第22話:松本サリン事件と高原ドライブ旅行

文字数 1,428文字

 そして1994年を迎えた。この年、峯崎悦郎が息子の和也に科学が好きなので子供の科学という月間誌を定期購入した。この雑誌が気に入ったのか勉強より熱心にじっくり見ていた。月に1回、秋葉原に連れて行ってと言われ欠かさず行った。その時、ステファニーもついて来た。彼女は、銀座、日本橋を1人で見て回り夕方16時、東京駅、銀の鈴前に集合した。

 そして春が過ぎ、梅雨。1994年6月27日から翌28日の早朝にかけて長野県松本市北深志の住宅街で、化学兵器として使用される神経ガスのサリンの散布により7人が死亡、500人以上が負傷した。オウム真理教が、当初、目的とした裁判所宿舎とは無関係の明治生命保険寮や一般マンションである開智ハイツや松本レックスハイツにも被害者を出した。

 事件直後の犠牲者は、次の通り、35歳女性 、19歳男性、26歳男性、29歳女性、53歳男性の5名が6月28日午前0時15分頃死亡。45歳男性、同日、午前2時19分頃死亡、23歳男性、同日、午前4時20分頃死亡。計7名死亡。事件発生直後は犠牲者の死因となった物質が判明せず、その物質の発生原因が事故か犯罪か自然災害なのかも判別できなかった。

 新聞紙上には「松本でナゾの毒ガス7人死亡」という見出しが躍った。6月28日、長野県警察は第一通報者の河野義行宅を被疑者不詳のまま家宅捜索を行ない薬品類など数点を押収。さらに河野には重要参考人としてその後連日にわたる取り調べが行われた。また、被疑者不詳であるのに河野を容疑者扱いするマスコミによる報道が過熱の一途をたどった。

 しかし、後になり無実である事がわかった。7月3日、ガスクロマトグラフィー分析により、散布された物質がサリンであると判明した。その後、『松本サリン事件に関する一考察』という怪文書が、マスメディアや警察関係者を中心に出回った。この文書は冒頭で「サリン事件は、オウムである」と言及するなど、一連の犯行がオウム真理教の犯行であると書いてあった。

 翌1995年「平成7年」3月20日に地下鉄サリン事件が発生し、ほどなく公証人役場事務長の監禁致死事件でオウム真理教に対する強制捜査が実施され以後教団幹部が次々と逮捕されてた。5月17日には土谷正実が松本サリン事件前にサリンを製造し渡したと供述するなど幹部らは松本サリン事件を含め一連の事件がオウム真理教の犯行であることを自供した。

オウム真理教は長野県松本市に松本支部道場および食品工場を建設するための土地を取得しようと計画、国土利用計画法による県知事への届け出を避けるため賃貸契約と売買契約に分けて取得した。しかし反対運動も起き、「株式会社オウム」名義で目的を隠して賃貸契約を結んだという理由で民事裁判が行われた結果、賃貸契約を取り消された。

 その結果、売買契約部分に支部道場のみを建設し食品工場は、諦めることになった。その後、さらに、オウム真理教の極悪非道の事件が、明るみに出るきっかけになった事件だった。この年の夏休み、清里高原高原にドライブ旅行に、出かけ、国立天文台・野辺山・宇宙電波観測所を見学した。

 そこに、自動で動かせる巨大なバラボラ・アンテナと、その回りに、まるで、そのミニ版のような、同型で、小さなパラボラ・アンテナが、数多くあり、大アンテナの回りを取り囲むように並んでいた。そして、この場所は、標高1300メートル以上もあり、吹く風も涼しく心地良く、周辺を散策してまわった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み