第31話:ヤフー株投資での成功

文字数 1,568文字

 日本においては、オウム真理教事件が1990年から1995年の間、日本中を震撼させたが、終わると大きな事件はなかった。このため峯崎一家も通常通り春の花見、夏の高原ドライブ、秋、温泉療養と通常通りの生活を営んだ。峯崎家の長男の和也も両親と定期的に東京、秋葉原へ行き、母は、銀座、日本橋などで、買い物をしたりして過ごした。

 1999年を迎え、3月、峯崎和也は、小学校を卒業し中学校へ入学した。得意科目は科学、数学で、洋楽が好きだったために英語も熱心に勉強した。将来は、経済と投資、科学技術、特にコンピュータにを興味を持っていた。世界に目を向けると1999年1月1日、欧州統合の「進化」の切り札とされる欧州経済・通貨統合「EMU」の下で単一通貨ユーロが誕生。

欧州連合「EU」各国による財政の健全化など長年にわたる周到な準備が実ったもので、これにより国際通貨システムは米ドルとユーロの2大通貨体制の確立に向けスタートを切った。また、米国の景気拡大は99年も続き、クリントン政権は経済面でも「強いアメリカ」を実現し、ニューヨーク株式市場で、ダウが1万1000ドル突破しアメリカ経済の強さを世界中に示した。

 日本でもNY株式市場の強さに引っ張られヤフーなどインターネット関連株が、急上昇した。そんな中8月にトルコ西部でマグニチュード7.4の大地震、9月にも台湾で大地震が相次いで発生、多数の建物が一瞬で崩壊した。台湾では倒壊マンションのコンクリートからセメントを節約するためと思われる空き缶や新聞紙が見つかり、手抜き工事が指摘された。

 峯崎家でも特に変わった事はなく大きな怪我や病気、火災、災難もなく、普通通りの生活を続けていた。今年は、峰岸悦郎が、ヤフー株を不思議な記憶というか体験で興味を持ち、ヤフー株4株購入した。それが、1999年3月26日、2分割、同年9月27日に2分割、通算4分割し、16株に増えたことが、大きな出来事だった。

 その後もヤフー株の上昇は止まらず2000年を迎えた。もう天井が近いと思い証券会社の道下さんと電話で話し天井と思ったら直ぐ売りたいから連絡せよと言明。2月22日、道下さんから朝8時半に電話が入り、うれしそうな声で気配値が16790万円と出てますので売りと言われ、直ぐ同意し、成行で全株16株を成り行き売りを指示。

 そして9時、市場がオープンすると同時に総額27億円という天文学的金額になった。そして税引き後利益が21億円となった。もちろん、この話は内緒にしていたが2月25日月曜日に、以前、出入りしていた沼津ライオンズクラブの会長が、菓子折を持ってやってきた。何か、株で大儲けしたそうですねと言った。

 そして再び沼津ライオンズクラブの有力メンバーになってくれませんかと言うのだった。これには、困って体を壊して早期退職した身なので、ご勘弁下さいと低調に、お断りして、お土産も頑なに断った。翌26日、沼津ライオンズクラブのお偉いさんが数人で来て株式投資で出し成功をおさめ、おめでとうと言い、うちのメンバーになって活躍してくれませんかと言った。

そこで、以前、体を壊しS銀行を早期退職したと説明し、断ったが、なんで、私が、大金が入った事がわかったのですかと聞くと、それは言えませんと語った。父が、ヤフー株で大金を稼いだと息子の和也が知るとプリンターを貸してくれないと言った。そこでプリンターを渡すとヤフー・ファイナンスでデータやチャートをエクセルに入れて、自分で分析し始めた。

 そしてソニー株を始めハイテク株と呼ばれる株のデータを分析し始めた。ハイテク株以外で、変動が大きいのは、何かと聞くので日本の5大商社、三菱商事、三井物産、住友商事、伊藤忠、丸紅と教えた。データーをプリントアウトして、ファイルに、まとめ始めた。
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