第18話:銀行を退職後の療養生活と新しい出会い

文字数 1,232文字

「これを見た宮崎支店長が、支店長室に峯崎を呼んだ」
「さすが次長、行員に営業会議で融資の取り立ての極意を教えてくれないかと言った」
「それを聞き冗談じゃない、もしかしたらM機械工業の社長が、首つりするかもしれない」
「その時は、支店長がS銀行を代表して葬儀に参列して下さいねと言った」

「君、悪い冗談はよしたまえと語った」
「この事件後、投資で儲けて2億円以上の金ができたらS銀行を退社したいと思い始めた」
「その後も、こう言う嫌な仕事の連続で、峯崎は、参ってしまった」
 そして嫌な1991年が終わり1992年となった。この年は、昨年よりも、更にひどい不景気に見舞われた。一番、きつかったのが商業地域の地下の急降下だった。

 これが意味する事は、近郊の融資担保価値の下落し、銀行の焦げ付きの可能性が大きくなると言う事だ。この年は、昨年に増して銀行員と同行して融資の返済に毎日、回り、気の荒い商店主や社長には水をぶっかけられる事態も起きてロッカーに着替えを持って行く程だった。そんな、精神的な激務に峯崎の体が悲鳴を上げ始めた。

 7月20日、暑い日、今日も若手銀行員と融資の貸し剥がしに出かけてた。
「その帰り道、急に胃が痛み出し、救急車で沼津市立病院に緊急入院した」
「病名は、重症の胃潰瘍で、胃穿孔『胃に穴が開く事』」。
緊急手術で入院2週間となり退院は、16日後の8月5日だった。その後、通院となり、有給休暇も多く残っていた。

 そこで8月20日まで自宅療養として休暇を取った。その後、調べた、徳久先生の遺産と自分の資産合計が25000万円を越えている事を思い出して、このまま、有給休暇全部使い、退社することを決心した。その話を母とステファニーに伝えると、そうした方が良いと同意してくれ、決心がついた。

 その後、9月1日、宮崎支店長が峯崎の家を訪問。病状を聞くので担当の先生からストレスのある仕事は、できれば退職した方が良いと言われ、退職の決心をしたと伝えた。すると、最初、驚いたが、峯崎の痛ましい姿を見て、納得したように、ご苦労さんでしたと言った。峯崎君に有利なように、できるだけ休暇日数を増やすと言ってくれた。

 退職金も有利な様に計らうと言い、がっちり握手し、ご苦労さんでしたと深々と頭を下げた。その後、9月25日付けで正式にS銀行を退社し退職金2300万円を手にし総資産が25000万円を超えた。病院を退職してから海釣りをはじめ、夕方、陽がくれてから1,2時間、家族4人で沼津港の近くの釣り場に出かけ、小アジがよく釣れて、唐揚げにして食べた。

 そして9月からS銀行退職後、早朝、ステファニーと散歩をするのが日課になり顔色も良くなり元気になるのを悦郎は、感じ始めた。その後、ステファニーと2人で11月から沼津市営の運動施設で指導員さんに筋力トレーニングの方法を聞いてトレーニングを開始した。その施設に毎週、通い始めた。その後、市営の温水プールにも出かけて運動を欠かさない様にした。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み