第122話 死闘!決勝戦●「宿命のライバル」

文字数 2,688文字

 二回の裏、甲子園球場は地震が起きたか?と錯覚するほどに揺れた。守る青雲大付属のマウンド上は江口敏。一方、由良明訓のバッターボックスには田山三太郎が入った。青雲が選抜大会に出場できなかったこともあり、約一年ぶりの宿命の対決が実現したのである。
 もっとも宿命のライバルと囃し立てるのはスポーツ新聞を筆頭とするマスコミばかりで、二人の間には奇妙な友情さえ芽生えていた。今大会では奇しくも同じホテルに宿泊したため、江口が明訓ナインの部屋に入り浸り、田山と歓談している姿が見受けられた。次の日に試合のない夜など、いつまでも明訓の部屋から帰らない江口に見兼ねた土井監督が
 「江口君は、由良明訓高校に転向するつもりか?」
 と笑いながら、からかった。江口は頭をかきながら
 「僕がいないと青雲大付属が負けちゃうから、里中君か浜君を交換転校生で青雲に行かせてください」
 と言って笑いを誘った。そんな一面を知らないマスコミは「江口敏は田山三太郎を睨みつけていた。二人のライバル意識は相当のものだ」などと推測記事を載せるので両チームのナインは苦笑していた。江口は田山のことを年齢は同じでも兄のように慕っていたのに対し田山は元来、無口な性格もあり、どこか江口との長話を避けているようにも見えた。チームメイトに対しても、あまり無駄口はきかない田山であったため、田山が江口を、どのように意識しているか?は誰にも分からなかったのである。
 この打席でも田山は。いつもと同じ表情である。マウンド上のピッチャーが誰であろうと、この田山は構えも表情も変えない。二度ほどバットを振って投手を見据える。これもストライクコースを確認する田山の癖であった。
 ベンチの里中から見ても三番打者の自分と四番打者の田山に投げる江口のピッチングフォームには少し違いがあるように感じた。具体的に言えば腕の振りが少し大きくなっているのである。
 一球目は外角低めに目の覚めるようなストレートが決まった。相手が田山ということもあり、江口は慎重にボール球から入ったつもりだが主審は「ストライク」をコールした。田山もボールと見て自信を持って見逃した。ちらっと主審の方を見たが判定に抗議はしていない。続いてマウント上の江口を見ると「えっ?」という表情だ。ボールのつもりで投げた初球をストライクを判定されたことが意外だったのだろう。
 続く二球目はコースこそ初球と同じ外角低めだが、今度はスローカーブである。見逃せばボールかもしれないが田山はバットを出した。左打者の田山としては振り遅れであり、打球は三塁側へとライナーのファールとなった。カウントはツーナッシングである。田山としては初球の判定を見て「今日の主審は横にストライクゾーンを広げる癖がある」と確信しいた。二球見逃しでツーナッシングになるよりもバットに当ててツーナッシングになれば少なくとも守備側には緊張感を与えるという計算だ。
 一方の江口としては二球続けたボール球でツーナッシングに追い込めたため有利な展開となった。三球目は明らかにボールと分かる球を外角に外す。四球目は早いストレートを外角の高めに投げた。これもボール球であり、江口にとっては田山が振ってくれれば儲けものの一球であった。しかし、そんなボールに手を出すほど田山は甘くない。見逃しの三振など絶対にしないと言いたげに自信を持って見逃した。
 「この感じだ…。追い込んていたはずが今は逆に追い込まれている…。それが田山だ」と江口は思った。キャッチャーの矢吹がタイムをかけてマウンドにやってきた。
 「無理を承知で頼むが…全力でなくていいから内角は狙えないのか?」
 「自分でも分かっているんだけど、内角狙ってコントロールミスをするのは怖いな。どうしても真ん中に寄ってしまうんだよ」
 「自信のないボールを要求するにはバッターが良すぎるな。次でボールは外にスクリューにしておくか?」
 マウンド上でミットとグローブで口を隠しながら江口と矢吹が密談をしているのを、じっと田山は見つめている。概ね想像はつく、一年生の時から本質的に江口は変わらない。江口は打者の内角に剛速球を投げ込むことができないのだ。
 「もし江口の身体に里中の精神が入っていれば無敵だな。里中だったら打者がのけぞるような内角の変化球に躊躇することはない。江口の弱点は優しすぎる人柄だ」
 と田山は確信していた。カウント2-3は投手も打者も避けたいカウントである。次の五球目が勝負球になることははっきりしている。考えられる球種はストレート、カーブ、チェンジアップ。コースは全て外角だろう。もう一つ考えられるのは江口が新しい変化球を身につけている未知のボールに絞られた。
 注目の五球目は外角高めのボール球だった。カウント2-3になれば江口は無理に勝負せずに自分を敬遠で歩かせることも想像できた。田山の脳裏に過ぎったのは「四球か…」という考えだ。外角外れに投じられたチェンジアップは、そのまま落ちていき「ボール」と判定されるはずだった…。ボールはホームベース手前から田山の手前へと揺れるように落ちながらストライクゾーンを掠めていく…。
 「ストライク!バッターアウト!」
 江口の五球目はチェンジアップではなく、左ピッチャーの投げるシンカーであることに田山は気付いたが時は、すでに遅く外角低めに構えたキャッチャー矢吹のミットにボールは収まっていったのである。田山の目には珍しく小さくガッツポーズをする江口の姿が写った。江口の奪三振に大歓声が沸きあがる中で田山は一つの確信を得た。
 ベンチに戻りながら五番打者の二本松にポツリと告げた。
 「江口の落ちるボールをチャンジアップだと思うな。あれはシンカーだ。これまで俺たちがチェンジアップと思っていたのはシンカーの投げ損ないだったんだ」
 「シンカー?江口さんは左ピッチャーやねぇ。サウスポーのシンカーなんてあるんですかいな?シンカーとは呼べへんですやろ」
 「アメリカにはいるらしいな。確かメジャーリーグではスクリューボールって呼ぶらしい」
 「先輩、それって右ピッチャーのカーブを左ピッチャーが投げ取とるってこって、ええんじゃないですか?」
 「あまり簡単に考えるなよ。カーブとシンカーじゃボールの軌道が違うからな!」
 田山は軽く二本松を叱った。その様子を見ていた六番打者の池田がニヤッと微笑んだ。
 「そのスクリューボールってボール以外は江口投手はストライクを投げてないじゃないですか?あのコントロールの良さを逆手に取れば、この試合もいただきですよ!」

