第141話 光と影●「変な提案」
文字数 2,381文字
「松映ロビンスの計画について話そう。君は外野手と投手という二足のわらじで甲子園を席巻してきた。今度も二足のわらじでお願いしようと思っているんだ」
「それは外野手兼任投手という意味ですか?」
「君が、そうしたければ、そうすればいい。ただ入団後はかなり忙しいのでね。野手の方は諦めた方がいいと思うよ。野球選手としての里中繁雄を評価しているのは投手としての里中だけだ」
「かなり忙しい?僕もプロ野球選手のトレーニングは高校野球の比ではないと覚悟してますが」
「そうじゃない」岡田は里中に顔を近づけると小声で言った。
「私は松映小川社長の密命を受けて、ここに来ている。二足というのはプロ野球選手と俳優という二足のことなのだ」
「はぁ?俳優?」
「そう。君には世田谷にあるロビンスの合宿に入り、野球選手としての練習を積みながら俳優養成所にも入ってもらう。入団一年目の夏ぐらいから君は公式戦で登板させる。別に相手に打たれるなら打たれるでいい。どうせなら十点ぐらい献上しちゃいなさい。それを秋まで何回か繰り返す。一勝も出来なくていい。もちろん好投してロビンスを支えるエースになるのは大歓迎だ。だが高卒一年目のピッチャーなんてのは普通は二軍暮らしだよ。あの江口敏だってガイヤンツさんは高い無駄遣いになるかもしれんよ。ねぇ」
「はぁ…もちろん甘く見てはいませんが…」
「まぁまぁ。そりゃともかくだ。来年の今頃。君は任意引退を決意する。世間の同情をぐっと集める!このまま里中繁雄は消えてしまうのか…と思わせておいてだな。正月映画で主役としてどーんと俳優デビューする。九条君の時は大部屋役者から、やり直しで苦労をかけたが、君はプロ入りから養成所に入ってもらう。俳優としても里中は凄いぞ!ということになる」
あまりの突拍子もない話に里中は唖然として岡田の顔を見つめた。教師たちも唖然として黙りこくっている。この田舎町の高校で在校生が芸能界に誘われることなど過去にない。どうアドバイスしていいのか分からないのだ。見かねた土井が間に入った。
「岡田さん。この里中も、いきなり俳優やら養成所やらと言われて面食らってます。こいつにしても家族に相談もしないで決められないでしょう。今日は考えさせてやってください」
「土井君もね。小川社長は大いに気に入っているのだよ。君のね。その鋭い目。広域暴力団の若頭や暴力警察官役にはぴったりだよ。君たちは高校時代の先輩後輩でもあるし、兄弟仁義や兄弟の殺し屋で売り出すのもいいねぇ」
「え!俺も俳優養成所に通わなきゃいかんのですか?」
「別に養成所に通わんでもいいが、いざとなりゃ、そういう道もある。松映映画は芸術性など糞食らえなんだ!不良だよ!不良!まぁ…君たちに本当に悪人になれ!とは言わない。事実、普段の九条君など非情に紳士だよ。しかしねぇ。映画は娯楽なんだ。インテリ層だけじゃない。誰でも楽しめる娯楽でなきゃいかん!それが小川社長の方針だよ。それにアクションだ。手に汗握るアクション。君たちのような野球で鍛えた反射神経、運動神経。時にはマシンガン。時には日本刀を振り回し大迫力のアクションでスクリーン狭しと暴れ回る。これは売れる!」
岡田は、しばしこの調子で怪気炎を上げると東京へと帰っていった。ぐったりと疲れた土井が里中に言った。
「俺は約束もあるし、決めていたことだから松映ロビンスのお世話になるよ。田山も福岡クリッパーズ、岩城も近畿リンクスで決まりだろう。お前は家族と相談してこいよ。そういえば八木スカウトは里中を大阪体育大学に推薦で進学させようとしていたんだろ?どの球団も、お前の指名を控えたのは八木さんが里中は進学組と伝えたのが原因だろう」
「今の岡田さんには伝えませんでしたが、二度ほど練習に参加しているんです。日向助教授からは特待生で学費免除と言われましたが、野球と陸上競技の両方をやるようです。どうも俺は二足のわらじを履かされる運命があるみたいですね」
「それは俺の采配のせいだが、里中を外野に置いていくと守りの安心感が違ったよ。日向助教授の話は聞いたよ。どうやら里中をミュンヘンオリンピックの代表選手として育てながら、野球部にも在籍させるという話だったな。俺は、その方が面白いと思うよ。甲子園で三回も優勝投手になった男が陸上競技でメダルも取ったら痛快じゃないか!俳優が悪いっていうんじゃないが里中ほどの足を持っていれば世界も夢じゃない」
そう言いながら土井は職員室の窓から空を見上げた。
「今だから言うが、俺の監督一年目、里中が二年生の時かな。陸上部の阿部部長から大会だけ里中を貸してくれと頼まれたことがあった。もちろん俺は断ったよ。野球部の大切なエースに無理はさせないってね。ただ個人的には里中の足で陸上競技をやったら、どんな記録が出るのか?凄く興味はあったんだ」
「そうですねぇ。実は俺よりも親父が、すっかりその気になっちゃってるんですよ。特待生で体育大学っていうのは嬉しいみたいです。俺自身も体育大学でいろんな競技をやってみるのも面白そうだと思ってます」
「田山や岩城、それに江口と違って里中の身体は未完成だ。体育大と言えば剣道や柔道のような武道。球技、体操などスポーツ全体を学べる大学だ。面白い経験ができると思う。ロビンスには俺からも断っておくよ。お前が俳優を目指すっていうなら話は別だが」
「俳優ですか?全然、実感ないですよ」