第79話 春風編●「ビッチとヴァージン」
文字数 2,493文字
報道陣もかなりいる。二台ほどのテレビカメラがグラウンド内に設置され、スタッフが何人も入っていた。何人かの新入生はファールボール等がカメラを直撃した時のためグローブを着けて警備体制を取っていた。これが田舎の高校の放課後には見えない人だかりである。周囲には無許可でたこ焼や焼きそば等を販売するテキヤが露店を出していた。本来なら逮捕ものだが、急に賑やかになった高校周辺の住人は面白がっているようで苦情も出なかったのだ。
「去年、東京見物に行った時にテレビの公開収録だか何だかで、こういう感じの出たわよ。せっかくテレビに映ったんだからって楽しみにしてたけど名古屋じゃ放送しない番組だったの」
「ヨーコも軽薄な趣味してんのね。夏美ちゃんには悪いけど黙って帰ろう。明日は青雲大付属にでも寄ってみる?」
翌日、二人が岐阜青雲大学付属高校に訪れると由良明訓とは対照的に静かな雰囲気であった。校長による「あくまでも高等学校であり、進学校としての方針として高校生を必要以上にマスコミが報道しないでいただきたい」という毅然とした報道規制は未だに敷かれていた。選抜では準々決勝まで勝ち進んだだけのことはあり、金網で囲まれたフェンスの外にはファンや見物人もちらほらと見える。どうやら部外者は校内には許可なく入れない規制を敷いているらしい。
朱美とヨーコが高校のフェンス周りを歩いていると突然一人の在校生が怒鳴った。
「あんた達のことは覚えているわ!一体、何しに来たの?ここはあんた達のような不良がやってくる学校じゃない!」
金網越しに拳を握り締めた真面目そうな女子高生が二人を睨みつけていた。どうやら朱美とヨーコを知っているようだが、二人にとっては見覚えのない顔である。
「私たちのことを知っているのね?ごめんなさい。あなたのこと覚えてないの?どこで会ったのか教えてくれない?」
朱美の優しい言葉遣いは、その女子高生にとって意外だったようで、喧嘩腰の態度を急に柔らかくした。
「私は三中にいたの。授業が終わる頃、あなた達が校門の外でいるのを見てたの。たぶん矢吹君に会いに来てたんだと思ってた。いつもチンピラみたいな男のヒトも一緒にいて私…いえ私だけじゃなくて私たちは怖かった。わざと遠回りして裏口から帰宅したわ。だから、あなた達が私のことを知らないのは当然なの」
朱美は少しショックを受けた。あの頃の朱美もヨーコも地元の中学で孤立していただけだった。矢吹達と知り合うことで学校以外の世界が広がった。それが魅力的だっただけなのだ。ただ、その行動が、こんな同世代の女の子を威嚇していたとは考えもしなかった。
「ごめんなさい。本当にごめん…。あの頃、私たちは自分達が楽しむことだけ考えていたの。それが、あなた達を怖がらせていたなんて…私は朱美。このコはヨーコ。矢吹とは、ただの友達。信じて!私たちは三中の人達を脅すつもりなんかなかったの」
朱美に謝られて女子高生は困ったような表情になった。
「いいんです。結局は何もなかったんだし…。私は内川…内川亜紀っていいます。三中から青雲大付属に来て、まさかと思ったら矢吹君がいて…。最初は怖かったけど、今は真剣に野球に打ち込んでいて別人みたいに喋らなくなって…」
亜紀の視線の先にはバッティング練習をしている矢吹の姿があった。江口敏が軽く投げながら打撃投手をしている。空振りが半分。目の覚めるようなヒット性の当りが半分。同じキャッチャー四番でも田山三太郎の上手さはない。しかし矢吹の全身から他の選手にはないエネルギーが渦巻いているように朱美には感じた。
「入学式の時は目の前が真っ暗になったわ。一生懸命勉強して、この学校に入ったら矢吹君やあなた達に会うこともなくなるってホッとしてた。なのに矢吹君が入学式にいた。なんで!こんな不良がこんな進学校に来てるの?って感じよ」
「私もヨーコも驚いたわよ。せいぜいどこかの工業高校でも行くんだろうと思ってた矢吹が青雲大付属に合格したなんて!」
「だから、さっき怒鳴ってしまったのは、あなた達が、また矢吹君を不良の世界じ連れ戻してしまうんじゃないか?と思ったのよ。三中の生徒たちでは矢吹君の友達は暴力団と繋がっているとか噂あったし、あなた達のことも少女売春で資金源になっているとか、そんな噂があったの」
「あー!それは半分は合ってるかな。ただ本格的に売り出したのは高校に行かないって決めて、あたしも朱美も親と大喧嘩して家を飛び出してからかな。三中に行ったりしてた頃は、やってたけど売ってなかった」
ヨーコのあっけらかんとした物言いに真面目な内川亜紀も吹き出した。朱美も笑った。
「陽気なのよ。こっちのヨーコは。あたしは陰気だけど…」
「でもね。怖かったし、売春とかって軽蔑するふりはしていたけど、本当は、あなた達が羨ましかったの。両親や先生に気に入られ真面目に勉強して、それでいいのかな?って思う。東京の大学で棒を振り回して暴れている人達も、なんか気持ちが判るの。自分がどこにいるのか判らなくなっちゃう」
「羨ましいなんて人間じゃない。亜紀ちゃんの言う通り、東京の大学生よりも四年ぐらい早く、学校やら家庭に反発しただけなの。反対に今は亜紀ちゃん達が羨ましい。でも一番羨ましいのは矢吹よ」
亜紀は再び視線をグラウンドに向けて矢吹太の動きを追っていた。青雲野球部の練習時間は短い。バッティング練習は終わって守備練習に移っていた。朱美は亜紀の瞳を見つめた。
「亜紀ちゃん…。矢吹のことを好きになっちゃったんじゃない?」
亜紀は頬を赤らめて黙って頷いた。