第106話 三度目の桜●「金のために」
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しかしナインには一抹の不安がある。それは毎日のように報道される田山三太郎中退の疑惑である。概ね「祖父が親代わりを務める田山家には各プロ球団のスカウトが日参し、彼を中退させ経済的援助を与える代わりにドラフトでの競合を避けようという動きがある」というものだ。中には「本来、田山は高校進学できる経済状況ではないが親友の岩城家から学費を借りてプロ入りを目指して高校野球をやっている」という秘密まで暴露された。
田山本人は練習でも試合でも、今までと一切変わらない。岩城のように大きな声は出さないが後輩にも厳しく注意する。打撃練習でも里中、浜、二本松ら投手陣の本気のボールを軽々と打にする。三人とも「敵でなくって助かった」と言わしめた。長
「実際のところ新聞に載ってることは本当なのか?」と田山に聞くと
「爺ちゃんのところにプロ野球関係者が来ているのは本当だよ」とだけ答えた。騒ぎの中心にいても動揺しないのが、この男の凄いところである。今日やるべきことに集中する。
そんな中で田山が馬場に珍しい話題を話してきた。
「俺は、あんまり知らないんだけどビートルズからポール・マッカトニーってヒトが抜けた。マッカトニーが抜けたらビートルズは解散だっていうけど馬場は、どう思う?」
「へぇ!田山の口からビートルズなんて言葉が出てくるとは驚きだな。せいぜい黒ネコのタンゴ止まりだと思ってたぜ」
「うちにはレコードもレコードプレーヤーもないから、まともに聴いたことないんだけどね。四人組のグループのうち一人が抜けたら、そのグループが解散になるっていうのが俺には理解できないだけなんだ。馬場なら分かっていると思ってね」
「マッカートニーは歌いながらベースを弾く人と思われているけど、それだけじゃないんだ。田山だって名前ぐらいは知っているだろう。もう一つローリングストーンズってあるけど、ワイマンって人がベースを弾いている。ワイマンが抜けても違うベースが入ってストーンズは続けるだろうね」
「なるほど代わりはいるんだ。マッカートニーは違うのかい?」
「マッカートニーはピアノも弾けばギターを弾く。ビートルズのヒット曲の半分以上はマッカートニーが作曲している。他のメンバーは一切参加しないで彼一人で録音した曲もある。ジョン・レノンという人も作曲はするけど、マッカートニーほど器用じゃない」
「それでポール・マッカートニーが脱退するとビートルズが解散すると言われているんだ」
「そうよ!ちょうとお前と岩城の関係みたいなもんだ。野球技術はお前が上。闘志は岩城が上。音楽技術はマッカートニー。メッセージはレノンみたいな感じだな。お前、悩んでいるんだろう?中退してプロか?このまま卒業まで高校にいるか?」
「貧乏な俺には実感が沸かないような大金の話だ。頑固な爺ちゃんも最近ちょっと大金に目が眩んでいるんだ。このまま高校にしても岩城さんに返済するお金が増えるだけだとかね。前には言わないようなことを言っている」
「お前自身は、どうなんだ。ここまでやった高校野球だ。甲子園五連覇なんて夢みたいなことをやり遂げようとしている。この夏も優勝できるか?どうかは分からんが馬場や岩城、里中と一緒に最後までやりたいよ」
常に冷静沈着で前面に感情を見せない田山が、ここまで苦渋の表情を浮かべているのを馬場は初めて見た。中学時代から同じだ。この田山は、どんなピンチにも動じない。ホームランを打っても嬉しそうな笑顔を見せることはない。
「もしも俺が中退したら由良明訓は勝てるかな?」
「田山が外れたら主砲は当然岩城だな。一年生だが二本松の長打力はいい。あいつが岩城の役目をやる。確実にチーム打率は落ちるだろうね。キャッチャーは二年の池田で決まりだろう。お前とはタイプは違うが良いキャッチャーだ。他の高校でもレギュラーになれる。ただ猛練習して池田はショートも守れるようになった。そこで空いたショートが問題だな」
「確かにレギュラーから外れた野球部員は辞めていったからな。特に俺らの代は六人しか残ってない。攻守共に戦力ダウンか…」
「それでも予選を勝ち抜くとか、甲子園出場を目指すチームぐらいの戦力は残る。ただ岩城の野郎は何も言わないけど、田山よぉ。お前が辞めたら俺は辞める。岩城も、このチームを続ける気力を無くすだろう。里中は高校からの付き合いだから、よく分からないが、あいつもお前がピッチャーとしての素質を見出した男だ。つまらなくはなるだろうな」
「中学から不思議だったんだが芸術志向の馬場が俺達に付き合って野球を続けた理由は何だったんだ?」
「音楽でも美術でも後から出来るものよ。おっさんになっても、じじいになっても芸術はできる。だけどよぉ。高校野球は高校時代しかできねぇ。だから俺は田山が行く高校なら、どこでも良かったんだ。岩城と違って俺は勉強も出来るからよぉ。どこでも合格できると思ってな。まぁ、あの岩城もよく頑張って合格したぜ。やっぱ根性はあるよな」
「俺はプロ野球選手というのが目標だ。これで大怪我さえしなければ、その目標は達成できた。岩城もプロに入るだろう。だけどプロ野球には絶対に行かないという馬場が一緒に高校野球まで付き合うのが俺には分からなかったんだ」
馬場はニヤッと笑った。
「お前と同じだよ!田山!俺の目標はアーティストだ。だがよぉ。全国で予選をやって、こんなに多くの高校球児が甲子園優勝を目指して頑張っている。音楽とか美術も同じなんだよ。田舎じゃ珍しいタイプかもしれねぇけど、俺みたいなヤツはゴロゴロいる。大学に入るまではいい。それからだ。作家として頭角を現すのは十年に一人だ。なかなか飛びぬけた存在にはなれねぇもんだ。そこで考えたのは俺が変り種になることだ。音楽家でも画家でも甲子園の優勝チームでレギュラーだったなんて作家はいねぇ。だから俺が、それになるためさ。俺の目標はお前らより、はっきりしてるんだ」
馬場には田山の目がギラリと光ったのが見えた。
「お前にも見えたな…野望ってもんが…」
「あぁ…ありがとう馬場。迷いは吹っ切れたよ。俺は金のために野球をやる!より高い契約金を貰うために甲子園五連覇を狙う!俺の目標は金で間違ってないんだ!」