第8話:徳久先生の過去1

文字数 1,695文字

 その後、修善寺に行き、昼食を食べて散策した。そして修善寺の日帰り温泉に入って、ゆっくりして、14時半に温泉施設を後にして、15時半にステファニーの家に行くと、ステファニーが、悦郎に家に入るように言い、家に上がった。

「家に入り、ステファニーが、英語で、両親に、彼が、私にプロポーズしたのよと言うと、母が、おめでとうと、彼女を抱きしめた」
「父も良かったと言い、彼女をハグした」
「最後に、彼女の母が、結婚するなら早くしなさいと言うと大笑いになった」

 その後、夕食を食べて生きなさいと御両親に言われ、悦郎もゆっくりとした英語でわかりやすく、自己紹介をした。そして、彼女のお父さんが、君は、やり手のバンカーだと言い、金の心配はないなと笑った。お母さんは、ステファニーに結婚するなら6月の花嫁、「ジューン・ブライド」が良いわよと言った。

 彼、お金持ちそうだから、豪華な大きなダイヤモンドを買ってもらいなさいと、けしかけた。それを聞いて男性達は、終始笑顔だった。その後、ステファニーが、私、ジューン・ブライドが良いわと言い、6月の花嫁になるのと宣言し、結婚式を来年1985年6月にすると両親や友人達に話して回った。

 この話を聞いて、徳久先生が、自分の事のように、ステファニーと悦郎の婚約を歓迎した。その後、夏が過ぎると徳久先生が、沼津ライオンズクラブの会合に常に悦郎を連れて行くようになった。そして多くのメンバーにS銀行の峯崎悦郎と紹介してくれた。そのためS銀行沼津支店の上客が多くなった。すると、比例して悦郎の年収が増えた。

 やがて12月を迎え、沼津ライオンズクラブの忘年会の時、徳久先生は、珍しく、かなり酔った。いつもなら2次会に参加せず20時には、タクシーで家に帰った。しかし今年の沼津ライオンズクラブの忘年会の1次会を終えると悦郎に、ちょっとつき合ってくれと言いタクシーに2人で乗り込んだ。数分後、ステファニーに家に行くと彼女が立っていた。

 彼女も乗せて、20分位して、民家のような所に降りた。そして、暖簾をくぐると、お待ちしてましたと、女将が言い、部屋へ案内してくれた。民芸調の料亭だった。そして、料理が運ばれ、徳久先生が、俺は、熱燗を飲むが、君達はと聞くと、ステファニーはワイン、悦郎はビールと言い、係の人を呼んで持って来させた。

 料理がそろうと、徳久先生が、君達の来年の結婚を祝福して乾杯と言った。その後、酒を飲み始めて少しずつ徳久先生が自分の事を話し始めた。自分の先祖は、元々、熱海で、有名人の豪邸や別荘を管理する仕事をしていた。そして徳久先生は、幼い頃から頭は切れるし弁舌が立つので、御両親は、将来は早稲田大学の弁論部で、活躍してもらおうと考えていたそうだ。

 ところが、徳久先生は、日本最難関と言われる東大法学部に入学し司法の道に進みたいと言い
始めた。そして、自分の信じる道を突き進み、猛勉強の末、東大法学部を卒業。最初は、自由党の国会議員の秘書から政界をめざそうと考えていたが、徳久には、後ろ盾がいなくて、国家公務員として、大蔵省の官僚への道を歩んだ。

 しかし、運悪く、自分が仕えた国会議員が汚職問題で逮捕され、当時、その議員の秘書だった事で政界を追われた。その後、司法の道へ進もうとしても、一度、黒と言われた人を好む酔狂な人なんて1人もいない。つまり東京での司法の道は完全に閉ざされた。かといって地方では、郷土色の強い地域では、やり手の弁護士が来られると困るので阻止する。

 そうして司法の道をあきらめて出身地、熱海、三島、沼津で市会議員、県会議員をめざした。しかし入って見ると年功序列だけではなく汚職一歩手前の汚い仕事を強制された。それには納得できなかった。そんな時、前の沼津商工会議所の会頭が、自分を拾ってくれた。

 そして、俺の手となり足となり、経済界の現場を勉強しろと言って、5年間経験して商工会議所で出世して、頭角を現した。その10年後、自分を拾ってくれた前の沼津商工会議所の会頭が、脳溢血で倒れて帰らぬ人になった。この時、人生の無常を感じ、キリスト教会に通うようになった。
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