第186話 崩壊の前日●「昨日の友は今日の敵」
文字数 2,458文字
午後からはキャンプ地の近い福岡クリッパーズとのオープン戦が行われる。シーズン最初のオープン戦ということもあり、両チームとも若手中心のメンバーによる練習試合に近い感覚である。しかし九州の野球ファンは、この練習試合を観戦しようと早朝から行列を作っていた。ガイヤンツ側は長岡、司馬のNS砲は調整中のため先発しないと発表していたがベンチ入りしないとは言っていない。「代打でもNS砲を見られるのではないか?」という期待があった。さらに注目されたのは里中がガイヤンツ入りしたことでクリッパーズのキャッチャー田山三太郎と元由良明訓高校同士の対決が見られるのではないか?との期待があったのである。
一年目の前半戦こそベテラン投手が田山とバッテリーを嫌ったため「打撃はいいが、リードはお粗末」と汚名を貰ったものの、中盤から西尾投手を筆頭とする若手投手陣が勝ち星を挙げ始めるとベテラン勢も田山のリードを信用するようになった。打順も六番から五番に昇格し、外国人頼りだったクリッパーズに日本人強打者に定着。外国人は、まだ来日していないオープン戦においては四番打者に抜擢された。
里中は河村監督から「中盤で必ず出す。こんな時期から見に来てくれるファンは大切にせんとな。旧友相手に思い切り勝負してみろ!」と声を掛けられた。里中にしてみれば入団以来、初めて大監督に声をかけられた経験となった。
田山は高校時代から変わらない。常に冷静にキャッチャーを務め、二回の裏にはガイヤンツ先発の新山から先制のソロホームランを放った。ガッツポーズもせず、嬉しそうな顔一つしないままダイヤモンドを一周する田山の姿は九州の野球ファンの気質に好まれた。「さすが!田山は男たい!」「チームは低迷しようが田山がおればクリッパーズは不滅たい!」と声援が飛ぶ。
「ちょっと早いが三回から行くぞ」ブルペンのピッチングコーチが里中に声を掛けた。田山に一発打たれたことでマウンド上の新山は少し萎縮しているようだ。三回裏、二番打者にフォアボールを与えたところで新山は里中にマウンドを譲った。新山はボールを渡しながら
「お前らに、やられた甲子園の決勝戦を思い出したぜ。あ…あ…胸糞悪い」と言いながら少しだけ笑った。
「ガンヤンツのピッチャー新山に代わりましてピッチャー里中。背番号40」とアナウンスがあると県営球場から歓声が上がった。「オープン戦から見せてくれるね!河村さん!」「待ってました同門対決!」という声に混じって「次は江口を上げてくれ!田山対江口。甲子園名勝負数え歌の再現じゃ!」との野次が聞こえた。
ファンは勝手なもので江口が、とてもじゃないがマウンドに上がれない状態のことを知らない。里中は「聞け!江口。お前のことをファンは忘れちゃいないんだ」と投球練習をしながら三塁側のベンチを一瞥した。江口はベンチの片隅で俯いている。「そんな場合じゃねぇだろ」と里中は少し頭に来た。
しかし無死ランナー一塁。バッターは三番という場面である。高校時代には頼れる主砲だが、敵に回すと怖い田山三太郎が四番に控えている。サイドスローの里中としては苦手な左バッターでもある。最高はゲッツー。二死ランナー無しで田山という場面で勝負。最悪はヒットや四球で二人のランナーを塁に出すことだ。ベンチのサインは中間守備。三振か凡打で一死ランナー一塁の形にしたいという意味だろう。キャッチャーの吉川がタイムをかけた。ベテランの林と併用されているガイヤンツの準正捕手である。
「ところで、お前さん。球種は何があるんだ?」
「一番使っているのがシンカーです。三番は右バッターなのでカーブを使いたいですね。後はスライダー。ノンプロの時にキャッチャーはストレートがシュート気味になると言ってました」
「なるほどね。なかなか器用だな。ボールになるカーブから探っていこう」
一球目のカーブを無理やり合わせようと空振りしたため、この打者には里中が有利になった。見逃せばボールになるシンカーをファール。低めのストレートで三球三振を取った。さぁ問題は、次の田山だ。肥満体型は相変わらずだが、鋭い威圧感をピッチャーに与える強打者独特の雰囲気を持っている。
まずはシンカー。田山の選球眼は相変わらずでボール球には乗ってこない。ここで里中側からスライダーのサインを出した。スライダーは高校時代には投げておらず、全丸大時代に習得した球種である。田山の身体が瞬時に反応する。バッターの肩を狙うようなスライダーを見事に打ち返した。広い地方球場だけにホームランにはならなかったが、一塁ランナーを返す。ツーベースである。鈍足の田山だからツーベースで済んだが俊足のバッターなら三塁打になっていたというライトの深いところに打ち込まれた当たりだった。
後続を辛うじて抑えてベンチに戻る里中に吉川が「完全に読まれたな」と言いながら肩を叩いた。ライトを守っていた淡谷からも「サイドスロー投手の宿命さ。左バッターから見れば球種が丸見えだよ。それに高卒一年目で二割九分。並みのバッターじゃない」と言われた。大西からは「細い身体に似合わず。いい度胸してやがるな。もっと臭いコースで探っていくかと思ってたぜ。かつての相棒の手痛い歓迎ってやつか!」と変な励まされ方をした。
「今年は対左打者対策が俺の課題か…高校野球とノンプロでも差があるものだと感じたが、ノンプロとプロの差は、それ以上だ。まぁ、じっくりと一年目はやっていこう」と里中は決心した。里中の視界の片隅にいる江口は顔を伏せたまま押し黙っている。まるでガイヤンツ二軍に、ただいるだけの選手に成り下がった江口の姿を見て、里中は少し腹が立った。