第26話 閑話休題2●「第50回全国高校野球選手権大会~青春~について」
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この「東京オリンピック」の大ヒットで気をよくした市川監督は「第50回全国高校野球選手権大会 青春」の総監督を勤めたのである。谷川俊太郎がナレーションの原稿を担当、山本直純が音楽を担当する等、当時としては豪華なスタッフ陣で制作されたが、興行成績は惨敗に終わった。
二匹目のドジョウはいなかったというオチではあるが、この大会開催中は現実に市川監督が甲子園に詰めていた可能性もある訳で、おこがましくも作中の語り部として俯瞰から映画監督が見ている一節を作ったのである。
実際の映画「青春」は沖縄県、静岡県等で局地的な大入りを記録したが全国的には惨敗という興行成績であった。概ね現在でも映画評論家に言わせると「市川監督は野球の醍醐味を伝えていない」という評価であるが筆者の評価としては僅かな年月で純粋でひたむきな高校野球を描いただけでは時代遅れになっていたのではないか?という感想を持つ。
本稿で1968年を舞台に選んだのは、この年が時代の転換期に当たるからという意味は強い。66年に連載が始まった「巨人の星」のアニメ化。そして空前の大ヒット。さらに現在では少年マンガの代表になっている「少年ジャンプ」が7月に創刊された。「少年マガジン」「少年サンデー」が、それぞれ59年3月に創刊されたことを考えると8~9年遅れをとっている。後発雑誌の追い上げの原動力になったのは本宮ひろ志の「男一匹ガキ大将」と永井豪の「ハレンチ学園」だったことは明らかだ。
余談だが「マガジン」「サンデー」の読者を取られた少年画報は63年に「少年キング」を創刊する。手塚治虫、松本零士、吉田竜夫ら、正統派の執筆陣を揃えながらも地味な「キング」の存在を反面教師とした「ジャンプ」は創刊当初から新人作家を中心にしながら先鋭的な感覚で老舗三誌と勝負したと言える。今、読み返すと大したことはないが「少年」と銘打った誌面にエロチック・ユーモアを前面に打ち出した「ハレンチ学園」の衝撃は凄かったことだろう。
不思議なものだが人間は禁止されたものや嫌われるものを見てみたい性がある。「ハレンチ学園」及び掲載誌「少年ジャンプ」が「子供に読ませたくないマンガ」と大騒ぎをすればするほどに「子供が一番読みたいマンガ」になっていったのである。
また、この年の秋のドラフト会議は空前の豊作と呼ばれ未だに伝説になっている。阪神・田淵幸一。中日・星野仙一。広島・山本浩二。西鉄・東尾修。阪急・山田久志、福本豊、加藤秀司。現在でも伝説のプロ野球選手が揃った時代でもあるのだ。ある種、アマチュア野球の選手が結果的にプロになったのではなく、プロを目指してアマチュア野球をやるという時代に変わっていたのだ。「巨人の星」作中でも主人公・星飛雄馬はプロ野球選手となっている。
「東京オリンピック」から四年しか経過していないが、こうした時代背景の中で市川崑が純真なものの象徴として甲子園大会を映し出しても観客側の感性は、その先へと進んでいたのだ。梶原一騎という人物は、その見極めと判断が非常に早い。別ペンネームの高森朝雄名義で「あしたのジョー」の連載が始まったのも、この年である。アウトローな不良少年が山谷に流れ着くという衝撃的なシーンから始まる衝撃的なストーリーである。
「巨人の星」も物語後半になるとヤクザとの関わりやディスコの前身であるゴーゴー喫茶等が作中でも描かれるようになる。ちなみに翌年69年には「少年チャンピオン」が創刊される。野球マンガを少年誌の目玉として「巨人の星」で確立させた梶原一騎は、数年後から水島新司という新しい挑戦者を迎え撃つことになるのであった。