第78話 春風編●「アイドル投手コンビ」
文字数 1,931文字
土井は一年生の浜に試合経験を積ませるため全ての練習試合は浜が五イニング。里中が四イニングと決めた。一年生キャッチャーの池田も三イニングはマスクを被る。練習試合の勝敗は度外視して浜と池田を戦力に取り入れることが先決である。浜が投げている間は里中はセンターに入る。池田がキャッチャーを務める間は田山がファーストに入るというサブポジションも重視。
対戦相手としては二連覇投手の里中との対戦を期待しているため、一年生の浜がマウンドに立つと不満の表情を浮かべる。しかし身体は里中よりも大きく、ストレートも里中より速い。里中にはないフォークボールを使ってくる浜のピッチングは相手打線を苦しめたのである。速球派の浜の後でサイドスローの変則フォームの里中にスイッチすると、それまでの感覚が狂って全く打てない。
練習試合が五試合ほど消化すると対戦相手は「一年生エース浜」「二年生エース里中」と由良明訓のエース二枚看板が定着した。痩身で女の子のような優しい顔立ちのルックスで女性ファンの声援を受けていたが、浜も端正な顔立ちをしていた。むしろ年下の浜の方が男らしく凛々しい顔と逞しい身体を持っていたので浜の方が兄貴分っぽく見える。このルックスが地方新聞に掲載されたため、報道陣が由良明訓のグラウンドに押し寄せるようになった。
最も、選抜大会まで優勝すると、お世辞にも二枚目とは呼べない田山、馬場。豪快な巨漢の岩城にも、むしろ男らしさを感じる女性ファンが増え始めた。田山の豪快なバッティングフォームや肥満体には思えない機敏な捕手動作も「カッコいい」と感じる女性ファンがいた。馬場の華麗なセカンド守備も女性週刊誌は「蝶のように舞う」と形容した。
また練習試合を観戦していた女性記者やファンから意外な評価を得たのが一年生キャッチャーの池田だったのである。160センチの低身長。小学生に間違えられる童顔。キャッチャーとしての技術も高く、真面目な試合態度も好印象を与えた。時折「池田くーん!頑張って」と女性ファンの声援を受けるとポッと頬が赤くなる純情さも「可愛い」とマスコット的な評価を受けた。
スポーツ記事では、浜と池田に関しては辛辣な記事も見受けられたが、女性週刊誌は土井監督を筆頭に田山、岩城、馬場、里中。それに一年生の浜と池田を加えた七人を「注目の高校野球アイドル」として大々的にグラビアを掲載した。出版社としては鳥取までの交通費はかかっても芸能人のように過密スケジュールの合間にギャランティまで要求されるタレントや歌手を取材するよりも由良明訓野球部を取材する方が安上がりで発行部数も伸びた。
朱美やヨーコにも、それらの記事は当然のように目に入ってくる。
「夏の大会の後が一番楽しかったね。青雲大付属はともかく、由良明訓は芸能人みたいになっちゃった。私たちと同じ年齢なのに、なんだか遠くなっちゃったなぁ」
ヨーコがぼやいている。そういえばヨーコ宛に江口敏から電話が来ることもなくなった。里中に至っては音信不通と言っていいほどである。
「まぁ…しょうがないかな。こないだ夏美ちゃんと電話で話したけど同じ学校の夏美ちゃんでさえ岩城君と並んで歩くことも出来ないみたいよ。下駄箱に手紙が入ってて、開けようとしたらカミソリが仕込まれてた…って言ってた」
「言っちゃ悪いけど岩城君で、そんなんだったら里中君と朱美が一緒にいるところを見られたら、その場で出刃包丁持った女が出てきそうね!」
「冗談じゃなくて、そういう心配をしなきゃいけなくなってるみたいね。まぁ…いい経験したと思って、このまま自然に別れていくのも傷つかなくていいわって思う。私、いっそ東京に行こうかな?名古屋にも飽きちゃった」
「今から猛勉強して青雲大付属高校を受験しようかしら?」
「はぁ?ヨーコみたいなアホが行ける高校じゃないでしょ?」
「はぁ~やっぱりそうか…あんな悪だったのに矢吹って頭良かったんだね」
「矢吹ねぇ…」
何か言いかけて朱実は口ごもった。元はと言えば朱美を女として見向きもしない矢吹に当て付けるつもりで里中繁雄に近づいた。しかし人気という正体不明の渦に揉みくちゃにされて里中との距離が遠くなると、やはり矢吹太という存在は朱実の中で大きかったことを自覚する。
世の中で一番憎たらしい人間が矢吹太だ。それは同時に朱美が一番愛している人間が矢吹太なのかもしれない。