第38話:峯岸和也が有限会社「星商会」に出資者になる

文字数 1,653文字

 大学に入った和也は、運動クラブには入らず、投資研究会の週2回の会合に参加して、株投資の実践力をつけるように情報収集を始めた。時間ができると自転車で秋葉原、上野、皇居周辺へ出かけた。その中でも秋葉原で、豪華なステレオセットで無料で音楽を視聴できる所を探して、じっくり音楽を聴くのが大好きになった。

 それでも、ゆっくりしている暇はなく、勉強、アルバイト、サークル活動に動き回った。冬休みは、年末2005年12月30日に東海道線で割引切符で沼津に帰り、2006年1月4日に、東京の借家に帰った。しばらくして暖かくなった4月、大学2年生になり、今年の夏休みを終えるころ20歳になるのでインターネットで株投資を本格的に始めようと考えた。

 そして父に100万円貸して欲もらう約束を取り付けた。2年になると家庭教師の数が8人に増えて、収入は増えたが、時間が無くなった。それでも大学の株投資サークルの先輩が卒業して社会人になると、引越しの手伝いに行くとラジカセやコンピューターソフト、CDなど荷物になるものを無料で提供してくれるのはありがたかった。

 サークルの先輩の多くは、銀行、商社、証券会社などに就職する人が多かった。しかし、就職せずに親にマンション代を払ってもらい2人で、2001年に「星商会」と言う名の有限会社を作って投資勉強会とアドバイザー契約を結んだ先輩たちがいた。その人の名は、城山太蔵と茂山健太と言い、城山は、新潟の豪農の息子、茂山は、水戸の徳川御三家の重鎮の出だった。

 そして親が。水戸で医者を開業していた。そういう訳で金に不自由しないという恵まれた環境であり一般人とは、いろんな面で違っていた。それが、和也にとっては、興味深く親しくなり、彼らに、これを調べてとか依頼されメールで情報を流し情報料金をいただいた。和也は素直に育ちフットワークも軽くて明るい性格で、気が利くので、2人先輩に好かれた。

 先輩たちの家には、プリンターもありパソコンに金をかけていた。一番良かったのは、株投資の実践的な情報を持っていて経験方法だった事だ。毎週、1,2回は、先輩たちの家を訪ねて、パンやアイスクリーム、飲み物を持参し、株の情報をもらい彼らに可愛がられるようになった。そうしているうちに大学が夏休みになった。

 城山太蔵と茂山健太は、投資で忙しく、無精者で、炊事、片付けが苦手で、見かねて和也が、流しに、たまった食器を洗い、ごみを捨てたり掃除をしたりしてやった。その代わり先輩たちが、儲けた時は、ステーキ、寿司、てんぷらなどをたらふく食べさせてもらい持ちつ持たれつの関係を維持していた。

 やがて2006年8月26日、20歳になり峯崎和也は、SBI証券に証券口座を開設して、100万円を入金しステファニーと父が100万円ずつ送金し合計300万円となった、その翌年2007年もステファニーと父が毎年100万円ずつ計200万円の送金してくれ証券口座が500万円となった。

 しかし、この頃、日本の株式市場は大きな下げで城山太蔵と茂山健太も株に参戦できるよう状態になかった。2007年のパリバ、ショックからアメリのの大手金融機関が世界中の富裕層や金融機関に売りつけた債券や投資商品の信用が落ちた。2007年のアメリカ合衆国の住宅バブル崩壊をきっかけとして、サブプライム住宅ローン危機が始まった。

 サブ・プライムローン、オークション・レート証券、カードローン関連債券など多分野にわたる資産価格の暴落が起こった。2008年の9月15日のリーマンショックで世界金融の中心、ニューヨーク、ウオール街が、大混乱となり、正解中の金融機関を震撼させた。

 2008年10月3日、アメリカ合衆国大統領ブッシュが、金融システムに7千億ドルの金銭支援を行う緊急経済安定化法案に署名。日経平均株価も大暴落を起こし9月12日「金曜日」の終値は12214円だったが10月28日には一時は6995円まで下落し1982年10月以来、26年ぶりの安値を記録した。
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