第28話 甲子園編●「攻略」
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難波球場の食堂で由良明訓対岐阜青雲戦に注目する近畿リンクスの山城監督と捕手で主砲の村野に声をかけてきたのは、この日リンクスと対戦する宝塚ブレイブの西監督だった。ブレイブは万年Bクラスのチームだったら西が監督に就任後、徐々に力をつけ昨年度の優勝チームとなった。
人情派の山城監督とは対照的に西監督は選手への鉄拳制裁も日常茶飯事。常に口をへの字に閉じ、シャレ一つ言わない仏頂面の熱血監督である。就任当初は選手に煙たがられたが、その真剣な采配に人望を集め、選手から「俺のもう一人の親父は西さん」と言われるほどに慕われた。
「おう!ニシさんか。ここは呉越同舟で、わしらの金のタマゴの品定めといきませんか?」
「品定めですか?いいですな。親分は、どの選手が気になってます?」
「うーん。報告じゃ江口投手やが、由良明訓は粒が揃ってるなと」
打席には一番打者の岩城が入っている。西が腕組みをしながら
「ちょうど、この岩城君が三振するところを家のテレビで観たんだが、こいつはプロ向きだと、わしは注目してますわ。一年生で甲子園初出場。相手は地区予選で三振の山を築いた注目投手。これだけの条件が揃ったら緊張で、ぎこちない動きになるはずですが、この岩城ときたらプロの十年選手みたいに堂々として平気で空振り三振しておる」
「ニシさんは空振り三振した選手は許しますが、見逃し三振した選手はベンチで小突いてますやろ?わしはキャッチャーやから、よく見えますで」
「あは…ムラにバレとったか!さすがに抜け目ない名捕手だ。空振り三振はいい。マグレでも当たったら結果は解からん。見逃し三振はアウトしか結果はない」
西と村野の話に山城が割り込んだ。
「一番バッターに、この岩城を据えた織田っちゅう監督の手腕を褒めたい。こんな豪傑はクリーンナップに置きたくなるのが監督の心情やが、一番にする。一回表から相手ピッチャーはピンチや。対戦相手が嫌がることをしてくるのが監督の腕やがな」
「親分、ニシさん。わしは、こいつの打席は注目してますが、江口の速球にタイミングだけは合った空振りなんですわ。その分、コースはメチャクチャですがな。今の空振りも踏み込んで全力で振ってますわ。冷や汗かいてるのは江口の方やないですかね」
村野の見解に西監督が頷いた。
「さすがやね。では名キャッチャー村野だったら、この江口ってピッチャーをどうリードするんや?」
「ほうですね。ニシさん。わしの見たところ江口はスピードだけじゃなくてコントロールもかなりいい。左右、高低でストライク・ゾーンの四隅を散らして撹乱させたい。けどですなぁ。外角の低めばかり放るんですわ。ひょっとすると、この男、内角に投げれないんじゃないか思います。一球でも内角の胸元で打者を仰け反らすと後が楽なんですわ」
「一つ間違えば殺人ボールになりかねんスピードやね。コントロールは申し分ないんだが度胸がないんやな。ニシさんにビシビシ鍛えてもらえば凄いピッチャーになるやろうね。再来年のブレイブの1位指名は江口かいな?」
「そら、こんだけの逸材は欲しいですが、まだ一年生で選抜も入れれば甲子園のチャンスは四回ありますわ。その頃は十二球団の争奪戦になりますわ」
「わしの予想では二年後のドラフトは割れると思いますわ。田山も必ず出てきますやろ。あれだけ打ててリードも守備も巧いキャッチャーはなかなかいまへんで」
そんな話の中で岩城がサードへの強烈なライナーで倒れた。江口の三振記録が途絶えたことで甲子園球場に大歓声が響き、その歓声はアナウンサーの声をかき消した。
「ほう…。しっかり踏み込んどると思ったら、左に引っ張ったか!ええやないか、この岩城っての。わしゃ、もう少しで監督も勇退や。そしたらリンクスの監督はムラや。江口、田山は外れもあるが、この岩城なら単独1位で取れるやろ!」
「いいですか?わしは敵ですよ。敵の監督に、そんな球団の重要人事漏らしたら問題になると違いますか?」
「ニシさんよぉ。あんただって、よく解かってろうが、わしが勇退した後は、誰がどう考えたって、このムラが選手兼任監督よ」
山城はポンと村野の肩を叩いた。一瞬、村野は照れ笑いを見せたが、すぐに真顔になった。
「まぁまぁ親分。まだ親分には当分、頑張ってもらわんといけませんわ。それよか親分もニシさんも次の馬場っての観ましょうや。わしは、こいつのセカンド守備には感心しとりますよ。今すぐプロ入りしても通用しますわ。長打はないですがセンスはいいし脚も早い」
打席には少しかったるそうな動きをしながら明訓二番の馬場が入った。初球からバントの構えをしている。村野は馬場が前の打席でも二球目にバントを構えをしたのを思い出した。その仕草が速いボールにバットを当てに行くバントではなく、ストライク・コースにバットを出すことで江口のボールの何かを計っている仕草、それと同時に捕手矢吹に対する牽制に見えた。
「なろほど!ムラの言う通りだ。体は小さいが馬場ってのは落ち着いてるな」
「ふむ。こういう選手を、わしらが見逃しちゃいかんね。なんか完成されとるね。この馬場ってのは、このままプロ入りしても教えることは何もないってタイプだ」
西監督もさすがに鋭い。馬場は三球目にスリーバントと見せかけておいて一度バットを引き、江口の速球に逆らわず、バスターともヒッティングとも思えない中途半端な打法で打ち返した。ボールはフラッと上がり、飛びついた青雲の二塁手をあざけ笑うようにライト前に転がった。
「ほう。この馬場が忍者だったか!完全試合とノーヒットノーランは消した。このショックは江口君にはでかいのぉ」
「ふむ。ヤマさん。忍者とは上手いこと言いますな。しかし好投しているピッチャーを最初に攻略するのはプロ野球でも、こういう小兵で器用なタイプですわ。1点リードと言っても完全試合を止められたショック。それに次にキャプテン土井、注目の強打者田山を迎える江口のプレッシャーは計りしれん」
「江口がおらんかったら、ただの弱小チームの青雲が無死及び一死で俊足のランナーに対応する守備が出来るのか?江口自身さえランナーを背負って投げるのは初めてやろ!この試合は明訓が勝つと、わしは見ましたが…両監督は、どうでっしゃろ?」
村野の惚けた物言いに山城親分はもちろん仏頂面の西監督も思わず苦笑した。