第2話:保険金を運用しようと不思議な夢

文字数 1,600文字

 葬儀は、落ち着いてからと言うことで、警察に死亡届をして、父の口座預金全て、母に移動したと話した。その後、4日、経っても、長男、悦郎の意識は戻らず、母は、困ってしまい、悦郎まで死んだらどうしようというと朋美が縁起でもないこと言わないでよと叫んで大泣きした。

 もうチューブから栄養を与えなければならないので処置しておきましたと担当医から連絡が入った。そして荼毘「だび」にふされた。峯崎夏彦の骨壺が、リビングに置かれた。それを見て朋美が、何で、こんなに早く死んじゃうのよと言って母と抱き合って骨壺を見ながら泣き崩れた。しかし、どうしようもない状況に2人とも困り果てた。

 漁師仲間や船主からの香典が届くだけで話を聞いてくれる人はいない。1週間が過ぎ担当医が、少しずつ脳と心臓に電気刺激を与え始めますと言い了解した。8日目、かすかな反応があると担当医師から連絡が入った。10日目、意識が戻りましたと連絡が入り聖霊富士病院に母と妹が急いだ。

 すると兄が、ボーットした顔で、俺、何があったと聞くではないか。ずーっと寝ていてような気がすると告げた。担当医が、何か、感じましたかとか聞いても、ぼけーっとして何も言わなかった。明日、レントゲン、CTを取って異常ないか確認して問題なければ退院ですと述べた。

 その晩は病院の近くのホテルに母と妹が、宿泊。翌朝10時行くと、既に長男の峯崎悦郎は、病室にいなかった。お昼前に戻って来て担当医が、今日退院出来ますと言った、レントゲン、CT写真を見せて、問題なさそうですが健忘症、最近の事を忘れているかも知れませんが、少しずつ思い出すはずですから気長に見てやって下さいと言った。もし異常があったり最寄りの病院に行って下さいと言った。

 1月23日、やっと、みんなが、家に帰ってきた。そこで身内だけで家族葬を行う事にし葬儀屋さんに連絡し企画してもらった。1月26日、自宅に祭壇をつくり花輪も用意し、お坊さんにお経をお願い、お線香を上げた。この頃、長男の悦郎が、自分のノートに何かを書き出したが何も説明しなかった。

 翌日、悦郎が、静岡大学に連絡して事情を話し29日から登校すると伝えた。その後、2月5日から3月末まで春休みとなった。そこで母が、お金のこと悦郎に全て依頼したいと言った。父の通帳から金を母へ移動した通帳を見せ、それを見て悦郎が驚いた。総額で4千万円もあるじゃないかと言い説明してと母に聞いた。

 交通事故で父の車の前のトラックのA社と後ろのトラックのB社から保険金が合計2千万円、父の生命保険で1千万円、車の保険からの死亡補償金1千万円で合計4千万円。悦郎が、どうしたら良いか考えると言い、まず3人に分けようと話した。2月6日、郵便局に行き、母の口座の預金1000万円ずつ悦郎と朋美の口座に移動。

 その残金1530万円を母に預けた。残された家族3人が1000万円ずつ郵便局定額貯金に預けた。1973年当時の金利は6から7%であり期待した。その後、悦郎が、徐々に意識不明の時に記憶を取り戻し映画の見る様に思い出し始めた。
「上場時、ヤフー1株、買ってたら1億円を越えたと言う人の声が最初に気こえた」

「その時、年輩のおじさんに、今年は何年と聞くと2005年と言われた」
「悦郎が本当と、おじさんに言うと血相を変え、お前、俺をからかってるのかと怒鳴られた」
「すみませんと、あやまり、その場から逃げた」
「急に暗くなり不思議な事に歩いている人が、全員、後ろに下がって行くように見えた」

「次に日経平均が、最安値まで下げたと悲痛な顔したおじさん達の声だ」
「その時も、今、何時と聞くと、おじさん達に聞くと自分で調べろと叱られた」
「次に、若い女学生に聞くと、変な事を聞くわねと言い2003年3月17日よと言った」
「その後、再び、めまいがし、地震の様に地面が揺れたかと思うと周りの人達が急に消えた」
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