第40話 思春期激闘編●「父と息子」

文字数 2,211文字

 豪華な応接間である。矢吹太にとっては見たこともない絵画が壁に飾られ、家具調のステレオセットからノリのいいロックが軽く流れている。棚にはトロフィーが飾られている。目を凝らして見ると、ほとんどが都市対抗野球のものだ。「最優秀選手・江口徹」と記された賞状も飾られている。江口敏の父親のものだろうと矢吹は納得した。
 「居心地悪いなぁ。お前んちは」
 「そう言うなよ。どうしても父さんが矢吹君と会いたいって言うからさぁ」
 「あの絵だって何が描いてあるのか?さっぱり分からないよ。人が死んでいるようにも見えるし、寝ているようにも見える。なんか怖いな。それにさっきからかかっているレコードも変なロックンロールだ。妙にクラシックっぽい感じがして奇妙な気分になるな」
 ドアが開いてポマードで髪をべったりと固めた紳士が入ってきた。エンジ色のポロシャツに白いスラックス。矢吹が想像していたよりも若い雰囲気を持つ江口の父親だった。
 「これはディープ・パープルという新しいバンドだよ。イギリスのグループなんだがアメリカで人気が出た。日本では、まだレコードは売ってなくてね。アメリカのレコード店から取り寄せたんだ。そのうち日本でも人気グループになるだろう」
 ソファーにどっかりと座った江口の父親は馴れ馴れしい口ぶりで矢吹に話しかけた。横に座っていた江口の方が自分の父親の変人ぶりに困惑しているようだ。
 「敏から矢吹君のことはいろいろと聞いているよ。柔道選手から転向して、こいつのボールを捕れるなんて凄い才能だな。それに影ではなかなかヤンチャもしているらしいね。それでいて進学校の青雲に合格するとは羨ましいような才能だね。文武両道などと、よく言うが矢吹君は文武悪の三道を制している。敏なんかより君の将来が私は楽しみだ」
 「そんな大したもんでもないですよ。柔道にも飽きちゃって、不良少年も嫌気が差して、受験勉強してみたら青雲に受かっちゃった。そしたら江口君という凄いピッチャーがいた。こんな奴がいるなら野球やってみるのも面白いかな?と思っただけです」
 江口の父はジッと矢吹の目を見つめている。何か自分の心の底を覗かれているような嫌な気分になる。ひょっとしたら、この父親は俺が江口に朱美を宛がって童貞を卒業させたこととかまで見透かしているんじゃないか?とも矢吹は思った。
 「なるほど。しかし、それで短期間に甲子園に出場してしまうとは私も驚いた。矢吹君。私はね。甲子園出場常連校に敏を入れたくなかったのだよ。まぁ、ああいう学校のキャッチャーなら敏の全力投球を受け止めるキャッチャーはいるだろう。甲子園出場もたやすい。君も知っている通り岐阜青雲大学付属高校の野球部など弱い。だからこそ敏は自分で考えて、いろいろ工夫して一戦でも多く勝とうとする。そんなことを教えたかったんだが矢吹君の登場で、いきなり甲子園に出てしまった。こればっかりは計算外だったよ。わっはっは」
 「でも結果は一回戦負けですから」
 「いやいや!由良明訓高校っていったね。あのチームは強い!凄いキャッチャーの田山三太郎だけど、彼はね。もう打席の中にお城を構えている。内堀と外堀があって、その中間でボールを捉えるという理想的なバッティングだ。プロの選手でも、あれだけ完成された打撃ができる選手は少ないよ。もう一人、岩城正という選手も面白い。田山選手とは対照的に荒くれ者タイプだ。抜群の運動神経と全身の筋力が素晴らしい。多少外れたボール球でも泳ぎながらホームランだ。三振は多いが、それだけ強振している証拠だ。私もアメリカで本場の試合を見たが大リーグの四番打者は、あんなタイプが多い。三打席三三振でも四打席目にホームランを打てばファンは大喜びだ。エンターテイメントとしてのベースボールをやろうという考え方だね。彼が批判されるのは高校野球の中で一人だけ大リーグの野球をやっているからだ」
 「僕も田山君よりも岩城君の方が怖いと思ったよ。初回から全力で三振してたけど、バットとボールが当たったら甲子園のバックスクリーンまで飛んでいきそうだった」
 「まぁ、あの野郎が褒められるのは俺としちゃ胸糞悪いんだけど、認めるしかないわな。あの化け物めいたパワーは凄い!」
 三人は一緒に笑っていたが、江口の父は次の提案をした。
 「うん。これで敏も矢吹君も目標が変わった訳だ。目標はただ一つ!打倒!由良明訓高校だ。実はね。青雲の天野先生から私のところに敏の在学中だけでも野球部の監督を私にやって欲しいとの話があった。だけど私は断ったよ。高校入学と同時に敏は私から離れなければならない。それに父と息子が同じチームにいては矢吹君も天野先生をやりにくい。ただ天野先生は素晴らしい先生だ。少ないヒットで確実に得点を挙げ、弱い戦力でも相手に点を取らせない。甲子園でも一回戦の相手が由良明訓でなかったら勝てたと私は見ている。アメリカではスモール・ボールと呼ぶんだが、知らないでそれを実践している。ただ強豪チームとの対戦になると天野先生は野球の知識が少ない。なので私は、この人物を青雲のために呼んだよ。おーい。入ってきてくれないか?」
 応接間のドアが開き、無精ひげに薄汚れたシャツ姿の男が現れた。
 「あ!」
 その男の顔を見るなり、矢吹も江口敏も飛び上がった!
 「おい!江口!お前の父さん…一体、何者なんだ?なんでこんな人を動かせるんだ?」
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登場人物紹介

