第16話:徳久さんの遺産の詳細

文字数 1,668文字

 すると具体的な経費を細かく調べ上げて税控除するべきだと言われた。例えば、見舞いに言った費用、「喜寿」の祝いの費用、病院の費用、病院への行き帰りのガソリン代などと言われた。そこで、徳久さん関連で使った費用で持っている領収書全部を集めてきますと言った。徳久さんの遺産の金額をはじき出しておくと話した。

 直ぐ、徳久さんの名義の通帳を全額、峰岸君の口座に移す事を急いでやりなさいと言われた。その後、徳久さんのS銀行口座から峯崎悦郎の口座に送金。総額で5350万円だった。大箱根カントリークラブと川奈ゴルフクラブの会員権、また、東京銀座に10kgの金の口座がある事もわかった。賃貸マンションの契約も死亡により解除した。

 会員権は売却できることがわかりゴルフ関連で1000万円と1億円近い資産がある事が判明した。その後、武田さんから電話で徳久さんの退職金が勤務期間が長いので5千万円となったと知らせが入った。1988年3月3日迄に峯崎悦郎は、富沢税理士に以前、言われた様に領収書全てを大、小の封筒に入れて持っていった。

 すると富沢さんが、領収書を大きな横長のテーブルの上に広げ、どんどん領収書を分類して分け。30分程で、終了した。その後、それぞれの領収書のグループを大、小の封筒に入れて、終わると封筒に税控除「医療費」、税控除「交際費」などと書いてわかる様にしてくれ、税控除の対象にならないものは、大きな封筒に入れた。

 ここの税控除と書いた封筒の中の領収書を来年の税金申告の時に提出すれば、税控除になると言い、大事に保管しておきなさいと言ってくれた。費用は、と聞くと、亡き、徳久さんに世話になったのでボランティアと言う事で結構ですと笑いながら言った。その代わり徳久さんの意志を継いで手にした大金を世のため人のために生かして下さいと肩たたいた。

 もちろんです。私も、徳久先生に拾ってもらった身なので、ご恩返しとして生きたお金として、役立てるつもりですと伝えた。それでこそ徳久さんが見込んだ男だけのことはあると言ってくれた。その後。富沢税理士にお礼を言い、部屋を出た。そして、一連の徳久先生の葬儀、遺産の話などが終了したので休暇を取った。

 そして3月19日から22日まで車で浜名湖の舘山寺温泉に泊まって特製のうなぎを食べ温泉につかり浜名湖を見学。翌日、焼津の温泉宿に泊まってマグロや新鮮な魚の刺身を堪能。3日目は、日本平ホテルに泊まって富士山の絶景を楽しんで美味しい静岡茶をいただいて、ゆっくりと過ごした。その後、沼津に帰ってきた。

 今回の旅行で、静岡県は東西に細長い県であること、また、食べ物も各地に名産品が多く旨いこと富士山の景色の良さを再確認した。その後、元の銀行業務に戻り、出納管理の仕事に精を出した。そして梅雨、暑い夏が過ぎ、9月下旬、箱根、富士五湖を1泊2日、家族4人で一緒にドライブしてきた。やがて年末になると銀行は、忙しくなり悦郎の帰りも遅くなった。

 その忙しさの中、当たり前の様に新年を迎え1989年となった。正月から、やっと、銀行も暇になり近くに神社に初詣でに行き家内安全と福が来る様に願い、お守りも人数分、購入した。1月の厳寒期、温かい南伊豆の下田東急ホテルに宿泊して、ゆっくり温泉につかり、翌日は、下田の開国関係の施設を見学してきた。

 2月上旬、ステファニーが、長男、和也の頭が熱いと言い始めた。そして体温計で測ると39度の熱を出し、近くの沼津市立病院の救急に運び込んだ。緊急入院となり隔離病棟に入院して3日間の治療で36度台まで体温が落ちて5日で退院できた。不幸中の幸いで、家族に感染者が出ずに終了した。

 2月20日、以前富沢税理士に言われた様に、峯崎姓の母と奥さんと長男の合計4人の名義で税務資料を作り財産金額を4つに分けて提出。その結果、金塊10kg以外の税引き後の遺産総額が18350万円となり自分の資産5000万円と合計すると23350万円となった。これで、徳久先生の遺産の件は、金塊10kgをのぞく全てが終了した。
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