第111話 閑話休題9●「ターニングポイントとしての1970年」
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ここまでプロットも進めたので明かすが、この二校の甲子園での対戦はない。モデルとなる二人の投手が奇しくも同学年であり、その後、奇妙な縁によって繋がってゆく。筆者は、そこに面白さを見つけてフィクションとして完成させたいと考えた。今のところ、この二人のモデルについて明かさないつもりだ。プロットの後半には判る仕組みにしておきたい。
1970年という年は、いろいろな意味で面白い。大阪万博で日本中の人が万博見物に訪れた社会現象の中で、敗色濃厚になった赤軍派が太陽の塔を占拠するという事件も起きた。日本での活動に限界を感じたグループは三月によど号をハイジャックして北朝鮮に飛んだ。現在でこそ、このよど号グループを見当違いな集団と評されてしまうが、彼らは、すでに狂気の集団と化している連合赤軍に加担することを避けたのではないだろうか?と筆者は考える。
連合赤軍による。浅間山荘事件こそ二年後72年2月の事件であるが、その前段階として警察署の襲撃や銃砲店の襲撃事件を起こしている。警察からの追っ手を逃れるために山岳ベースを築いたのは概ね、この70年である。世論としては、それまでの体制に反抗し社会を変えようとしてきた学生に肩入れする意見は徐々に減少し、単なる暴力集団として批判されるようになる。
六月には日米安全保障条約が自動延長され、選挙では保守の自民党が圧勝。日本共産党、社会党は赤軍派と左翼政党は無関係であると発表した。文化面で大きなことはビートルズ事実上の解散だっただろう。
実際はポール・マッカトニーの脱退により、バンドとしては機能しなくなった。実際、ジョン・レノンとジョージ・ハリソンは独自の活動に踏み出しており、この天才的なバンドは空中分解状態にあった。それだけではなく九月にはジミ・ヘンドリックス。十月にはジャニス・ジョプリンが相次いで死亡。メッセージ性を持った音楽は自然に終焉へと向かっていった。
前年の69年に初代リーダーであるブライアン・ジョーンズが怪死したことで存続が危ぶまれたローリング・ストーンズは新たにミック・テイラーを迎え新作「スティッキー・フィンガース」をリリース。「ストリート・ファイティングマン」や「ギミー・シェルター」で見せた社会派メッセージは薄まり、エンターテイメントとしてのポピュラー・ミュージックへとシフトしていく。
この時期にはイギリスからレッド・ツェッペリン。ディープ・パープル。アメリカではカーペンターズやサイモン&ガーファンクルらが登場。政治的メッセージは内包していたかもしれないが、表向き親しみやすいポップスか芸術性のある難解なロックへと変貌していく。
ある種、この時代の空気感を象徴しているのが映画「イージーライダー」である。ハーレー・ダビットソン映画の代表的な作品だが、いわゆる不良映画的なエネルギーは全く感じない。社会に対して反抗をするというよりも厭世的に社会から背を向け、けだるく退廃的に堕落してゆく作品である。
ちなみに連載終了と連載開始時期にタイムラグはあるが「巨人の星」の終盤の舞台。「侍!ジャイアンツ」の冒頭の時代設定は同じ1970年である。これまた野球マンガというジャンルに関しても大きなターニングポイントになっているのである。