作品によっては主人公を導く師匠的存在として、また威厳、尊厳という雰囲気を描かせた。またライバルチームの偉大な監督という描き方もされてきた。どこか家康的なイメージは川上監督には似合った。
キャラが立ちやすいのは当時の打撃コーチ荒川博氏ではないだろうか。毎日オリオンズでの現役選手時代の成績は今一つ地味だが、榎本喜八を育てたことでコーチとしての手腕を評価された。王貞治を中学生時代に発掘。そして就任した巨人軍で伸び悩んでいた王を一本足打法で最強のホームラン王に育て上げた。合気道等の武道でも有段者であり、こういう実在人物はマンガ原作者にとって描きやすい人材人物だったと思う。
投手コーチの藤田元司氏は後に巨人の監督として活躍されるので知っているヒトも多いのだが、この時代では紳士的な人物である以外は、あまり触れられない人物である。また藤田氏が監督を務めた頃にはプロ野球を舞台にした野球マンガは水島新司ぐらいしか描かなくなっていた。第一次藤田政権は長嶋監督、第二次藤田政権は王監督の後とスーパースター監督の後任を務めたため地味な印象になっている。藤田監督時代唯一の巨人アニメ「ミラクルジャイアンツ童夢くん」の作中でも常識的な人物として描かれていた。
筆者としては近年の巨人軍OBによる回顧談話など視聴していると駒田、大久保、岡崎、江川、角等の監督としての手腕を高く評価されている。西武ライオンズ時代、ダイエットを義務付けられて減食に苦しんでいたデーブ大久保は
「巨人に移籍した年のキャンプでホイコーロを食べていたら、藤田監督がやってきてデーブ。お前の体でホイコーロ食べたぐらいで足りるか!おいシェフ!デーブにステーキ二枚焼いてくれ!って監督の奢りでステーキを泣きながら食べたんだ。藤田監督に一生ついていきますって思ったね」
といっている。また駒田はボテボテのゴロを打って、どうせアウトだと思って全力疾走しなかったら、何と相手の内野手がエラー。慌てて走ったが間に合わずにアウトになった件がある。普段は温厚だが瞬間湯沸かし器とあだ名される藤田監督に怒られると思ったら、
「駒田。背中に”しまった”と書いてあるぞ」
と言われ、この監督を胴上げしなくてはならないと思ったとコメントしている。
また前の「閑話休題」稿に書いた黒い霧事件に関わる話であるが、当時投手コーチだった藤田氏の暴力団関係者との癒着を指摘した記事もあったという。巨人軍としては「証拠不十分」として処分はなし。しかし副業に纏わる件で暴力団関係者を雇った事件が発覚。一ヶ月間の謹慎処分を受けている。案外、この藤田氏にはインテリヤクザ的な側面が見えて面白い。
この藤田コーチと無二の親友であったのが牧野茂ヘッドコーチである。現役時代は中日ドラゴンズで華麗な守備のショートとして活躍したが実働八年という短い期間であり、荒川打撃コーチ同様に地味な実績であった。引退後に評論家としてデイリースポーツにコラムを執筆していたところ、その内容に感銘を受けた川上監督からコーチ就任を受け、川上監督の作戦参謀として巨人V9を達成させた。
ロスアンジェルス・ドジャースのスモールボール戦法。「ドジャースの戦法」を徹底的に読みふけり、実践に移したのは牧野ヘッドコーチだった。現在のプロ野球では多く見られるスイッチヒッターの存在であるが、投手失格となった柴田勲の俊足と打撃の良さに目をつけ日本人初のスイッチヒッターに仕立て上げたのは牧野の発想である。また現在のセットアッパーやクローザー等の投手分業制も牧野による実践であったという。
V9巨人の諸葛孔明とも呼べる人物なのだが、いわゆる野球マンガ等で牧野ヘッドコーチの描写は実に少ない。荒川と王のような師弟関係によるエピソードはなく、作戦参謀に徹したためにストーリー性に欠ける人物であったろうと考える。
もう一人、首脳陣の登場人物に加えたのが中尾二軍監督である。実際に普段からサングラスをかけていたのか?は謎であるが梶原一騎には中尾監督はサングラスというイメージが強かったのか「巨人の星」でも「侍!ジャイアンツ」でも必ずサングラスをかけている。二軍はデーゲームばかりで二軍の試合中はサングラスをかけていた可能性は高い。
中尾碩志氏に関しては戦前はノーコンの剛速球投手。戦後は技巧派投手として成功したというエピソードがある。その功績から川上監督には非常に信頼されていたのだろう。前述の牧野コーチを作戦コーチとし、中尾ヘッドコーチとして一軍の采配に関わったシーズンもある。また藤田投手コーチの退任後には投手コーチを務めている。巨人軍で長期間に渡って首脳陣を務めた人物なのである。
中尾二軍監督の現役時代の珍記録として四球を十人に与えながらノーヒットノーランを達成した試合がある。長いプロ野球の歴史の中でも二桁四球でノーヒットノーラン達成という記録は中尾一人である。さらに驚くべきことに二度のノーヒットノーランの記録を持つ。もう一つのノーヒットノーラン記録でも八人への四球を許しているのが興味深い。