第28話:阪神淡路大震災の初動記録4

文字数 1,576文字

 市街地では消火栓が一部の地域を除き殆どが使用不能の状態であり、火勢が非常に強いため、消防隊は河川やプール等を水利に火災防御活動を行なった。また他都市各消防隊に対しては、市役所3号館前を集結場所とし、目的消防署まで誘導を行なった。

 一部では交通渋滞のため、事前に無線で連絡が入った隊については、直接現場に集結する場合もあった。しかし阪神高速道路神戸線は倒壊し、東西に走る幹線道路「第二神明道路、国道2号線、国道43号線」は避難や救護に向かう車で渋滞していたため、全国からの応援隊の到着は予定よりも大幅に遅れた。

 消防署に到着した応援隊は所轄消防署長の指揮下に入り、次の配置方針に基づき防御に当たった。現場配置方針、①人命「多数」危険方面、②延焼危険度の大なる方面、③延焼阻止線「避難所・福祉・医療施設」、④水利不足方面、⑤分散配置後の手薄方面。また応援隊は以下の地区に重点的に投入された。

 応援隊投入の重点地区、<消火活動>①長田区・須磨区・兵庫区「炎上地域の水利の確保」<救助活動>①長田区・兵庫区・須磨区「延焼前の早期救出・西市民病院倒壊」中央区・灘区・東灘区「家屋倒壊地区の救出」<救急活動>①長田区「倒壊した病院からの転院搬送」

 なお他都市消防本部からの応援隊は、北は北海道から南は鹿児島県までの約450消防本部から、最大で506隊2434人が駆けつけた。札幌市消防局救助隊は民間航空機にて大阪空港へ向かい、レンタカーのトラックで現地入り。東京消防庁八王子救助隊はヘリコプターで直接神戸ヘリポートへ現地入り。

 横浜市消防局はポンプ車5台、水槽付ポンプ車5台に50名が分乗して出動した。また火災規模に比べて水が絶対的に不足していたため本部指揮所は消防艇による海水利用を決定。海岸部から火災現場までは40~50隊の消防隊とホースが必要であった。そのため各消防署及び消防団の応援出動とホース等の資器材の集結を指示する。

 それとともに、長田管内の消防隊に対し、海水を利用した防御体制への変更を指示した。一方、本部指揮所では、次々と連絡の入る全国各地からの応援隊の情報の整理と、投入地域への割り当てを行なっていった。18日3時00分、兵庫区上沢地区の火災鎮圧。14時20分 長田地区の火災鎮圧。

 32時間にわたり続いた火災も、神戸市の消防隊、消防団、各都市からの応援隊等の懸命な防御活動により、火勢鎮圧を向かえた。その他、秘話として病院船の話がある。それは、大震災の起きた1月17日、日本唯一の病院船である済生丸は松山港にに停泊していた。しかし、急遽巡回し岡山に回航して「災害救助船」として医療救援活動に参加した。

 兵庫県衛生部から岡山県を通じ依頼があり、新神戸港に救援に駆けつけた、派遣の延べ人数は、医師40名、看護師39名、薬剤師屋放射線技師など医療技術員11名、事務他18名の合計108名にのぼった。混乱する陸路を避け、海路を使って、岡山から神戸間を納戸も往復。そして、救援物資を運ぶなどした。

 医師や看護師、ボランティアなども送り届けた。神戸長田区では診療にも当たった。また診療する医師や看護師の宿泊施設としても活躍した事は、あまり知られていない。約1ケ月半に渡り輸送及び九軒支援活動に大きく貢献した。なお、この情報は、「会社を元気にしたければ「F・E・D社員」を大切にしなさい」を参照させていただきました。

 1995年は、阪神淡路大震災を始め、オウム地下鉄サリン事件、不良債権で住専やコスモ信金、木津信金、兵庫銀行など金融機関の破綻相次いだり、大和銀が巨額損失、米当局の追放措置で住友銀との合併浮上と日本の経済界の不祥事が相次いだ。景気低迷で就職難続き、円高・株安で公定歩合史上最低の0.5%になった。この年も日本経済の低迷に苦しむ年になった。
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