第39話:株暴落時は、ゆっくり休むのが鉄則

文字数 1,518文字

 そんな時、城山太蔵と茂山健太さんたちが、和也、こういう時は、相場を見ずに休むのが一番と言い、2008年11月10日、伊豆の温泉へ旅行に行こうと誘われた。金の事は心配いらない俺たちが出すというので、ついて行った。最初、下田東急ホテルに宿をとり温泉に入り海を眺めて、夕食には、豪華な海の幸の盛り合わせを食べて、ビールで乾杯し、ゆっくり休んだ。

 翌日、伊東へ戻り湯につかっては昼寝をして英気を養った。次に、熱海へ行き、来宮神社にお参りして、来年こそ良い年であり増すようにと祈願した。そして熱海の老舗の中華料理屋でしっかり食べて、気分転換して、東京へ帰っていった。東京に戻ったのは11月14日。そして、和也は、いつも通りの生活を始めた。

 しかし、就職活動を始めた和也は、リーマンショックで優良企業が求人を抑えて希望する優良企業に入れないと感じ城山太蔵と茂山健太先輩の弟子になろうと考えた。その話をすると城山太蔵と茂山健太さんが、親が了解するなら、それで良いから一応許可もらってと言われた。その晩、父に、景気が回復してきたら優良企業への就職活動を始めようと考えてると打ち明けた。

 すると思う通りに、生きろと言われ、その計画を実行することにした。親の許可もらったというと、これから下げ止まりを探ると言い、変化があったら、すぐに電話を入れると言ってくれた。2008年11月21日、8時過ぎ、三菱商事が925円の気配値が出ているので買いだと城山先輩から電話で言われ、了解と峯崎和也が答え、5千株の成り行き買いを入れた。

 9時になると、すぐに買え、5千株、463万円で買え残金が37万円となった。城山太蔵と茂山健太さんも、かなりの株数を買ったようだった。2009年が明けても就職活動はせずに、土日の家庭教師の件数を増やして自分の稼ぎで生活できた。2009年正月も実家に帰り、母、ステファニーのおいしい料理を食べて、正月の3日間をゆっくり過ごした。

 その後も東京に戻り生活をはじめ5月の連休前、お盆前、クリスマスから1月3日までの間、沼津の実家に帰る生活を継続した。それでも家賃と生活費は、家庭教師のお金で何とか、まかなえた。そんな時、城山太蔵が、お前と同じ様な風変わりな女の子が3人が、弟子にしてくれとやってきたと話した。その子たちの名は、慶子、夏美、照子と言い、苗字は、秘密と言った。

 現在の不景気の中で就職するより自活できるように株で成功したいと言ったようだ。月、水、金と来るみたいだから、そのうち来て実際に会ってみたらと言われ、ところで君は彼女いるのと聞くので東大で勉強と土日と夜は、めいっぱい家庭教師のアルバイトしている。そのため、そんな暇はありませんと答えると、やはりそうかと笑った。

 その情報を聞き、月、水、金の午後13過ぎに「星商会」に通いだすと、最初に夏美さんと、会い自己紹介した。清楚な色白の美人でパソコンに詳しかった。次に照子さん、その名の通り明るい現代っ子と言う感じで、おしゃれには、あまり関心なさそうで、早稲田のしっかりした女性と言った感じ。

 胸と尻はでかいが色気は、あまりない娘だった。最後に会ったのが慶子さん慶応出身で声がきれいな、お嬢様と言った感じ。しかし人を見下したような感じがして、あまり好感度は持てなかった。しかし話は理路整然として、交渉力がありそうで男性を尻に敷く感じがした。

 3人の女性と面会を終えたのは2009年9月下旬だった。この頃になると、下げた優良銘柄には、買いが入り、株価が、かなり回復してきた。2009年の年末か2010年の1月あたりが、チャンスかもしれないなと城山太蔵と茂山健太さん達が話していた。
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