里中繁雄●本稿の主人公。野球選手と思えない痩身に芸能人も顔負けの美少年。サイドスローの技巧派投手。性格はルックスに反して強気で負けず嫌い。投手兼任外野手として活躍した後にノンプロ全丸大に入団。

江口敏●もう一人の主人公。ノンプロ野球選手だった父親に英才教育を受けた剛球左腕投手。童顔に逞しい身体を持つが闘争心はあまりなく、気は弱い。三年生の夏の甲子園で優勝投手となり、ドラフト一位で名門東京ガイヤンツに入団。

田山三太郎●里中のピッチャーとしての才能を見出した天才キャッチャー。打撃も凄まじくプロ野球のスカウトに注目されている。甲子園大会の通算本塁打記録も作り、ドラフト一位でパリーグの福岡クリッパースに入団。

岩城正●田山とは中学時代からチームメイトだった巨体の持ち主。三振かホームランという大雑把な選手だが怪力かつ敏捷さもあり、プロレス界が注目する逸材との噂はある。三年時にはキャプテンも勤め、そのリーダーシップは評価された。ドラフトでは江口の外れ一位ではあるがパリーグ近畿リンクスに入団。

馬場一真●田山、岩城と三羽烏と呼ばれた好打好守好走のセカンド。田山、岩城ほどのパワーはないがスピードと技術は最高。変わり者である。実は東京ガイヤンツから入団交渉を受けていたが野球の道は高校までと決めており、帝国芸術大学に進学する。

矢吹太●中学時代は将来オリンピック選手として期待された柔道の猛者でありながら、地元の不良や街のチンピラに慕われる奇妙な不良少年。江口の才能を認めキャッチャーへ転身する。高校時代は事実上のチームリーダーを務め、キャプテンとしてチームをまとめた。プロ入りは拒否。

朱美●矢吹の不良仲間で少女売春をやっている。根はマジメ人間で肉体を汚しつつも気持ちは美しい。江口に惚れられながら、自身は里中に惹かれていく。彼らとの交流を通して自分を変えるため、名古屋のデパートに勤める。

