第98話 若者たちの敗北●「予定の敗退」

文字数 2,106文字

 東海地区秋季大会二戦目で優勝候補の岐阜明訓大学附属高校が8-6の乱打戦の前に敗退したニュースは由良明訓高校野球部員にも衝撃を与えた。同じ投手である里中は
 「相手が強力打線であっても江口敏から八点を取るのはあり得ない!」
 と驚いたが記事を細かく読むと江口は一塁手としての出場で一年生の滝と黒沢が投手起用されていた。先発の滝が六点を献上してノックアウト。一度は同点に追いついたもののリリーフの黒沢も逆転タイムリーを打たれて敗退した。特筆すべきは打者に専念した江口の打棒で青雲の挙げた六点のうち五点はツーランホームラン一本を含む江口の打点であった。
 江口が肩か肘の故障をしていて秋季大会は野手に専念するという話は里中も知っている。しかし里中は納得していなかった。土井、田山、岩城、馬場、浜、池田が集まっている中で里中は集めたスポーツ新聞の記事を並べて矛盾を述べた。
 「この記事には肩の故障と書いてあるが、こっちの新聞には肘の具合が悪いと書いてある。同じピッチャーとして言わせてもらいますが、今日は肩が痛くて明日は肘が悪いなんてことはありえないと思う」
 岩城の見解では
 「肩と肘の両方が悪いとしたら納得いかないか?江口も大雑把な野郎だから、こっちの記者には肩を痛めたと言って、違う記者には肘が悪いと言ったとか?」
 馬場も似たような答えだった。
 「所詮は高校野球の地方大会に大きな記事は載せられないから、こっちの新聞は肩。あっちの新聞は肘とだけ書いたんじゃないか?俺も経験あるぜ。新聞記者に江口と大田黒じゃ、どちらが凄いピッチャーか?って訊かれたから、スピードとコントロールなら江口。度胸のよさと気迫なら大田黒って答えたんだ。次の日に新聞見たらよぉ。スピードもコントロールも江口が上ってだけ載ってんだよ。あれじゃ大田黒に気の毒だしよ。俺の印象も悪くなるぜ」
 しかし里中はまだ納得してなかった。
 「俺はサイドスローだから肘が重く感じる日はある。だが肘を庇って投げた後に痛める箇所があるとすると手首のはずだ。幸い肩を痛めたことがないから分からないが浜はどうなんだ?投球フォームは江口と似た上から投げるタイプだろ?」
 先輩達の論議に遠慮して黙っていた浜だったが
 「ボーイズリーグの時にフォークボールを覚えようと無理して肩を悪くしたことはあります。ただ覚えようとしていたボールがフォークなんで手首には負担がきますね。ストレートと腕の振りが近いんで肘を痛めたことはありません。肩にしても一週間ぐらい投球禁止を守ったら、戻りましたよ。それ以降、肩への不安はないですね」
 それを聞いて岩城が再び意見を出した。
 「オーバースローのピッチャーは肩を痛めやすいのかもしれんな。あいつはカーブも投げるだろう。スライダーとかシュートとか横の変化球を練習していて肘も痛めることはあるんじゃねぇかな?」
 里中は考え込んだ。カーブとシンカーを織り交ぜてバッターを翻弄する自分のスタイルに江口が影響を受けたとも考えられる。しかし疑問は残った。
 「しかし青雲大附属には織田さんがいる。それに江口は父親もノンプロで鳴らした名選手だろ?そんな指導者に囲まれた江口が肩と肘を痛めること変化球練習をしますかね。それに原因は夏の甲子園の準々決勝で完全試合を達成しようと無理をしたと言っている。これは、どの報道でも同じなんですよ。俺達も、あの試合を観戦しましたが故障のあるピッチャーのピッチングには思えません。翌日の準決勝。俺達とやった試合でも、どこか痛めてボールに勢いがなくなっていたという印象はなかったです」
 これまで黙っていた田山が口を開いた。
 「アメリカのスポーツ心理学者の本にあったんだが、大リーグではイップスと呼ぶ投球ノイローゼみたいなのがあるそうだ。例えば全力で投げたボールが死球になって打者が大怪我をした後とかで全力投球ができなくなったピッチャーがいたりする」
 それを聞いて里中は反論した。
 「どうかな?江口はコントロールもいい。死球どころか四球も滅多に出さない。彼なりに失投はあるだろうけど、それは反省になるがノイローゼにはならないんじゃないかな?」
 「うん。里中君の言うことは最もだ。ただイップスは失敗の直後にだけ訪れる病気ではないらしい。大きな目標を達成した後とかに達成感とか満足感が結果を悪くすることがある。野球だけじゃなくてボクシングで見事なKO勝利をしたボクサーが次の試合で簡単にKO負けされてしまうとか、世界タイトルを取った次の防衛線で負けてしまうとか…。江口にとって甲子園での完全試合達成が一つの目標で、その目標を達成してしまったためにイップス状況になり、俺達に惨敗した。織田さんは江口の価値を落とさないように肩か肘の故障としておいた…と考えると、なんだか納得できるよな?」
 すくっと岩城が立ち上がった!
 「おう!分かったぞ!イソップってノイローゼだったのか!道理で俺がホームランを打った後の打席では必ず三振するのは、そのイソップだったんだな!」
 一同は声を揃えて
 「それは違う。絶対に違う。それにイソップって童話じゃねぇんだから!」
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登場人物紹介

