第36話:米国同時多発テロとイラク戦争、フセインの処刑

文字数 1,597文字

 5分後の9時43分、FAA「連邦航空局」は、歴史上、初めてアメリカ合衆国大陸部の民間航空機の離陸を禁止し飛行中の民間機に近くの空港に着陸するよう命じた。しかし、日本では、ペンタゴン「アメリカ国防総省」の近くに飛行機が墜落したらしいと報道しか流れなかった。おして、この話は、ずいぶん後になって報道されることとなった。

 当初、ペンタゴンのテロは、極秘事項で、分からなかった。そして現地時間9時59分「日本時間22時59分」、世界貿易センターサウスタワーが崩壊。脱出する人たちは粉塵と灰にまみれた。現地時間10時3分「日本時間23時3分」、ハイジャックされたユナイテッド航空93便がペンシルバニア州シャンクスヴィルに墜落。

 実行犯は合衆国議会議事堂を狙ったと考えられている。乗客は、他のテロ攻撃を知り協力して機を奪い返そうとした。10時28分「日本時間23時28分」、世界貿易センターノースタワーが崩壊。わずか12秒で崩れ落ちた。ニューヨークでは2753人が死亡。死者数には救出活動に駆けつけた343人の消防士と救急救命士、60人の警察官が含まれる。

 ペンシルバニアでは40人、ワシントンD.C.では184人が死亡、死者数は3千人近い。9.11後、国民は攻撃の影響を受けた人々を助けるために協力。これは、アメリカの政治・経済の中枢を狙った「同時多発テロ」でありアメリカ政府・ブッシュ大統領は、その犯人は19名のイスラーム原理主義者であり彼らに指示を与えたのはオサマ・ビン・ラディンであると発表。

 また、実行したのは、その組織である国際武装テロ集団アルカーイダであると伝えた。2001年10月7日、アメリカ・イギリス軍「有志連合」はインド洋の艦船から戦闘爆撃機による攻撃を開始。また潜水艦から巡航ミサイルを発射して、カーブルのターリバーン政権中枢やアルカーイダの訓練所などの空爆を開始した。

 この空爆でアフガンに投下された爆弾は、第二次世界大戦中、1941年から42年のロンドン大空襲でドイツ軍が投下した爆弾の半分に相当する1万トンに達した。空爆に加えて、武器や砲弾の援助を受けた反ターリバーンの「北部同盟」が攻勢に出て、マザリシャリフ、ヘラート、首都カーブルを制圧した。

 アメリカ・イギリス地上部隊は最後のターリバーンの本拠カンダハール攻撃に参加し2ヶ月後、ターリバーン政権は崩壊。ブッシュ大統領は、その後もテロとの徹底した戦いを表明し、イラクのサダム・フセイン政権はアルカーイダなどのテロ組織と結び大量破壊兵器を所持しているとして、その打倒に乗りだし、2003年3月にイラクに侵攻、イラク戦争に発展させた。

 2003年3月20日、米軍はバグダードを空爆、ピンポイントでサダム・フセインの殺害をねらったが失敗。アメリカ合衆国のもくろみは、フセインさえ殺害すれば、イラク国民が立ち上がるであろうという楽観的なものだった。しかしフセインはその後もテレビに顔を出し健在ぶりをアピール、同夜アメリカ軍とイギリス軍はクウェートから陸上部隊を侵攻させ空爆も本格化。

 イラク軍は想定以上の抵抗があったが、アメリカ軍は劣化ウラン弾やクラスター爆弾を投入してその抵抗力を抑え、4月4日にはバクダードに突入、9日には市民とアメリカ軍の手によってサダム・フセイン像が引き倒されてフセイン政権は倒壊した。5月1日にはイラク軍の組織的な抵抗は終わり、ブッシュ大統領は勝利宣言を行った。

 フセイン政権が崩壊した2003年4月、無政府状態に陥ったバグダードでは略奪・強盗が横行しイラク国立博物館も襲撃された。約1万5千点が略奪され密売目的で外国に持ち出された。サダム・フセイン自身はその後も潜伏を続け2003年12月、捕捉された。2005年10月からイラク高等法院で裁判に付され、2006年12月に死刑判決、ただちに処刑された。
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