第13話:徳久先生の遺言

文字数 1,431文字

 12月3日、朝9時に病院に到着し受付で事情を話すと循環器内科に行くよう指示された。外来前で20分ほど待つと先日、手術してくれた村松先生がいた。気をしっかり持って話を聞いて下さいと告げた。話し始め、やはり脳血管が、いつ詰まってもおかしくない状況ですと言い、高齢であり手術ではなく薬物療法で血が固まらない様にしますと言った。

 しかし、もし万が一、欠陥がもろくて切れたりすると大きな出血になる可能性もあると言い、また痴呆が現れてくる可能性もあると言った。そのため、しばらく、この病院に入院し、最大で3ケ月以内に結論を出して療養施設に入る事になるかも知れないと言われた。療養施設で再入院の可能性もありますと冷静に話し最善を尽くすしかありませんと語った。

 それを聞いて、わかりましたと言い、支払いはと、聞くと今日までの分を支払ってもらい、また、後日、来院時、残りを支払っていただきますと言った。どの位に間隔で来院すれば良いですかと聞かれ、最低、月に1回と言った。それでは、来月、また、来ますと言うと、それまでに急変したら、直ぐに、ご自宅に電話させていただきますと言った。

 そして話が終わり村松先生に、お礼を言って、今後も宜しくと挨拶し失礼した。
「その後、病室を見舞うと徳久先生が、すっかり迷惑かけて済まないと言った」
「本当に、君には、と言うと、涙声になり、お世話になりますと語った」
「万が一の時、引出に、遺書を書いて置くから書いてある通りにして下さいと述べた」

「まだ、死亡宣告を受けた訳でもないから気を強く持って頑張りましょうと言うと世話になるなと悦郎の手をがっちり握りボロボロと涙を流した」
「それを見て悦郎もたまらず涙を流した」
「君と僕の不思議な縁は、きっと神様が書いたシナリオだろうと語った」

「本当にうれしかったよと言ってくれた」
「元気になったら、私の家に電話して下さいねと言った」
「支払いの事は、気にしないです結構ですと告げた」
「今まで、先生にいただいた、ご恩の数十分の一にもなりませんからと話した」

「本当に君は、良い奴だと肩をたたいた」
 それでは、また、来ますとお元気でと言い病室を後にした。やがて1988年となった。1月8日、悦郎は、再び病院を訪ねて村松先生の外来で待ち順番になり入室した。そこで、脳血管の手術は高齢のために手術せず薬物療法で行く事が決まり。

 そこで来週月曜、近くの療養施設に転院していただきますと言われた。その病院のパンフレットをもらった。その施設もこの病院の関連施設なので病状の変化の情報を共有できますと言った。そのため、次回、訪問時は、その施設に行って下さいと言われた。その日、会計で支払いをして沼津へ帰った。

 翌月2月5日、その順天堂大学府蔵の療養施設に行き、受付で病室を聞き、病室に入ると、徳久先生は、幾分、痩せた感じだったが、血色も良く、元気になった気がした。そして急に引出を空けて50万円を手渡し医療費がかかったろと言った。それから今日、君に私の今後の希望を伝えるので良く聞いておいてくれと言われた。

「以前、君に言った様に僕には身寄りはない」
「だから世話になる君に全財産を渡し亡くなった後の処理も全て頼むと告げた」
「自分の菩提寺もないので沼津の高台で海が見える場所の墓に葬って欲しいと言った」
「本当に世話になったと今までにない明るい表情で語った」
「かえって、その姿は、怖い位に感じたほどだった」
その後、病院を後にして沼津に帰った。
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