 
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登場人物紹介

里中繁雄●本稿の主人公。野球選手と思えない痩身に芸能人も顔負けの美少年。サイドスローの技巧派投手。性格はルックスに反して強気で負けず嫌い。投手兼任外野手として活躍した後にノンプロ全丸大に入団。

江口敏●もう一人の主人公。ノンプロ野球選手だった父親に英才教育を受けた剛球左腕投手。童顔に逞しい身体を持つが闘争心はあまりなく、気は弱い。三年生の夏の甲子園で優勝投手となり、ドラフト一位で名門東京ガイヤンツに入団。

田山三太郎●里中のピッチャーとしての才能を見出した天才キャッチャー。打撃も凄まじくプロ野球のスカウトに注目されている。甲子園大会の通算本塁打記録も作り、ドラフト一位でパリーグの福岡クリッパースに入団。

岩城正●田山とは中学時代からチームメイトだった巨体の持ち主。三振かホームランという大雑把な選手だが怪力かつ敏捷さもあり、プロレス界が注目する逸材との噂はある。三年時にはキャプテンも勤め、そのリーダーシップは評価された。ドラフトでは江口の外れ一位ではあるがパリーグ近畿リンクスに入団。

馬場一真●田山、岩城と三羽烏と呼ばれた好打好守好走のセカンド。田山、岩城ほどのパワーはないがスピードと技術は最高。変わり者である。実は東京ガイヤンツから入団交渉を受けていたが野球の道は高校までと決めており、帝国芸術大学に進学する。

