第71話 春風編●「文武両道」

文字数 1,897文字

 夏、春の選抜と連続で甲子園出場した岐阜青雲大学付属高校は例年にない志願者が殺到した。もともと名門の進学校であるため人気のある高校だが、69年度の入試は全ての教室を試験会場にしても足らず、近くの中学校を借りて第二試験会場としなくてはならなかった。
 学校側の対応としては、あくまで数学、英語、国語等の学科試験と面接試験を重視。スポーツ進学枠等は新設せず。あくまでも学業重視の進学校という立ち位置は守ると正式に発表。むしろ、この姿勢は父兄の支持を受け、愛知県や三重県からの越境進学者等も急増した。
 入学式後のオリエンテーションでは野球部への入部希望者が百人を超えた。例年、新入部員が十人いるか?いないか?の野球部に百人が殺到したのである。新入生の思惑は様々であった。いわゆる運動部にありがちな上級生から下級生に対するシゴキを嫌がる者もいた。名門進学校の青雲ならば、そういった風習はないだろうと考えたのだ。
 しかし多く見られたのは高校野球はやりたい。しかし授業も受けずに練習するようなプロ野球予備校のような野球部には入りたくないと考える真面目な少年達である。一部には強豪ひしめく東海地区の中で埋もれるよりも比較的学校数も少ない地域で甲子園出場を目論む組だ。ただし、このタイプは青雲の学科試験をパスすることはできず概ね不合格になっていた。
 頭を抱えたのは学校側である。もともと進学校の野球部でグラウンドも広く割り当てられていた訳ではない。百人以上が一斉に練習するには狭すぎた。監督の織田と顧問の天野で相談し、青雲野球部としては異例の入部テストが行われることになった。
 「俺が実技試験の試験官になりますよ。もちろん走力、パワー、敏捷性、野球技術に於いて総合点のいい十名を合格者にします。天野先生は学科試験をお願いします。英語、国語、数学、社会、理科の五教科でいいでしょう。こちらも上位十名は無条件で合格させます。もし実技、学科の両方で上位十人の成績を修める者がいたらレギュラー候補です」
 織田の発案に、さすがの天野も驚いた。
 「学科試験?野球部の入部試験に学科を入れるのですか?」
 「ええ。出題問題は俺じゃ作れませんから天野先生担当でお願いしますよ。もちろん入試試験よりも難しい問題がいいですな。場合によっては他の教科の先生には俺からも頭を下げます」
 「それは構いませんし、他の先生方も協力してくれると思いますが…それで不合格になった生徒が納得してくれますかね?」
 「俺の方から新入生には学科試験もあることを伝えます。実技試験は一度には出来ないので二十五人づつ四日間で行います。その後に学科試験をやりましょう。そうすれば彼らには四日間の勉強時間が与えられる。それまでは野球部員ではないのだから練習に参加する必要はない。勉強していようがトレーニングしようが生徒の勝手な訳です。我ながら名案だな!」
 調子のいい織田に天野は泣き笑いのような顔になった。
 「織田さん。あなたっていう人は何を考えているのですか?」
 「青雲大付属らしい野球部の形ですよ。どんなに身体的なパフォーマンスが良くても頭の悪い選手は伸びませんよ。文武両道…良い言葉じゃないですか?この学校らしくていい。江口や矢吹も二年生になったのだから学業面でも下級生のお手本にさせないといけませんな。江口は放っておいても大丈夫ですが、問題は矢吹です。あいつは、もともとギリギリの成績で青雲に合格してますからな。少しでも成績が落ちたら容赦なく補習授業をさせてください。四番だからって甘やかしちゃいいけません!」
 天野は苦笑した。予定通り織田主導による実技試験が先行で行われる。実技試験で自信のなかった者は、せめて学科試験で合格してやろうと猛勉強をした。野球部の入部テストに学科があることに不満を漏らした生徒もいたが「青雲大学付属高校野球部は文武両道が出来ない者は入部させない」という織田の毅然とした態度に全員が従った。
 織田の提案だが実技試験、学科試験共に十位以内に入る新入部員が出るなど織田自身も天野も予想していなかった。二人の予想を嬉しい誤算が裏切った。黒沢秀。滝一馬の二人が実技、学科の双方で上位十位以内の成績を取ったのである。とりわけ黒沢は実技一位。学科三位という優秀な成績である。滝の方は実技二位。学科はギリギリの十位という成績だった。
 「黒沢と滝は俺の方でレギュラーとして育てますよ。江口、矢吹、青木はレギュラーで固定。後は選抜での出場経験は別にしてレギュラー及びベンチ入り目指して競い合わせます。いいですね!天野先生もよろしく頼みますよ!」
 