里中繁雄●本稿の主人公。野球選手と思えない痩身に芸能人も顔負けの美少年。サイドスローの技巧派投手。性格はルックスに反して強気で負けず嫌い。投手兼任外野手として活躍した後にノンプロ全丸大に入団。

江口敏●もう一人の主人公。ノンプロ野球選手だった父親に英才教育を受けた剛球左腕投手。童顔に逞しい身体を持つが闘争心はあまりなく、気は弱い。三年生の夏の甲子園で優勝投手となり、ドラフト一位で名門東京ガイヤンツに入団。

田山三太郎●里中のピッチャーとしての才能を見出した天才キャッチャー。打撃も凄まじくプロ野球のスカウトに注目されている。甲子園大会の通算本塁打記録も作り、ドラフト一位でパリーグの福岡クリッパースに入団。

岩城正●田山とは中学時代からチームメイトだった巨体の持ち主。三振かホームランという大雑把な選手だが怪力かつ敏捷さもあり、プロレス界が注目する逸材との噂はある。三年時にはキャプテンも勤め、そのリーダーシップは評価された。ドラフトでは江口の外れ一位ではあるがパリーグ近畿リンクスに入団。

馬場一真●田山、岩城と三羽烏と呼ばれた好打好守好走のセカンド。田山、岩城ほどのパワーはないがスピードと技術は最高。変わり者である。実は東京ガイヤンツから入団交渉を受けていたが野球の道は高校までと決めており、帝国芸術大学に進学する。

矢吹太●中学時代は将来オリンピック選手として期待された柔道の猛者でありながら、地元の不良や街のチンピラに慕われる奇妙な不良少年。江口の才能を認めキャッチャーへ転身する。高校時代は事実上のチームリーダーを務め、キャプテンとしてチームをまとめた。プロ入りは拒否。

朱美●矢吹の不良仲間で少女売春をやっている。根はマジメ人間で肉体を汚しつつも気持ちは美しい。江口に惚れられながら、自身は里中に惹かれていく。彼らとの交流を通して自分を変えるため、名古屋のデパートに勤める。

土井●里中ら一年生の時の三年生の主将。高校ナンバーワンのキャッチャーであり、女生徒に人気の男前であったが、田山にポジションを奪われ里中に女性人気を奪われる気の毒な先輩。しかし潔く後輩を立てる姿に人望を集めた。織田監督辞任後に新監督に就任。

織田●里中ら野球部の監督。かなりいい加減な人物だが選手の力量を見極める鋭い視点や実践形式でチームを育てる采配など有能な指導者。甲子園で優勝させてチームを去る。その後、江口の父親との縁で江口らの監督に就任。

天野●江口ら野球部の顧問。優秀な数学教師で弱小チームといえども独自の数学理論で一回戦ぐらいは勝たせる手腕を持つ。

小宮●江口ら一年生の時の三年生で主将。江口の入学で控え投手兼任外野手に転身するが江口らの理解者。

岡部●三年生の捕手で副主将。江口の実力を発揮させるために中学時代の後輩でもある矢吹を野球部に引き込んだ。

新山●静岡工業高校のエース。左腕の本格派として江口と比較される。英才教育を受けお坊ちゃんの江口に対して韓国籍による差別や貧乏に耐え抜いた。定時制から全日制への転入で年齢は里中、江口らより一つ上であり、江口に対してライバル心を燃やす。外国人枠で逸早く東京ガイヤンツに入団したが、怪我に悩まされている。

谷口●土井キャプテン引退後の新キャプテン。ともかく真面目で常識的な高校生。里中らが一年生の時には7番レフトで地味ながらチームを支えた。

青木●小宮引退後の新キャプテン。江口らが一年生の時には一番一塁手として出場。少し気が弱いが野球は大好き。学業の成績もいい。

ヨーコ●名古屋繁華街の組織の女の子。朱美の留守を守る。江口の相手をしたことがきっかけで江口の相談役となる。朱美が売春組織を辞めてデパートに就職したことに触発され、料理人の道を目指す。

夏美●中学時代から高校へと続く岩城の恋人。女子ソフトボール部の実力者。中学時代の里中を知っており、田山や岩城に、その才能を伝えた。甲子園球場周辺で朱美と知り合い友人になる。