矢吹太●中学時代は将来オリンピック選手として期待された柔道の猛者でありながら、地元の不良や街のチンピラに慕われる奇妙な不良少年。江口の才能を認めキャッチャーへ転身する。高校時代は事実上のチームリーダーを務め、キャプテンとしてチームをまとめた。プロ入りは拒否。

朱美●矢吹の不良仲間で少女売春をやっている。根はマジメ人間で肉体を汚しつつも気持ちは美しい。江口に惚れられながら、自身は里中に惹かれていく。彼らとの交流を通して自分を変えるため、名古屋のデパートに勤める。

土井●里中ら一年生の時の三年生の主将。高校ナンバーワンのキャッチャーであり、女生徒に人気の男前であったが、田山にポジションを奪われ里中に女性人気を奪われる気の毒な先輩。しかし潔く後輩を立てる姿に人望を集めた。織田監督辞任後に新監督に就任。

織田●里中ら野球部の監督。かなりいい加減な人物だが選手の力量を見極める鋭い視点や実践形式でチームを育てる采配など有能な指導者。甲子園で優勝させてチームを去る。その後、江口の父親との縁で江口らの監督に就任。

天野●江口ら野球部の顧問。優秀な数学教師で弱小チームといえども独自の数学理論で一回戦ぐらいは勝たせる手腕を持つ。

小宮●江口ら一年生の時の三年生で主将。江口の入学で控え投手兼任外野手に転身するが江口らの理解者。

岡部●三年生の捕手で副主将。江口の実力を発揮させるために中学時代の後輩でもある矢吹を野球部に引き込んだ。

新山●静岡工業高校のエース。左腕の本格派として江口と比較される。英才教育を受けお坊ちゃんの江口に対して韓国籍による差別や貧乏に耐え抜いた。定時制から全日制への転入で年齢は里中、江口らより一つ上であり、江口に対してライバル心を燃やす。外国人枠で逸早く東京ガイヤンツに入団したが、怪我に悩まされている。

谷口●土井キャプテン引退後の新キャプテン。ともかく真面目で常識的な高校生。里中らが一年生の時には7番レフトで地味ながらチームを支えた。

青木●小宮引退後の新キャプテン。江口らが一年生の時には一番一塁手として出場。少し気が弱いが野球は大好き。学業の成績もいい。

ヨーコ●名古屋繁華街の組織の女の子。朱美の留守を守る。江口の相手をしたことがきっかけで江口の相談役となる。朱美が売春組織を辞めてデパートに就職したことに触発され、料理人の道を目指す。

夏美●中学時代から高校へと続く岩城の恋人。女子ソフトボール部の実力者。中学時代の里中を知っており、田山や岩城に、その才能を伝えた。甲子園球場周辺で朱美と知り合い友人になる。

黒沢秀●江口、矢吹の一学年下の新入生。抜群の運動神経と野球経験を持ちつつ、学科成績も優秀。レギュラーに抜擢される。

滝一馬●黒沢と一緒に好成績を収めた新入生。投手経験もあり江口に次ぐ青雲の投手になる。

内川亜紀●中学時代から矢吹のクラスメイト。不良少年の矢吹を嫌って避けてきたが、野球にのめりこみ無口になっていく矢吹の姿に惹かれていく。

浜圭一●里中と勝負するために明訓野球部に入ってきた新入生。右のオーバースローで速球派。生意気な性格は、そのままだが里中と並ぶ二枚看板投手に成長する。

池田●浜とは対照的に真面目で純情な新入生。田山を尊敬して入部。小学生に間違えられる小さな体だがキャッチャーとしての技術は高い。

八木●プロ野球界とアマチュア野球界を取り持つフィクサー。怪しげな人物だが常に選手のことを考えている温かい人物。

大田黒●ロシア系とのハーフであるため殿下と呼ばれる森沢高校のエース。実力は疑問視されながらもプロ入りを果たす。

二本松●里中達が三年生の時に入部してきた新入部員。不細工な顔と不恰好な体格だが投手としても打者としても素晴らしい才能を持つ。田山、岩城、馬場の中学時代の後輩であり、先輩達を高校まで追いかけてきた。

