第117話 激闘!甲子園●「決戦前夜」

文字数 2,297文字

 ホテルの支配人は笑顔で準決勝を制した由良明訓、青雲大附属のナインを迎え入れた。
 「皆さん!決勝進出おめでとうございます。いやいや!うちも今まで多くの野球部に宿泊していただきましたが、決勝戦に残る二チームが、一緒に泊まるなんてことは創業以来初めてのことです。夕飯の方も両チームに英気を養っていただこうと予算よりも上のものを準備いたしました」
 岩城、矢吹両キャプテンが先陣を切る形で両チームのナインは支配人に「ありがとうございます」と声を揃えた。矢吹が岩城の方に向かって
 「そういえば名東大相模原の連中がいないな。まだホテルに残っているかと思ったんだが」
 「あぁ…試合終了後に、あの石田ってキャプテンと握手をして別れたよ。お前らにも、よろしくと言ってたぜ。それにしても強いチームだったぜ。あいつらのプライドとして負けた後も俺達と顔を合わすのは避けたんだろう。そっちもCLってのは厳しい試合だったんじゃねぇか?」
 「あぁ…最初は気持ち悪い連中だと思ったけど、信仰ってのは凄い力になるもんだ。レギュラーはもちろん、補欠、応援団、全ては同じ目標を持って一致団結してるからな。由良明訓みたいな、てんでばらばらの個性派チームとは違う怖さがあった」
 岩城と矢吹の話をよそに江口敏は田山三太郎に話しかけている。
 「ねぇ。田山君。どっちみち明日で僕たちの高校野球は終わりだ。勝っても負けても、僕は満足だ。だけど教えて欲しいんだ。君にもスカウトは接触しているはずだ。それも僕と同じ十二球団全てのね」
 「確かに、そうだ。ただ江口君。君は、どこの球団に行っても大丈夫な選手さ。どの球団でも欲しい左腕の本格派だからね。僕は、そうはいかない。捕手の弱いチームでなければ価値のない選手だ。君も知っている通り、間違ってもプロの外野では通用しない鈍足だ。だから話はあっても秋には六球団ぐらいに絞られてくると思う」
 「冷静だね。田山君は。僕はね。夢があるんだ。僕たちで選べる訳はないけど、できれば君と同じチームに入りたい。僕がピッチャーで君がキャッチャーでバッテリーを組みたいんだよ」
 江口の明るい笑顔に田山は、むしろ苦笑した。本当に江口は良い奴だ。他人に対して本音を言える素直さ、子供のような純情さは気持ちがいい。しかし、この男がプロ野球という世界に入って、この純粋で素直な心で通用するのか?は田山も疑問に思った。
 「この段階では僕らが同一チームになることはないな。ドラフト指名の一位と二位にならなきゃいけない。君は間違いなく一位指名だろう。お互いに頑張って実績を出せばオールスター戦とか日米野球でバッテリーは組めるかもしれないけど」
 江口は、確かに、その通りだと頷きながら残念そうな表情をした。
 「でも訊きたいんだ?君は、プロ入りするならば、どこに行きたい?僕はやっぱり地元の中京ドアーズだな。田山君はドアーズは好きかい?」
 「江口君には悪いけど中京ドアーズ、東京ガイヤンツ、兵庫タイタンズは僕にはないな。ドアーズもタイタンズもクリーンナップを打てる強打者の捕手がいる。ガイヤンツの林さんはベテランの司令塔。この三チームでレギュラーを掴むには五年以上かかる。パリーグなら近畿リンクスはなしだ。監督兼任四番捕手の村野さんがいては僕の出番はないよ」
 「田山君は現実的だなぁ。僕には、そんな考え出来ないや」
 「江口君は、どこに行っても大丈夫だ。打者転向まで考えても左の強打者。足も早い。ピッチャー上がりの強肩も、どこのチームでも魅力さ」
 「そんなもんかなぁ。やっぱり憧れのチームに行きたいって思わない?」
 「うーん。それを言ったらリンクスの村野監督やガイヤンツの林さんは憧れのキャッチャーではあるけどね。ただガイヤンツのキャッチャーの層の厚さ。ファーストには看板打者の司馬さんがいると思うと、僕に出番はないよ。宝塚ブレイブや太平洋ドルフィンズみたいなレギュラー捕手が安定していないチームを希望しているよ」
 江口と田山の横を里中が通り過ぎようとした。里中には江口達がドラフトの話をしているのが判った。この大会で登板機会がほとんどなかった里中には、彼らの話題を避けたかった。
 「里中君!」
 そんな里中の気持ちを汲めない江口は明るい口調で里中を呼び止めた。
 「噂では里中君も重要なドラフト候補だよ。君は行きたいチームはあるの?」
 「俺か…君たちと違って俺にはプロってまだピンと来ないけど、接触は少しあるよ」
 「なんて答えたんだい?やっぱりガイヤンツかい?」
 「いや。やっぱり俺なんか鳥取の田舎者だからね。東京のチームなんかでやっていく自信はないよ。西日本とか広島とか、近いチームがいいね。ま…俺から選べるもんじゃないけどね。この通り、食っても食っても身体は全然逞しくならないんだ」
 「そうかな?里中君の身体こそ全ての運動選手にとって理想的だと思うよ。僕の知っているスカウトさんも君には注目しているはずだ」
 「そりゃ嬉しいな」
 里中にはピンと来た。たぶん江口にも自分にも接触しているのは八木というフリーのスカウトだ。ただ八木からは「ドラフト下位の指名はある。だけど、その扱いでプロに行くよりも、特待生で大学に行ったらどうだ?じっくり身体を作って、それからドラフト上位指名を狙うのもプロ入り後の扱いがいいと思う」とアドバイスされていた。また手回しのいい八木の薦めによって大阪体育大学への推薦入学が、ほぼ内定していたのである。
 この件は、まだ決定していた訳ではない。夏の甲子園での活躍次第と考え、土井監督にもチームメイトの誰にも話してなかった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