土井●里中ら一年生の時の三年生の主将。高校ナンバーワンのキャッチャーであり、女生徒に人気の男前であったが、田山にポジションを奪われ里中に女性人気を奪われる気の毒な先輩。しかし潔く後輩を立てる姿に人望を集めた。織田監督辞任後に新監督に就任。

織田●里中ら野球部の監督。かなりいい加減な人物だが選手の力量を見極める鋭い視点や実践形式でチームを育てる采配など有能な指導者。甲子園で優勝させてチームを去る。その後、江口の父親との縁で江口らの監督に就任。

天野●江口ら野球部の顧問。優秀な数学教師で弱小チームといえども独自の数学理論で一回戦ぐらいは勝たせる手腕を持つ。

小宮●江口ら一年生の時の三年生で主将。江口の入学で控え投手兼任外野手に転身するが江口らの理解者。

岡部●三年生の捕手で副主将。江口の実力を発揮させるために中学時代の後輩でもある矢吹を野球部に引き込んだ。

新山●静岡工業高校のエース。左腕の本格派として江口と比較される。英才教育を受けお坊ちゃんの江口に対して韓国籍による差別や貧乏に耐え抜いた。定時制から全日制への転入で年齢は里中、江口らより一つ上であり、江口に対してライバル心を燃やす。外国人枠で逸早く東京ガイヤンツに入団したが、怪我に悩まされている。

谷口●土井キャプテン引退後の新キャプテン。ともかく真面目で常識的な高校生。里中らが一年生の時には7番レフトで地味ながらチームを支えた。

青木●小宮引退後の新キャプテン。江口らが一年生の時には一番一塁手として出場。少し気が弱いが野球は大好き。学業の成績もいい。

ヨーコ●名古屋繁華街の組織の女の子。朱美の留守を守る。江口の相手をしたことがきっかけで江口の相談役となる。朱美が売春組織を辞めてデパートに就職したことに触発され、料理人の道を目指す。

夏美●中学時代から高校へと続く岩城の恋人。女子ソフトボール部の実力者。中学時代の里中を知っており、田山や岩城に、その才能を伝えた。甲子園球場周辺で朱美と知り合い友人になる。

黒沢秀●江口、矢吹の一学年下の新入生。抜群の運動神経と野球経験を持ちつつ、学科成績も優秀。レギュラーに抜擢される。

滝一馬●黒沢と一緒に好成績を収めた新入生。投手経験もあり江口に次ぐ青雲の投手になる。

内川亜紀●中学時代から矢吹のクラスメイト。不良少年の矢吹を嫌って避けてきたが、野球にのめりこみ無口になっていく矢吹の姿に惹かれていく。

浜圭一●里中と勝負するために明訓野球部に入ってきた新入生。右のオーバースローで速球派。生意気な性格は、そのままだが里中と並ぶ二枚看板投手に成長する。

池田●浜とは対照的に真面目で純情な新入生。田山を尊敬して入部。小学生に間違えられる小さな体だがキャッチャーとしての技術は高い。

八木●プロ野球界とアマチュア野球界を取り持つフィクサー。怪しげな人物だが常に選手のことを考えている温かい人物。

大田黒●ロシア系とのハーフであるため殿下と呼ばれる森沢高校のエース。実力は疑問視されながらもプロ入りを果たす。

二本松●里中達が三年生の時に入部してきた新入部員。不細工な顔と不恰好な体格だが投手としても打者としても素晴らしい才能を持つ。田山、岩城、馬場の中学時代の後輩であり、先輩達を高校まで追いかけてきた。

加藤弘●愛徳高校野球部員。不良学校の悪だが野球だけは真剣にやる。高校時代は由良明訓に敗れるが、その時の活躍で全丸大のノンプロチームに入団。左投げ左打ちの一塁手。

中間透●加藤と同じ愛徳高校野球部員。加藤よりも明るい性格だが相当の不良でもあった。甲子園では由良明訓に敗れたものの加藤と一緒に全丸大に入団。右投げ右打ちの三塁手。

