第6話:朋美の訪問と悦郎とステファニーとの、つき合い

文字数 1,681文字

 ごはんも、大人と変わらない位、食べるようになったと朋美が話した。一郎の動きが速く、直ぐ、お腹が空いたと言い、大変だと笑った。帰る時、朋美は、母に一郎の面倒を見てもらい、助かりましたと喜んだ。夏休み、また来ますと言い小田原へ帰って行った。その後、いよいよ夏本番、暑くなり8月12日の晩、お邪魔しますと朋美からの電話が入った。

 夜21時、母の家に到着し、滝沢家の2人が風呂に入って一郎は眠くなり布団に寝かせた。その後、大人達だけで小田原の滝沢家の話や一郎の学校での様子などを朋美が母に話した。やがて23時になり床に入った。翌朝8時起き母と朋美が、朝食の支度をして食べた。昼間、暑いので家の中で過ごした。

 夕食も食べ終わり20時に沼津の港の釣り場に滝沢君のスカイラインで出かけた。そして、夜釣りをして、その晩も買ってきたスイカを割って4人で美味しくいただいた。朋美も銀行に復帰して18時に家に帰ってくるが、その間、義理の母に、一郎の面倒を見てもらい助かっていると話していた。その夜、20時、また来ますと言い朋美の家族は、帰って行った。

 母は、昔からの地元商店の手伝いを続け、少しの給料と売れ残りの食品類を安くゆずってもらい生活をしていた。母は、悦夫の最近、買い替えたばかりのクラウンで30分かけて修善寺の天然温泉へ行くのが楽しみで年に4,5回、出かけた。この年の1983年8月20日、昼から、泊まり込みで、箱根へ出かけた。

 芦ノ湖の遊覧船に乗り、芦ノ湖畔のホテルに泊まり箱根の温泉に入って帰って来た。11月3日、富士高原の一足早い紅葉を見に出かけて、箱根の温泉宿に1泊し、沼津に帰った。やがて1984年があけた。正月の晩、2人でゆっくりしたが1月3日、朋美からの電話で1泊で、行きますので宜しくと言われ、後の14時過ぎに着いた。

 小田原のウイロウとカマボコのお土産を買ってきた。その晩は、旨い魚を買い込んであり、地酒を飲みながら、その旨い魚の刺身を堪能。この年、悦夫は、銀行の経理課長に昇進し、銀行のオンライン業務の担当も兼任した。朋美が、母に一郎の下に、もう1人子供が欲しいと告げた。でも、こればっかりは、どうにもできない話だとこぼした。

 これに対し、それより、母は、悦郎に、お嫁さんか来て欲しいよと言った。いつまでも独身ではねと納得いかないようだった。それを聞いていた悦郎は、男女の縁なんて、いつ何時チャンスが訪れるかわからない。それを待つしかないと語った。しかし、一郎は、逞しい男の子に育っているのを見て、母は、目を細めて喜んだ。翌日、朋美の家族3人は帰って行った。

 この頃、銀行のお得意さんで、悦郎を気に入ってくれてる沼津商工会の会頭、徳久徳磨が、頻繁に銀行を訪れた。そして悦郎を教会に誘うので、ついて行き、毎週、予定のない日曜のミサには出席。昨年の春、沼津商工会のメインバンクをMB銀行からS銀行に切り替えてくれた。そして徳久先生は、悦郎を次世代を背負っていける若者だと褒めた。

 そこで沼津ライオンズクラブという富裕層の団体にゲスト会員として入会させてくれた。すると新たに数人の銀行の大口顧客ができ悦郎のボーナスも増えた。今や沼津支店の銀行員達から、実質的な銀行ナンバー2と呼ばれるようになった。そして昨年の春、徳久先生が、近くの教会の牧師の娘ステファニーを悦郎に紹介した。

 彼女は、日本で生まれたアメリカ人で、1961年生まれで、22歳のグラマーな美しい金髪の娘さん。フェリス女学院に通い、昨年、フェリス女学院大学を卒業したばかり。最近は、ステファニーが、悦郎のクラウンの後部座席に乗り、熱海、修善寺、箱根、御殿場と数時間ドライブデートするようになった。

 しかし、この話は、母には内緒で伝えてなかった。その理由は、アメリカ人の牧師の娘が俺なんかと結婚する訳がないと思っていたからだ。やがて付き合い始めて1年が過ぎようとしていた。そんな1984年5月の連休、箱根をドライブしている途中で、突然ステファニーが悦郎に彼女いるのですかと聞くので、悦郎は、驚いた。
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