里中繁雄●本稿の主人公。野球選手と思えない痩身に芸能人も顔負けの美少年。サイドスローの技巧派投手。性格はルックスに反して強気で負けず嫌い。投手兼任外野手として活躍した後にノンプロ全丸大に入団。

江口敏●もう一人の主人公。ノンプロ野球選手だった父親に英才教育を受けた剛球左腕投手。童顔に逞しい身体を持つが闘争心はあまりなく、気は弱い。三年生の夏の甲子園で優勝投手となり、ドラフト一位で名門東京ガイヤンツに入団。

田山三太郎●里中のピッチャーとしての才能を見出した天才キャッチャー。打撃も凄まじくプロ野球のスカウトに注目されている。甲子園大会の通算本塁打記録も作り、ドラフト一位でパリーグの福岡クリッパースに入団。

岩城正●田山とは中学時代からチームメイトだった巨体の持ち主。三振かホームランという大雑把な選手だが怪力かつ敏捷さもあり、プロレス界が注目する逸材との噂はある。三年時にはキャプテンも勤め、そのリーダーシップは評価された。ドラフトでは江口の外れ一位ではあるがパリーグ近畿リンクスに入団。

馬場一真●田山、岩城と三羽烏と呼ばれた好打好守好走のセカンド。田山、岩城ほどのパワーはないがスピードと技術は最高。変わり者である。実は東京ガイヤンツから入団交渉を受けていたが野球の道は高校までと決めており、帝国芸術大学に進学する。

矢吹太●中学時代は将来オリンピック選手として期待された柔道の猛者でありながら、地元の不良や街のチンピラに慕われる奇妙な不良少年。江口の才能を認めキャッチャーへ転身する。高校時代は事実上のチームリーダーを務め、キャプテンとしてチームをまとめた。プロ入りは拒否。

