第99話 若者たちの敗北●「俺は正太郎」
文字数 2,386文字
三大会連続で甲子園に出場すると学内の雰囲気も変わった。初出場の時にはあからさまに
「大事な夏期講習の時期なのに野球部の応援なんかに時間を取られたくない」
などという声も耳に入ってきた。しかし選抜、二度目の夏と連続出場を果たすと生徒達にとっても楽しみな年中行事の一つに変わってきたのである。折りしも70年3月15日から大阪で日本万国博覧会が開催され、その工事の様子などが毎日のようにテレビ、新聞、週刊誌で報道される。選抜大会は3月27日が開会式なので母校の応援ながら万国博覧会の見物にでも行こうと思っていた生徒が多数いたのである。
登校中の矢吹は自分への誹謗中傷を耳にするようになっていた。
「野球部はキャプテンの人選を間違えたよ。選手としての実力を考えれば、やはり江口をキャプテンにすべきだった」
「俺も、そう思う。もともと柔道選手。更正したとはいえ元不良だしな。チームスポーツの野球には、あまり向いてないんじゃないか?」
「故障中とは言え江口だって内野の送球なんかはやってるじゃないか?滝や黒沢に投げさせないで江口が少し加減して投げれば勝てた試合だったのにな」
並の心臓の持ち主だったら逃げ出したいような状況だが、矢吹は平静を装った。少し早足で歩き、わざと噂話の張本人たちを追い越す。追い越しざまに
「勝負は時の運って言葉を知らねぇのかよ」
と独り言を呟いた。くだんの生徒達は急に無言になって俯いた。まだまだ矢吹のことが怖いのである。少しやりすぎたな…と感じた矢吹は、くるりと身体を二人の正面に向けた。
「とは言え、いいところで打てなかった俺の責任も大きい。四番打者だからな。俺があと三打点挙げていれば勝てた試合さ」
そう言い捨てると無言で教室に入っていった。様々な事情があり、半ば予定されていた敗退だが矢吹としては気分が悪い。東京ガイヤンツだか河村監督だか知らないが、俺達は今しか出来ない高校野球をやってるんだ!と言い返せなかった自分に腹が立った。
また父親の言いつけや八木という男の言いなりになっている江口にも憤慨はあった。本当は故障などしていないのだ。6-6の同点に追いついた時、ベンチの中で立ち上がり「やはり僕が投げます」と織田や天野に江口本人が言い出すのを矢吹は心のどこかで待っていた。
それをやってしまったら江口の父親に雇われている指導者の織田は立場が悪くなるかもしれない。天野先生も非難されるかもしれない。しかし、そんな分別がつくほど俺達は大人じゃない。まだ高校生だ。目の前の勝負に夢中になって全力で戦いたいのだ。
過去三回の由良明訓高校相手の敗戦は細かい反省点はあっても、こんな悔いや自己嫌悪は起こらない。全力で勝負して気持ちよく砕け散ったような爽快感が残る。明訓の連中は東中国地区の秋季大会を全勝で締めくくった。
「当然だ」
矢吹は思った。谷口達がチームを卒業したからといって弱体化するようなチームじゃない。里中に浜。エース級ピッチャーが二人もいる。里中は打者としても成長している。田山、岩城、馬場に加えて一年生の池田が好打者だ。クリーンナップを打てるバッターが五人もいる。こんなチームに負けるのは悔しくもなかった。
憮然とした表情で窓の外を見つめる矢吹に内川亜紀が声をかけた。
「やっぱり悔しいのね。矢吹君は…」
「あ…あぁ…あんなところで負けたのも嫌だが、警察に全共闘なんかに疑われるのも嫌なもんだ。一体、俺が何したってんだ。そういうことが重なるとな。しんどいはしんどいな」
「あの時に江口君が投げればよかったのかしら?」
「正確に言えば俺が投げろ!と言えばよかったんだ。江口は自分で自分のことが決められないような奴なんだ。良い意味でも悪い意味でも、あいつは子供なんだよ。全てが親の言いなりなんだ。まぁ理想のプロ野球選手を育てるために生まれてきて育てられたような男だから、しょうがないのかもしれないけどな」
「江口君への友情って…あるの?」
亜紀に、そう言われて矢吹は考えた。
「マスコミには友情のバッテリーとか書かれてるが、友情ってのとは少し違うな。内川さぁ。鉄人28号って知ってるよな?あんな感じなんだよ。俺が正太郎で江口は鉄人。鉄人は頑丈で力が強い。でも鉄腕アトムみたいに自分で物を考えたり、感じたりはできない。だから正太郎が鉄人を操縦する。鉄人がいなけりゃ正太郎は頭がいいけど非力な少年探偵だ。正太郎がいなけりゃ鉄人はバカ力だけが取り得の鉄の塊だ。まぁ…そういう感じかな」
「じゃあ、だいたい私の想像と同じなんだ。江口君は矢吹君がいなかったら、何もできないような気がするの」
「どうかな?それなりのキャッチャーが見つかれば、どうにかなったんじゃないか?何も田山三太郎みたいな怪物じゃなくても甲子園目指して地方でベスト8ぐらいのチームのキャッチャーなら、江口相手のキャッチャーは務まるさ」
「キャッチャーは出来たとしても江口君をコントロール出来るのは矢吹君しかいないような気がする。江口君は卒業したらプロ野球選手になるんだろうけど、なんかそこで終わってしまいそうな気がするんだよね。矢吹君も一緒にプロ入りしたら?」
「まぁ…俺なんかをドラフト指名する酔狂なチームがいたら考えるけどさ。俺自身はプロ野球選手ってのは憧れたこともないんだよな。卒業までは、この野球部を俺の居場所にするってことだけは決めてるけどな」
亜紀は矢吹の目をジッと見つめて
「その後の矢吹君の居場所に私は入れるのかな?」
少し切なそうに訊いた。