第69話 選抜大会編●「凡戦」
文字数 1,473文字
サードの岩城を三塁ベースとホームベースの中間で守らせ、セカンドの馬場をマウンドと一塁ベースの中間で守らせた。ショートの谷口は二塁ベースにべったりと貼りつく。ガラ空きの三塁は全身守備のレフトが守った。ショートのポジションにはセンターが入り、一塁と二塁の中間のやや後方にライトが入った。
「矢吹と江口以外のバッターに里中のボールを外野に飛ばす力はない。マグレで打たれてもホームラン以外は得点はない。里中はバント処理は岩城と馬場に任せてピッチングに専念しろ」
高校生監督土井の指示は的確だった。江口、矢吹、青木以外の五人は夏の大会には試合経験がない。練習を積んだバントでも里中の切れのいい変化球を当てるのは至難の業だ。それに加えてプロレスラーのような巨漢岩城が一球づつ突っ込んで来るのだ。完全に萎縮してしまった。
一方、江口のピッチングだが一回の失点で集中力を取り戻した。スローカーブを主体に落差のある速球でカウントを整える。こうなるとガイヤンツの金山投手が推測するスクリューボールの投げ損ないチェンジアップも効果的になってくる。下位打線でも青雲打線に比べれば圧倒的に鍛えられている明訓打線でさえカーブを狙ったが曲がらないボールを打ち損なったり引っ掛けたりして凡打を繰り返した。カウントが有利になれば江口が伝家の宝刀外角低めの豪速球を投げ込んで三振を奪った。
江口も岩城、馬場、田山の三人に対しては慎重なピッチングを見せた。特に田山に対しては観客から汚い野次が飛ぶほどの逃げのピッチングだった。要するに四球で出塁したところで田山は鈍足。後続の打者では江口を打ち込むことはできないと判断したのだろう。田山への三打席は死球、四球、四球である。
「いっそ男らしく敬遠しろ!」
そんな野次に拍手が送られるようなスタンドのムードであった。青雲の攻撃中はもちろん、明訓の攻撃でも五番以下の打順であれば真剣に試合を見ている者は両校の応援団ぐあいだった。甲子園の売店に飲み物を買いに行く者。スタンド裏で知人とお喋りする者。あくびをしながら禁煙する観客も増えていった。
岩城、馬場の前進守備に阻まれていてもバントの指示を出し続ける青雲ベンチへの野次も大きくなっていった。
「どうでアウトなんだから男らしく三振しやがれ!」
「他に作戦ねぇのかよ!これが本当のバカの一つ覚えだ」
観客にしてみれば江口の奪三振。田山、岩城の豪快なホームランを期待していた。夏の大会で魅了された豪快な試合を期待していた。しかし目の前では地味で盛り上がりのない試合が淡々と続いている。そのフラストレーションが溜まっていたのである。
九回の表、青雲の攻撃は打順良く一番から始まった。トップバッターは性懲りもなくバントの構えを取る。明訓はバントシフトに切り替える。甲子園は野次と怒号に包まれた。いくら関西の野球ファンは気性が荒いと言っても高校野球では、こうも荒れた雰囲気にはならない。昨年のペナントレース終盤のタイタンズ対ガイヤンツ戦でガイヤンツの司馬に対する死球騒動で警官隊と機動隊を出動に至った。
さすがに高校野球で機動隊の出動はないが、兵庫県警は甲子園球場周囲の警備に警官を増員させて不測の事態に備えた。