朱美●矢吹の不良仲間で少女売春をやっている。根はマジメ人間で肉体を汚しつつも気持ちは美しい。江口に惚れられながら、自身は里中に惹かれていく。彼らとの交流を通して自分を変えるため、名古屋のデパートに勤める。

土井●里中ら一年生の時の三年生の主将。高校ナンバーワンのキャッチャーであり、女生徒に人気の男前であったが、田山にポジションを奪われ里中に女性人気を奪われる気の毒な先輩。しかし潔く後輩を立てる姿に人望を集めた。織田監督辞任後に新監督に就任。

織田●里中ら野球部の監督。かなりいい加減な人物だが選手の力量を見極める鋭い視点や実践形式でチームを育てる采配など有能な指導者。甲子園で優勝させてチームを去る。その後、江口の父親との縁で江口らの監督に就任。

天野●江口ら野球部の顧問。優秀な数学教師で弱小チームといえども独自の数学理論で一回戦ぐらいは勝たせる手腕を持つ。

小宮●江口ら一年生の時の三年生で主将。江口の入学で控え投手兼任外野手に転身するが江口らの理解者。

岡部●三年生の捕手で副主将。江口の実力を発揮させるために中学時代の後輩でもある矢吹を野球部に引き込んだ。

新山●静岡工業高校のエース。左腕の本格派として江口と比較される。英才教育を受けお坊ちゃんの江口に対して韓国籍による差別や貧乏に耐え抜いた。定時制から全日制への転入で年齢は里中、江口らより一つ上であり、江口に対してライバル心を燃やす。外国人枠で逸早く東京ガイヤンツに入団したが、怪我に悩まされている。

谷口●土井キャプテン引退後の新キャプテン。ともかく真面目で常識的な高校生。里中らが一年生の時には7番レフトで地味ながらチームを支えた。

青木●小宮引退後の新キャプテン。江口らが一年生の時には一番一塁手として出場。少し気が弱いが野球は大好き。学業の成績もいい。

ヨーコ●名古屋繁華街の組織の女の子。朱美の留守を守る。江口の相手をしたことがきっかけで江口の相談役となる。朱美が売春組織を辞めてデパートに就職したことに触発され、料理人の道を目指す。

夏美●中学時代から高校へと続く岩城の恋人。女子ソフトボール部の実力者。中学時代の里中を知っており、田山や岩城に、その才能を伝えた。甲子園球場周辺で朱美と知り合い友人になる。

黒沢秀●江口、矢吹の一学年下の新入生。抜群の運動神経と野球経験を持ちつつ、学科成績も優秀。レギュラーに抜擢される。

滝一馬●黒沢と一緒に好成績を収めた新入生。投手経験もあり江口に次ぐ青雲の投手になる。

内川亜紀●中学時代から矢吹のクラスメイト。不良少年の矢吹を嫌って避けてきたが、野球にのめりこみ無口になっていく矢吹の姿に惹かれていく。

浜圭一●里中と勝負するために明訓野球部に入ってきた新入生。右のオーバースローで速球派。生意気な性格は、そのままだが里中と並ぶ二枚看板投手に成長する。

池田●浜とは対照的に真面目で純情な新入生。田山を尊敬して入部。小学生に間違えられる小さな体だがキャッチャーとしての技術は高い。

八木●プロ野球界とアマチュア野球界を取り持つフィクサー。怪しげな人物だが常に選手のことを考えている温かい人物。

大田黒●ロシア系とのハーフであるため殿下と呼ばれる森沢高校のエース。実力は疑問視されながらもプロ入りを果たす。

二本松●里中達が三年生の時に入部してきた新入部員。不細工な顔と不恰好な体格だが投手としても打者としても素晴らしい才能を持つ。田山、岩城、馬場の中学時代の後輩であり、先輩達を高校まで追いかけてきた。

