第3話:悦郎の昏睡状態での不思議な記憶

文字数 1,679文字

「次に、思い出した場面は、日射しが強く、暑い日、新橋駅近くのオフィス街に大勢のサラリーマンが出ていたので昼頃」
「彼らの会話を注意深く聞いているとヤフーもソニーも株価が下り始め、今日、ついにNEC株も下げに転じたと話していた」

「そろそろ日本株も天井で、下げ始めるのかなと話してい」
「日時を確認しようとすると以前、叱られたのを思い出した」
「どこで調べれば良いか考え銀行が良いと思いつい」
「急いで近くのMB銀行に入り時計を見ると2000年7月21日、月曜、12時40分」

「その後、急に、銀行の中の時計の動きが、遅くなった」
「そして、無重力の状態になり、足を必死に動かしているが全く動かない」
「やがて、あたりが急に真っ暗になった」
「次の場面は、東京のオフィス街、多分、日本橋の付近」

「昼休みにサラリーマン達が、歩きながらNEC株は2年前にピークつけた」
「しかし、ソニー株も、そろそろ天井かなと笑いながら話していた」
「今回も、近くの銀行に入り日時を調べると1989年10月11日だった」
「急に周りの動きがスローになり人々の動きが逆になり急に頭が痛くなった」

「その後、まるでテレビのスイッチを切った時のように映像が突然消えた」
「そして、断片的な風景の場面が、まるで、コマーシャルのように出て来た」
「しかし、それ以上の事は、思い出せない」
「最後の場面は、父が、前後の大型トラックの挟まれ大きな炎があがったシーンだった」

「急いで、父の所へ行かねばと言う思いと通勤電車が超満員で息苦しくなり気を失った」
「これらの不思議な体験を自分の部屋で、ゆっくり思い出しノートにまとめた」
「もちろん、こんな話、他人に話せないので、その後も沈黙を守った」
「しかし、これが正夢か、どうか試したい気持ちが膨らんだのは、いつわらざる本音」

 しかし、まだ1973年、冬であり、まだまだ先の話だった。1973年3月、峯崎朋美が、沼津商業高校を卒業して成績はクラスでも上位。そのため、当時、沼津商業高校から地元のS銀行沼津支店の採用枠2人に入り就職した。一方、峯崎悦郎は、不思議な体験から株式に興味を持ち静岡大学にある日本株研究会に1973年4月に入部して勉強を開始。

 しかし、当時、ソニー株が、頻繁に株式分割した位で大きな動きは、まだなかった。峰岸悦郎が、N証券静岡支店に口座を開き250万円を入金。証券会社の担当者にソニーと日本電気株の株価をチェックしておくように伝えた。その後、経済学部でバブル経済の発生から崩壊の勉強を続け、長期投資とは、どうあるべきかというテーマを選んだ。

 それを卒業論文にしようと考え始めて、図書館で資料集めを開始。そのうちに1973年が終わり1974年を迎えた。この頃になると、悦郎は、短波ラジオを買い、日本株の動きを見るようにした。1974年に、自分のゼミの先生に、卒業論について「バブル経済の発生から崩壊と、長期投資とは、どうあるべきか」というテーマにしたいと話した。

 すると、バブル経済の発生から崩壊が1つのテーマ。長期投資とは、どうあるべきかも別のテーマであり関連づける事はできないと言われた。無難な卒業論文としては、前者、バブルの実例を分析して、今後のバブル対策について書いた方が容易だろうと言われた。そこで、それを大学の卒論のテーマとする事に決めた。

 その後、5月連休を終えると図書館に入り浸りになりバブル経済の歴史を調べた。最初のバブルは、チューリップ・バブルであった。最初のオランダのチューリップ・バブルから始まる数多くのバブルを調査し、発生原因と、その経過とバブル崩壊の原因と、その過程を詳しく調査し始めると、あっという間に10月を迎えた。

 そして1974年11月初旬、日本電気株が安いと感じ証券会社の担当者に伝えると同意。その後11月7日、日本電気株が115円で買いと証券会社の担当者から電話入り、2万株を115円で買いを入れた。すぐに買えたと証券会社の担当者から連絡が入り残金が20万円となった。その後、1974年12月初旬、ゼミの教授に論文を見せた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み