加藤弘●愛徳高校野球部員。不良学校の悪だが野球だけは真剣にやる。高校時代は由良明訓に敗れるが、その時の活躍で全丸大のノンプロチームに入団。左投げ左打ちの一塁手。

中間透●加藤と同じ愛徳高校野球部員。加藤よりも明るい性格だが相当の不良でもあった。甲子園では由良明訓に敗れたものの加藤と一緒に全丸大に入団。右投げ右打ちの三塁手。

高山志朗●全丸大のエース。里中よりも二歳年上で一年生の時の夏の甲子園では対戦はないものの出場していた。剛速球の持ち主だが四球で自滅する敗戦が多く、プロからの打診はあっても入団拒否をし続けている。後に里中に触発されて宝塚ブレイブに入団する。

湯川勝●江口らがプロ一年目で苦闘する71年。栃木県の柵新学院の進学クラスに突然現れた怪物ピッチャー。アマ、プロ球界を引っ掻き回す裏主人公。

湯本武●高校時代は甲子園出場を決めながら不祥事による出場停止。大学では四年時に監督との大喧嘩で退部。里中の入団拒否の代替でロビンスに入団。悲劇のピッチャーと呼ばれているが、明るく柄の悪いインテリヤクザ。

河村監督●東京ガイヤンツ九連覇を成し遂げる大監督。当初、痩身の里中を疎んじていたが、徐々に、その闘志と技術を認めていく。選手とは、あまり話をせずに腹心の報告によって対応する。管理野球の申し子。

長尾●ガイヤンツの二軍監督、一軍ヘッドコーチ、一軍投手コーチと人事異動の多い河村の腹心。無愛想で口うるさい人物のため選手には嫌われている。江口敏を死に至らしめた一因は自分にあると自責しており、里中に期待をかける。

黒岩●ガイヤンツ二軍監督、一軍ヘッドコーチ、一軍守備走塁コーチ。もともとガイヤンツOBだが一時期は広島の海洋モータースの監督を務めた。長尾とは正反対の親分肌の人物で選手から好かれているが、采配には疑問が残る。投手として入団させた人材を野手に転向させたがる傾向がある。

藤井●ガイヤンツ一軍投手コーチ、二軍監督。現役時代はガンジーと呼ばれる痩身のエース。そのため似たタイプの里中に目を掛けている。褒め殺しで投手を乗せる性格は選手に人望があるが、それ故、河村や長岡に疎まれてガイヤンツを退団する。

中川●ガイヤンツ二軍投手コーチ、現役選手よりも若いため若手選手の兄貴分のような存在。河村からも信頼を受けており、人事異動の多い組織の中で定位置をキープしている。

牧場●現役時代は中京ドアーズの内野手。英語が堪能でメジャーリーグの文献を研究しているため河村の声でガイヤンツのヘッドコーチに就任。一時期は守備走塁コーチに降格したが、その堅実な作戦は常勝軍団の頭脳と判断され、再びヘッドコーチに戻る。

長岡●六大学野球から鳴り物入りでガイヤンツ入りしたスーパースター。河村の勇退後の監督に内定しており、現役晩年は衰えを見せながらも最後の最後まで燃える男の真骨頂を見せる。

司馬●元甲子園優勝投手だがガイヤンツ入団と同時に打者へ転向。当初は伸び悩んだが、荒井打撃コーチの指導により一本足打法を開眼させ世界的なホームラン打者になる。長岡より五歳年下ということもあり、九連覇末期に、その打撃技術は円熟に達する。

堀本●紳士的なガイヤンツの選手の中で、あえて悪太郎という不良キャラクターを演じるエース。プライドと強気のピッチングが魅力。

高岡一三●堀本が右投手のエースなら、こちらは左のエース。性格も、どちらかというと陰気な真面目人間。堀本とは不仲なふりをしているが裏では大の仲良し。気が弱いのが弱点。

林●ガイヤンツ黄金時代のキャッチャー。陰険でケチ、投手はもちろん選手からは嫌われているが河村には絶対的な信頼されている。巧みなインサイドワークとポーズとしての弱気で相手を騙す。グラウンドの司令塔。

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