加藤弘●愛徳高校野球部員。不良学校の悪だが野球だけは真剣にやる。高校時代は由良明訓に敗れるが、その時の活躍で全丸大のノンプロチームに入団。左投げ左打ちの一塁手。

中間透●加藤と同じ愛徳高校野球部員。加藤よりも明るい性格だが相当の不良でもあった。甲子園では由良明訓に敗れたものの加藤と一緒に全丸大に入団。右投げ右打ちの三塁手。

高山志朗●全丸大のエース。里中よりも二歳年上で一年生の時の夏の甲子園では対戦はないものの出場していた。剛速球の持ち主だが四球で自滅する敗戦が多く、プロからの打診はあっても入団拒否をし続けている。後に里中に触発されて宝塚ブレイブに入団する。

湯川勝●江口らがプロ一年目で苦闘する71年。栃木県の柵新学院の進学クラスに突然現れた怪物ピッチャー。アマ、プロ球界を引っ掻き回す裏主人公。

湯本武●高校時代は甲子園出場を決めながら不祥事による出場停止。大学では四年時に監督との大喧嘩で退部。里中の入団拒否の代替でロビンスに入団。悲劇のピッチャーと呼ばれているが、明るく柄の悪いインテリヤクザ。

河村監督●東京ガイヤンツ九連覇を成し遂げる大監督。当初、痩身の里中を疎んじていたが、徐々に、その闘志と技術を認めていく。選手とは、あまり話をせずに腹心の報告によって対応する。管理野球の申し子。

長尾●ガイヤンツの二軍監督、一軍ヘッドコーチ、一軍投手コーチと人事異動の多い河村の腹心。無愛想で口うるさい人物のため選手には嫌われている。江口敏を死に至らしめた一因は自分にあると自責しており、里中に期待をかける。

黒岩●ガイヤンツ二軍監督、一軍ヘッドコーチ、一軍守備走塁コーチ。もともとガイヤンツOBだが一時期は広島の海洋モータースの監督を務めた。長尾とは正反対の親分肌の人物で選手から好かれているが、采配には疑問が残る。投手として入団させた人材を野手に転向させたがる傾向がある。

藤井●ガイヤンツ一軍投手コーチ、二軍監督。現役時代はガンジーと呼ばれる痩身のエース。そのため似たタイプの里中に目を掛けている。褒め殺しで投手を乗せる性格は選手に人望があるが、それ故、河村や長岡に疎まれてガイヤンツを退団する。

中川●ガイヤンツ二軍投手コーチ、現役選手よりも若いため若手選手の兄貴分のような存在。河村からも信頼を受けており、人事異動の多い組織の中で定位置をキープしている。

牧場●現役時代は中京ドアーズの内野手。英語が堪能でメジャーリーグの文献を研究しているため河村の声でガイヤンツのヘッドコーチに就任。一時期は守備走塁コーチに降格したが、その堅実な作戦は常勝軍団の頭脳と判断され、再びヘッドコーチに戻る。

長岡●六大学野球から鳴り物入りでガイヤンツ入りしたスーパースター。河村の勇退後の監督に内定しており、現役晩年は衰えを見せながらも最後の最後まで燃える男の真骨頂を見せる。

司馬●元甲子園優勝投手だがガイヤンツ入団と同時に打者へ転向。当初は伸び悩んだが、荒井打撃コーチの指導により一本足打法を開眼させ世界的なホームラン打者になる。長岡より五歳年下ということもあり、九連覇末期に、その打撃技術は円熟に達する。

堀本●紳士的なガイヤンツの選手の中で、あえて悪太郎という不良キャラクターを演じるエース。プライドと強気のピッチングが魅力。

高岡一三●堀本が右投手のエースなら、こちらは左のエース。性格も、どちらかというと陰気な真面目人間。堀本とは不仲なふりをしているが裏では大の仲良し。気が弱いのが弱点。

林●ガイヤンツ黄金時代のキャッチャー。陰険でケチ、投手はもちろん選手からは嫌われているが河村には絶対的な信頼されている。巧みなインサイドワークとポーズとしての弱気で相手を騙す。グラウンドの司令塔。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み