黒沢秀●江口、矢吹の一学年下の新入生。抜群の運動神経と野球経験を持ちつつ、学科成績も優秀。レギュラーに抜擢される。

滝一馬●黒沢と一緒に好成績を収めた新入生。投手経験もあり江口に次ぐ青雲の投手になる。

内川亜紀●中学時代から矢吹のクラスメイト。不良少年の矢吹を嫌って避けてきたが、野球にのめりこみ無口になっていく矢吹の姿に惹かれていく。

浜圭一●里中と勝負するために明訓野球部に入ってきた新入生。右のオーバースローで速球派。生意気な性格は、そのままだが里中と並ぶ二枚看板投手に成長する。

池田●浜とは対照的に真面目で純情な新入生。田山を尊敬して入部。小学生に間違えられる小さな体だがキャッチャーとしての技術は高い。

八木●プロ野球界とアマチュア野球界を取り持つフィクサー。怪しげな人物だが常に選手のことを考えている温かい人物。

大田黒●ロシア系とのハーフであるため殿下と呼ばれる森沢高校のエース。実力は疑問視されながらもプロ入りを果たす。

二本松●里中達が三年生の時に入部してきた新入部員。不細工な顔と不恰好な体格だが投手としても打者としても素晴らしい才能を持つ。田山、岩城、馬場の中学時代の後輩であり、先輩達を高校まで追いかけてきた。

加藤弘●愛徳高校野球部員。不良学校の悪だが野球だけは真剣にやる。高校時代は由良明訓に敗れるが、その時の活躍で全丸大のノンプロチームに入団。左投げ左打ちの一塁手。

中間透●加藤と同じ愛徳高校野球部員。加藤よりも明るい性格だが相当の不良でもあった。甲子園では由良明訓に敗れたものの加藤と一緒に全丸大に入団。右投げ右打ちの三塁手。

高山志朗●全丸大のエース。里中よりも二歳年上で一年生の時の夏の甲子園では対戦はないものの出場していた。剛速球の持ち主だが四球で自滅する敗戦が多く、プロからの打診はあっても入団拒否をし続けている。後に里中に触発されて宝塚ブレイブに入団する。

湯川勝●江口らがプロ一年目で苦闘する71年。栃木県の柵新学院の進学クラスに突然現れた怪物ピッチャー。アマ、プロ球界を引っ掻き回す裏主人公。

湯本武●高校時代は甲子園出場を決めながら不祥事による出場停止。大学では四年時に監督との大喧嘩で退部。里中の入団拒否の代替でロビンスに入団。悲劇のピッチャーと呼ばれているが、明るく柄の悪いインテリヤクザ。

河村監督●東京ガイヤンツ九連覇を成し遂げる大監督。当初、痩身の里中を疎んじていたが、徐々に、その闘志と技術を認めていく。選手とは、あまり話をせずに腹心の報告によって対応する。管理野球の申し子。

長尾●ガイヤンツの二軍監督、一軍ヘッドコーチ、一軍投手コーチと人事異動の多い河村の腹心。無愛想で口うるさい人物のため選手には嫌われている。江口敏を死に至らしめた一因は自分にあると自責しており、里中に期待をかける。

黒岩●ガイヤンツ二軍監督、一軍ヘッドコーチ、一軍守備走塁コーチ。もともとガイヤンツOBだが一時期は広島の海洋モータースの監督を務めた。長尾とは正反対の親分肌の人物で選手から好かれているが、采配には疑問が残る。投手として入団させた人材を野手に転向させたがる傾向がある。

藤井●ガイヤンツ一軍投手コーチ、二軍監督。現役時代はガンジーと呼ばれる痩身のエース。そのため似たタイプの里中に目を掛けている。褒め殺しで投手を乗せる性格は選手に人望があるが、それ故、河村や長岡に疎まれてガイヤンツを退団する。

中川●ガイヤンツ二軍投手コーチ、現役選手よりも若いため若手選手の兄貴分のような存在。河村からも信頼を受けており、人事異動の多い組織の中で定位置をキープしている。

牧場●現役時代は中京ドアーズの内野手。英語が堪能でメジャーリーグの文献を研究しているため河村の声でガイヤンツのヘッドコーチに就任。一時期は守備走塁コーチに降格したが、その堅実な作戦は常勝軍団の頭脳と判断され、再びヘッドコーチに戻る。

長岡●六大学野球から鳴り物入りでガイヤンツ入りしたスーパースター。河村の勇退後の監督に内定しており、現役晩年は衰えを見せながらも最後の最後まで燃える男の真骨頂を見せる。

司馬●元甲子園優勝投手だがガイヤンツ入団と同時に打者へ転向。当初は伸び悩んだが、荒井打撃コーチの指導により一本足打法を開眼させ世界的なホームラン打者になる。長岡より五歳年下ということもあり、九連覇末期に、その打撃技術は円熟に達する。

堀本●紳士的なガイヤンツの選手の中で、あえて悪太郎という不良キャラクターを演じるエース。プライドと強気のピッチングが魅力。

高岡一三●堀本が右投手のエースなら、こちらは左のエース。性格も、どちらかというと陰気な真面目人間。堀本とは不仲なふりをしているが裏では大の仲良し。気が弱いのが弱点。

林●ガイヤンツ黄金時代のキャッチャー。陰険でケチ、投手はもちろん選手からは嫌われているが河村には絶対的な信頼されている。巧みなインサイドワークとポーズとしての弱気で相手を騙す。グラウンドの司令塔。

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