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登場人物紹介

里中繁雄●本稿の主人公。野球選手と思えない痩身に芸能人も顔負けの美少年。サイドスローの技巧派投手。性格はルックスに反して強気で負けず嫌い。投手兼任外野手として活躍した後にノンプロ全丸大に入団。

江口敏●もう一人の主人公。ノンプロ野球選手だった父親に英才教育を受けた剛球左腕投手。童顔に逞しい身体を持つが闘争心はあまりなく、気は弱い。三年生の夏の甲子園で優勝投手となり、ドラフト一位で名門東京ガイヤンツに入団。

田山三太郎●里中のピッチャーとしての才能を見出した天才キャッチャー。打撃も凄まじくプロ野球のスカウトに注目されている。甲子園大会の通算本塁打記録も作り、ドラフト一位でパリーグの福岡クリッパースに入団。

岩城正●田山とは中学時代からチームメイトだった巨体の持ち主。三振かホームランという大雑把な選手だが怪力かつ敏捷さもあり、プロレス界が注目する逸材との噂はある。三年時にはキャプテンも勤め、そのリーダーシップは評価された。ドラフトでは江口の外れ一位ではあるがパリーグ近畿リンクスに入団。

馬場一真●田山、岩城と三羽烏と呼ばれた好打好守好走のセカンド。田山、岩城ほどのパワーはないがスピードと技術は最高。変わり者である。実は東京ガイヤンツから入団交渉を受けていたが野球の道は高校までと決めており、帝国芸術大学に進学する。

矢吹太●中学時代は将来オリンピック選手として期待された柔道の猛者でありながら、地元の不良や街のチンピラに慕われる奇妙な不良少年。江口の才能を認めキャッチャーへ転身する。高校時代は事実上のチームリーダーを務め、キャプテンとしてチームをまとめた。プロ入りは拒否。

朱美●矢吹の不良仲間で少女売春をやっている。根はマジメ人間で肉体を汚しつつも気持ちは美しい。江口に惚れられながら、自身は里中に惹かれていく。彼らとの交流を通して自分を変えるため、名古屋のデパートに勤める。

土井●里中ら一年生の時の三年生の主将。高校ナンバーワンのキャッチャーであり、女生徒に人気の男前であったが、田山にポジションを奪われ里中に女性人気を奪われる気の毒な先輩。しかし潔く後輩を立てる姿に人望を集めた。織田監督辞任後に新監督に就任。

織田●里中ら野球部の監督。かなりいい加減な人物だが選手の力量を見極める鋭い視点や実践形式でチームを育てる采配など有能な指導者。甲子園で優勝させてチームを去る。その後、江口の父親との縁で江口らの監督に就任。

天野●江口ら野球部の顧問。優秀な数学教師で弱小チームといえども独自の数学理論で一回戦ぐらいは勝たせる手腕を持つ。

小宮●江口ら一年生の時の三年生で主将。江口の入学で控え投手兼任外野手に転身するが江口らの理解者。

岡部●三年生の捕手で副主将。江口の実力を発揮させるために中学時代の後輩でもある矢吹を野球部に引き込んだ。

新山●静岡工業高校のエース。左腕の本格派として江口と比較される。英才教育を受けお坊ちゃんの江口に対して韓国籍による差別や貧乏に耐え抜いた。定時制から全日制への転入で年齢は里中、江口らより一つ上であり、江口に対してライバル心を燃やす。外国人枠で逸早く東京ガイヤンツに入団したが、怪我に悩まされている。

谷口●土井キャプテン引退後の新キャプテン。ともかく真面目で常識的な高校生。里中らが一年生の時には7番レフトで地味ながらチームを支えた。

青木●小宮引退後の新キャプテン。江口らが一年生の時には一番一塁手として出場。少し気が弱いが野球は大好き。学業の成績もいい。

ヨーコ●名古屋繁華街の組織の女の子。朱美の留守を守る。江口の相手をしたことがきっかけで江口の相談役となる。朱美が売春組織を辞めてデパートに就職したことに触発され、料理人の道を目指す。

夏美●中学時代から高校へと続く岩城の恋人。女子ソフトボール部の実力者。中学時代の里中を知っており、田山や岩城に、その才能を伝えた。甲子園球場周辺で朱美と知り合い友人になる。

