第178話 崩壊の前日●「王者の驕り」
文字数 2,893文字
里中繁雄を東京ガイヤンツが指名することは既成事実になっていた。スカウト部長の岩田は競合と見られる近畿リンクス、藤井寺パールスに裏工作をして里中の単独指名を決めていた。里中には事前に記者会見を開き「全丸大を都市対抗全国大会に出場させるため、プロ入りは拒否いたします」と公式発表させていた。その他のチームから横槍が入らぬように二重三重の対策を行っていたのである。
全丸大のクラブハウスで野球部員はテレビ中継を観ていた。早々とプロ入り拒否宣言をしていた高山は高見の見物という風情だが、加藤と中間のコンビなどは「どっか酔狂な球団が採ってくれんかな」などと言っている。実際、攻守に渡る彼らの活躍ぶりは、その可能性も秘めていた。
パシフィックリーグ最下位のユニオンズから一位指名が始まった。続いてタイタンズ。東京ガイヤンツは三番目の指名権である。全員が里中の顔を見る中「東京ガイヤンツ第一回選択希望選手。館山良一、二十二歳、投手、立海大学」とアナウンスが流れた。
「はぁ?あの岩田とかいう、おっさん。スカウト部長だとか言ってるけど、本当は役立たずの出来損ないなんじゃねぇのか?」
「あぁ…ああいう大企業ってのには偉い人の縁故かなんかで就職して、役職だけ貰っているようなボンクラ社員がいるもんだぜ」
里中が落胆する前に口の悪い中間と加藤が毒舌を吐いた。お陰で里中は少し救われたような気分になった。二位指名。三位指名になっても里中繁雄の名は呼ばれない。九州のノンプロ投手や和歌山の高校生などが指名されていく。監督の下川も「話が違うんじゃないか?」と呟いた。高山は「来年もウチでやりゃあええやん」と里中の肩を叩いた。
「東京ガイヤンツ。第四回選択希望選手。里中繁雄。十九歳。全丸大」
「四位ねぇ…。なんだか力が抜けちゃったよ」
里中が言うと周りも「入団拒否して来年、上位指名を貰ったら、どうだ?」という意見に傾き始めた。里中は冷静を装って「電話が来るでしょうから、そこでガイヤンツと話をしますよ」と言った。ほどなくクラブハウスの電話が鳴り、下川が対応した。里中に向かって「岩田さんだ」と言いながら受話器を渡した。案の定、岩田スカウト部長本人の声だ。開口一番
「すまん!本当にすまん!ここまで手を回しても首脳陣は君の潜在能力を分っていないのだ。君もドラフト四位では納得いかんだろう。だが球団には朱美さんの就職も頼んである。こんなことは特例だ。それに契約金や年棒に関してはドラフト一位指名と同等の扱いをさせてもらう。この条件も球団に取り次いである」
普段の岩田のむっつりした態度とは別人のようにうろたえている。里中も最初は興奮しており、突発的に
「ドラフト一位相当と言われるのでしたら、契約金一千万円をいただけるんでしょうか?」
かなり強気な金銭要求を求めた。その成果はあり、契約金九百万円。一年目に一軍で一勝でもできたら百万円という事実上、最高契約金の確約を得た。あまりにも簡単に金銭で事が片付いたので里中は拍子抜けしつつも「これがプロか!野球を金でやるところなんだな」と思うと身が引き締まる思いをした。
金銭面で話がまとまったということは事実上、里中の東京ガイヤンツ入りが決定したということになる。すかさず岩田が条件を出した。
「今日は行けないが明日、必ず私が名古屋に行く。ただ、その前に新聞記者が君を取材に行くだろう。その時は入団拒否をしたと答えてくれ!理由は全丸大で都市対抗全国大会を達成したい。というのでいい。それだけは絶対に頼む!」
そう言うと岩田の電話は切れた。この話はチームメイトのは話さず。下川監督にだけ打ち明けた。下川は少し考えたが
「ガイヤンツが何らかの工作をして近畿リンクスと藤井寺パールスに指名回避をさせたのだろう。単独指名ができると見ての四位指名なんだろうね。なんとも王者ガイヤンツだってあって、やることに抜け目がないね。それに本当に君が夏の本大会まで全丸大に在籍していたとしても来年の十一月までガイヤンツは交渉権がある。今日、君が入団拒否を正式発表してもガイヤンツは時間をかけて君を説得したということにすればパールスやリンクスに申し訳が立つ…そんな事情があるんじゃないかな。まぁ、今のところは練習試合も含めて、今までどおり我々の練習に参加していればいい」
とにこやかに説明した。そして、ほどなく数人の新聞記者が全丸大の練習グラウンドに到着した。カメラマンの一人が
「あれぇ?誰かと思ったら由良明訓高校四天王の里中君と同一人人物だったのか?」
と里中の顔を見て驚いた。どうやら高校時代にも里中を撮影したカメラマンだったようだ。当然のことながら里中の中では高校時代よりもノンプロでやってきた一年はレベルの高い野球をやってきたつもりだった。だが、スポーツ記事専門のカメラマンでさえ注目度は高校野球の方が上なのだ。矛盾は感じつつも、それが現実なのである。
「東京ガイヤンツが四位で指名しましたが、どのように答えましたか?」
「今日のところはお断りしました。もう一年、この全丸大でプレーするつもりです。都市対抗全国本選を目指してチームに恩返しをしたいと思っています」
と答えた。数人の記者は里中の内心を見透かしたようにニヤニヤといやらしい笑いを浮かべている。「今後、ガイヤンツと条件等について話し合うということですね」と訊いてきた。ちょっと棘のある言い方に里中はムカッとしたが、平静を装い。
「今日のところは、これ以上のことは考えてません。ただ東京ガイヤンツのような最高の野球選手が集まったチームから指名していただいたことは光栄に感じています。まだ家族とも相談していませんし、自分だけで決められる問題じゃないです」
と答えた。記者は相変わらずニヤニヤとしながら、次の質問をしようとしたが口を閉ざした。そして怯えるように目を伏せた。里中は、なぜ、その記者が質問を止めたのか?判らなかったが、程なく意味が分った。
記者会見に使われたミィーティング室に、いつの間にか加藤、中間が片隅に入り込んでおり、腕組みをしながら喧嘩を売るように鋭い眼光で、その記者を睨みつけていたのである。今は、おとなしく物流部の社員として働き、チームの中心選手として活躍しているが、かつては「愛徳見たら110番」と言われた名古屋の暴れん坊である。
里中は、なんとか真面目な表情を作っていたが、本心は爆笑したい気持ちだった。反面、すでにガイヤンツとは、それなりに交渉が進んでいることを見透かしたような記者の態度に、プロ野球界の怖さを感じたものである。