第25話:阪神淡路大震災の初動記録1

文字数 1,663文字

 1995年1月17日、早朝5時半過ぎ、ステファニーが、大声で、大変と悦郎を起こした。NHKの6時のニュースで神戸駅周辺で大きな火の手が上がっていますとアナウンサーの声がした。その後、ヘリコプターの映像が流れた。大きな火事と、崩れ落ちたマンション、潰れた木造住宅が、まるで映画のセットのような感じだった。

 少ししてアナウンサーの大きな声で阪神高速の支柱が折れてますと言うと、無残に折れて崩れた阪神高速道路が映さた。これを見てアナウンサーが、走っていた車は、ひとたまりもありませんねと興奮しながら中継していて信じられないような顔で確認してみますと言った。30分程して、大阪から神戸方面の道路は、渋滞で動けないという情報が入っていますと告げた。

 救援要請が出ているが、全く、神戸に近づけない状況ですとアナウンサーが絶叫した。詳細は、わかり次第、お伝えしますとだけ言った。後日判明した事だが、地震発生時の各署の部隊編成は、11消防署16出張所、80小隊、警備人員「勤務中の人数」は292人であった。80小隊の内訳は、消防隊29隊、専任救助隊4隊、署救助隊7隊、特殊車隊12隊。

 加えて、救急隊27隊、消防艇隊1隊。また、葺合「ふきあい」消防署及び生田消防署は震災後に統合され、現在は「中央消防署」となってる。他にも現在では存在しない出張所や当時は存在しなかった署所もある。なお、これだけ多くの車両が配備されているが、全ての車両に運用する人間がついている訳ではないため、震災当時の当直隊員で動かせる車両は限られていた。

 残った車は、通常なら1台4、5人編成の部隊が2、3人の特別編成として2台に分乗したり、後から非常招集で集まった隊員が運用した。消防庁舎の被害としては、震災による被害が、大きかった生田消防署、葺合「ふきあい」消防署、東灘消防署青木出張所は共同住宅との複合用途建物でありコンクリート柱や耐力壁に亀裂が生じて危険な状態となった。

 またポートアイランド「人口島」にある水上消防署は、液状化現象により庁舎が傾斜した。発災後、青木出張所は即座に東灘消防署に移転「避難」、葺合「ふきあい」消防署は署の南200メートルに位置する大阪ガス兵庫供給部の全面的な協力を得て緊急に施設を借り受け18日に、仮避難し業務を行った。

また生田消防署は22日から23日にかけて本署の大部隊を栄町出張所に移転した。水上消防署では周辺の地盤が陥没したことにより消防車両が一時出動不可能な状況であった。しかし職員総出で陥没部に土嚢などを敷き詰め順次消防車を外に引き出して出動体制を整えた。その後、敷地内に50㎡の仮設待機室を2棟建設し、夜間は避難する処置をとった。

 その他各消防署の被害状況は以下の通り。署所名「被害状況」、東灘消防署青木出張所「壁に亀裂が入り、室内全壊」、灘消防署「望火台が崩れ、落下の危険あり」、葺合「ふきあい」消防署「望火台が崩れ、下の道路に落下、床、壁等の主要構造部に亀裂、損壊」、生田消防署「柱が根元から曲がり、機能停止、救急消毒室、便所等が損壊、ガレージ南側が60cm陥没」。

 水上消防署「建物が傾き倒壊の恐れ、ガレージ前が30センチ陥没」、兵庫消防署「壁・床にひび割れ本棚の本が散乱」、田消防署「高架水槽、キューピクル、ガレージシャッター損壊」、長田消防署大橋出張所「ガレージシャッターが損壊」、須磨消防署「前面道路及びホース塔の基部が10センチ陥没」

 消防航空機動隊「液状化現象でヘリポートが20センチ埋まった」消防管制室の状況に見る震災対応では、地震発生と、ほぼ、同時に、合計118回線ある119番通報受信専用回線が全て受信状態となった。

 この時、官制室には指令台勤務者4人と主査1人が居り、係長は事務室に、7人の職員は仮眠をとっていた。その後119番通報は止む事なく鳴り続き、受信件数は6時までに36件、7時までに441件、17日だけで6,000件を超えた。これは平成6年中の1日平均受信件数の10倍を軽く超えている。
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