黒沢秀●江口、矢吹の一学年下の新入生。抜群の運動神経と野球経験を持ちつつ、学科成績も優秀。レギュラーに抜擢される。

滝一馬●黒沢と一緒に好成績を収めた新入生。投手経験もあり江口に次ぐ青雲の投手になる。

内川亜紀●中学時代から矢吹のクラスメイト。不良少年の矢吹を嫌って避けてきたが、野球にのめりこみ無口になっていく矢吹の姿に惹かれていく。

浜圭一●里中と勝負するために明訓野球部に入ってきた新入生。右のオーバースローで速球派。生意気な性格は、そのままだが里中と並ぶ二枚看板投手に成長する。

池田●浜とは対照的に真面目で純情な新入生。田山を尊敬して入部。小学生に間違えられる小さな体だがキャッチャーとしての技術は高い。

八木●プロ野球界とアマチュア野球界を取り持つフィクサー。怪しげな人物だが常に選手のことを考えている温かい人物。

大田黒●ロシア系とのハーフであるため殿下と呼ばれる森沢高校のエース。実力は疑問視されながらもプロ入りを果たす。

二本松●里中達が三年生の時に入部してきた新入部員。不細工な顔と不恰好な体格だが投手としても打者としても素晴らしい才能を持つ。田山、岩城、馬場の中学時代の後輩であり、先輩達を高校まで追いかけてきた。

加藤弘●愛徳高校野球部員。不良学校の悪だが野球だけは真剣にやる。高校時代は由良明訓に敗れるが、その時の活躍で全丸大のノンプロチームに入団。左投げ左打ちの一塁手。

中間透●加藤と同じ愛徳高校野球部員。加藤よりも明るい性格だが相当の不良でもあった。甲子園では由良明訓に敗れたものの加藤と一緒に全丸大に入団。右投げ右打ちの三塁手。

高山志朗●全丸大のエース。里中よりも二歳年上で一年生の時の夏の甲子園では対戦はないものの出場していた。剛速球の持ち主だが四球で自滅する敗戦が多く、プロからの打診はあっても入団拒否をし続けている。後に里中に触発されて宝塚ブレイブに入団する。

湯川勝●江口らがプロ一年目で苦闘する71年。栃木県の柵新学院の進学クラスに突然現れた怪物ピッチャー。アマ、プロ球界を引っ掻き回す裏主人公。

湯本武●高校時代は甲子園出場を決めながら不祥事による出場停止。大学では四年時に監督との大喧嘩で退部。里中の入団拒否の代替でロビンスに入団。悲劇のピッチャーと呼ばれているが、明るく柄の悪いインテリヤクザ。

河村監督●東京ガイヤンツ九連覇を成し遂げる大監督。当初、痩身の里中を疎んじていたが、徐々に、その闘志と技術を認めていく。選手とは、あまり話をせずに腹心の報告によって対応する。管理野球の申し子。

長尾●ガイヤンツの二軍監督、一軍ヘッドコーチ、一軍投手コーチと人事異動の多い河村の腹心。無愛想で口うるさい人物のため選手には嫌われている。江口敏を死に至らしめた一因は自分にあると自責しており、里中に期待をかける。

黒岩●ガイヤンツ二軍監督、一軍ヘッドコーチ、一軍守備走塁コーチ。もともとガイヤンツOBだが一時期は広島の海洋モータースの監督を務めた。長尾とは正反対の親分肌の人物で選手から好かれているが、采配には疑問が残る。投手として入団させた人材を野手に転向させたがる傾向がある。

藤井●ガイヤンツ一軍投手コーチ、二軍監督。現役時代はガンジーと呼ばれる痩身のエース。そのため似たタイプの里中に目を掛けている。褒め殺しで投手を乗せる性格は選手に人望があるが、それ故、河村や長岡に疎まれてガイヤンツを退団する。

中川●ガイヤンツ二軍投手コーチ、現役選手よりも若いため若手選手の兄貴分のような存在。河村からも信頼を受けており、人事異動の多い組織の中で定位置をキープしている。

牧場●現役時代は中京ドアーズの内野手。英語が堪能でメジャーリーグの文献を研究しているため河村の声でガイヤンツのヘッドコーチに就任。一時期は守備走塁コーチに降格したが、その堅実な作戦は常勝軍団の頭脳と判断され、再びヘッドコーチに戻る。

長岡●六大学野球から鳴り物入りでガイヤンツ入りしたスーパースター。河村の勇退後の監督に内定しており、現役晩年は衰えを見せながらも最後の最後まで燃える男の真骨頂を見せる。

司馬●元甲子園優勝投手だがガイヤンツ入団と同時に打者へ転向。当初は伸び悩んだが、荒井打撃コーチの指導により一本足打法を開眼させ世界的なホームラン打者になる。長岡より五歳年下ということもあり、九連覇末期に、その打撃技術は円熟に達する。

堀本●紳士的なガイヤンツの選手の中で、あえて悪太郎という不良キャラクターを演じるエース。プライドと強気のピッチングが魅力。

高岡一三●堀本が右投手のエースなら、こちらは左のエース。性格も、どちらかというと陰気な真面目人間。堀本とは不仲なふりをしているが裏では大の仲良し。気が弱いのが弱点。

林●ガイヤンツ黄金時代のキャッチャー。陰険でケチ、投手はもちろん選手からは嫌われているが河村には絶対的な信頼されている。巧みなインサイドワークとポーズとしての弱気で相手を騙す。グラウンドの司令塔。

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