高山志朗●全丸大のエース。里中よりも二歳年上で一年生の時の夏の甲子園では対戦はないものの出場していた。剛速球の持ち主だが四球で自滅する敗戦が多く、プロからの打診はあっても入団拒否をし続けている。後に里中に触発されて宝塚ブレイブに入団する。

湯川勝●江口らがプロ一年目で苦闘する71年。栃木県の柵新学院の進学クラスに突然現れた怪物ピッチャー。アマ、プロ球界を引っ掻き回す裏主人公。

湯本武●高校時代は甲子園出場を決めながら不祥事による出場停止。大学では四年時に監督との大喧嘩で退部。里中の入団拒否の代替でロビンスに入団。悲劇のピッチャーと呼ばれているが、明るく柄の悪いインテリヤクザ。

河村監督●東京ガイヤンツ九連覇を成し遂げる大監督。当初、痩身の里中を疎んじていたが、徐々に、その闘志と技術を認めていく。選手とは、あまり話をせずに腹心の報告によって対応する。管理野球の申し子。

長尾●ガイヤンツの二軍監督、一軍ヘッドコーチ、一軍投手コーチと人事異動の多い河村の腹心。無愛想で口うるさい人物のため選手には嫌われている。江口敏を死に至らしめた一因は自分にあると自責しており、里中に期待をかける。

黒岩●ガイヤンツ二軍監督、一軍ヘッドコーチ、一軍守備走塁コーチ。もともとガイヤンツOBだが一時期は広島の海洋モータースの監督を務めた。長尾とは正反対の親分肌の人物で選手から好かれているが、采配には疑問が残る。投手として入団させた人材を野手に転向させたがる傾向がある。

藤井●ガイヤンツ一軍投手コーチ、二軍監督。現役時代はガンジーと呼ばれる痩身のエース。そのため似たタイプの里中に目を掛けている。褒め殺しで投手を乗せる性格は選手に人望があるが、それ故、河村や長岡に疎まれてガイヤンツを退団する。

中川●ガイヤンツ二軍投手コーチ、現役選手よりも若いため若手選手の兄貴分のような存在。河村からも信頼を受けており、人事異動の多い組織の中で定位置をキープしている。

牧場●現役時代は中京ドアーズの内野手。英語が堪能でメジャーリーグの文献を研究しているため河村の声でガイヤンツのヘッドコーチに就任。一時期は守備走塁コーチに降格したが、その堅実な作戦は常勝軍団の頭脳と判断され、再びヘッドコーチに戻る。

長岡●六大学野球から鳴り物入りでガイヤンツ入りしたスーパースター。河村の勇退後の監督に内定しており、現役晩年は衰えを見せながらも最後の最後まで燃える男の真骨頂を見せる。

司馬●元甲子園優勝投手だがガイヤンツ入団と同時に打者へ転向。当初は伸び悩んだが、荒井打撃コーチの指導により一本足打法を開眼させ世界的なホームラン打者になる。長岡より五歳年下ということもあり、九連覇末期に、その打撃技術は円熟に達する。

堀本●紳士的なガイヤンツの選手の中で、あえて悪太郎という不良キャラクターを演じるエース。プライドと強気のピッチングが魅力。

高岡一三●堀本が右投手のエースなら、こちらは左のエース。性格も、どちらかというと陰気な真面目人間。堀本とは不仲なふりをしているが裏では大の仲良し。気が弱いのが弱点。

林●ガイヤンツ黄金時代のキャッチャー。陰険でケチ、投手はもちろん選手からは嫌われているが河村には絶対的な信頼されている。巧みなインサイドワークとポーズとしての弱気で相手を騙す。グラウンドの司令塔。

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